抑鬱状態にあったらしい一年と文章を書くということ

喉元を過ぎつつある今、またぐでぐでになったときのために、自分の備忘録として、抑鬱状態にあったときの自分の状況を文章化しておく。
そういう状態になっているときは、まるで自覚がついてこないというのがよくわかったからだ。

と前置きをおいた文章を、わたしは2017年の3月に書いていた。

今それを掘り起こし、読み返すと、思い出し、また気づく点もある。抑鬱状態でなくても自己肯定感の足りないわたしだが、抑鬱状態にあるときには一つそれまでとははっきりと違う点があった。以下、その気付きと、ちょっとだけ蟲師の話と、それから文章を書くということについて加筆したものを置いておく。


さて2016年は、個人的に色々あったのである。
大好きな先輩が研究室を離れたこと、その結果、力も覚悟もないうちに立場が上がってしまったこと。分不相応な好待遇をいただいてしまったこと。
そして春にかめ、夏に旧友、秋に祖父、冬に恩師を亡くしたこと。

2015年の終わりごろから、少しおかしくはあった。糸が切れたような虚脱。
その年のダメージを回復できないまま2016年に入ってしまったから、地道に精神的疲労や動悸や寝不足がたまっていって、 10月には、食事を3日おきくらいにしかとれなくなっていた。食べものを体が受けつけないし、食事をとらねばという意識自体がどこかにいっていていた。
朝ベッドから起き上がれない。起きた瞬間から、1日が始まってしまう辛さで胸がいっぱい。

そんな調子の朝だから時間や約束を守れなくなり、約束そのものが怖くなり、そのうち、友達と遊んだりするのもこわくてたまらなくなった。
大好きだった植物の世話もその約束カテゴリに入ってしまってからは、自分に生存を委ねている他者を苦しめている罪悪感が、四六時中心を離れない。
大事な約束であればあるほど守れないのだから、とかく罰されたかった。

でも状況は、罰とは逆向きに進んでゆくのが辛く後ろめたくて仕方なかった。ご厚意や幸運を辛いと思ってしまう自分の不遜さもまた申し訳ない。
何を考えても結局どなたかに申し訳ないというところに落ち着いてしまって、自分は何をしてもしなくても存在自体害悪であると思わざるを得なかった。

人様の視界に入ること自体が申し訳なく恐ろしかった。まして関わるなど。
そうしてどんどん社会性を失っていく己の幼さにまた嫌気がさす。

こんな具合に自分を否定する言葉も片端からまた否定していってしまうので、頭の中で自己否定だけが不毛に続いてゆく。身の置き所がないし、何も考えようがない。思考する力が著しく失われた。
頑張って外に出て行っても、人の話がわからない。自分が何をしているのかもよくわからない。よけい不安になる。

それでいて、死にたいというような発想は出てこない。わりと幼い頃から何かにつけ死にたいと思っていたわたしは、そうすることで自分のバランスをある程度保っていたらしい。バランスをすっかり崩していた2016年のわたしは、死にたいと思うこともできなくなっていた。

大体、死にたいというような意志的な心の動きそのものが失われていた。
感情の中でもピラミッドの下の方のもの、感覚に近いようなものはあったが、上の方、思考に近いようなものは次々溶けてなくなった。
「~したい」という気持ちには、その前提・原因との因果関係が隠れている。「(寒いから)窓を閉めたい」というような。

そういう複雑なステップを踏む感情を持ちにくくて、ただただつらいとこわいしかなかった。当然「死にたい」なんてことも考えることができなかった。

こんな状態で頭脳労働しようとしていたのだから笑う。

まあそれでも、2017年3月現在のわたしは、地道に回復しつつある頃である。
以前当たり前にできていたことが全部日常の中に帰ってきたわけではないが、とりあえず遅刻はしなくなった。
恐怖心は何かにつけ強いものの、恐怖に対してお酒を飲むとかソリューションをいくつか持てるようになったし、ソリューションを持とうという発想があること自体長足の進歩である。

そのきっかけは時間的余裕ができたことと体調を崩したことだったが、まあそれはよい。とにかくここで自分のために書いておきたいのは、わたしには抑鬱状態と思われた時期を脱した経験があるということである。

もうすでに最もつらかった時期のことを忘れているように、いずれ、そこから脱しつつあるときの嬉しさなども忘れるだろう。だから、将来の自分のために、お前はやればできる、だって実際できたのだから、と伝えたいのだ。


以上が、2017年の3月に書かれた文章だった。今、二年後の、2019年の3月下旬の夜に読み返している。

たしかに、思い返せばあの頃は異常だった。そしてこの文章中のわたしがいうように、たしかに、その状態から脱しつつあるときの嬉しさなど、すぐに忘れた。

しかし今が異常ではないか、本当に2017年当時の自分が主張するように回復したのかと言われれば、悩ましい。今だってわたしは鬱屈している。

遅刻癖はぬけきっていない、というよりも波があり、コンディションのよくないときには帰ってくる。上の文章で、わたしは自分の遅刻癖が体に起因しているかのように言っている。それも間違いではなかったのだろうが、しかし、それだけではないだろう。

2016年当時のわたしの遅刻癖は、当時つきあっていた人とのデートに行きたくない、というところから始まった。2017年、この文章を書いていたときのわたしは、自分の遅刻癖が結局「自分が好きになれない、恥ずかしい、こんな自分を人に見られたくない」という気持ち、不安感に起因していることをはっきり文章化することに、まだためらいがあったのだ。気持ちに起因している、といえば、ただのわがままに見えるだろう。そのくらい我慢して行けと。

ただ、その気持ちというのはかなりコントロールが難しい域にまでふくらみうるものである。行きたくない一心で、ぎりぎりまでダラダラするようなこともあったが、それだけではない。というよりもむしろ、不安でしかたなくて、早くでかけている場合だって多いのだ。しかしそういう不安を抱えているときは、どうしても判断力が落ちる。きちんと時間に余裕をもってでかけても、不安なあまり、見知った道でも迷ってしまう。徒歩10分の場所に1時間以上かかって、結局30分遅刻したのは2019年2月のことだ。

そんな体たらくであるから、今、誰かに愛されるなどということは到底気が重く受け入れがたくて、ときにさびしいときはあるものの、誰かとつきあいたいとは思わない。しかし、自分を恥じて見られたくないと思う気持ちを乗り越えないことには、(2016年の抑鬱状態とは違うにしても)今のこの鬱屈を解決できそうにない。

なにせ、2016年当時相談に乗ってもらっていた臨床心理士の方からは、中等度〜重めの抑うつ状態にはあると、薬物療法を検討したほうがよいとすすめられた。医療の力を借りるべきレベルのときに借りなかったのだから、その後やすやすと問題を解決できるはずがない。

メイクやファッションは自己を恥じる思いを緩和するのにずいぶん効果的なのだけれども、2018年は抑うつ的な状態がなかったかわりに、メイクする気力もなかった一年だった。

メイクに手を抜くようになったのは、そもそもは「わたしマスカラ塗らなくたってそれなりにかわいいじゃん」と思えたところに始まっていたのだが、ここ数ヶ月は自信の減退にしかつながらなくなっていた。服だって一年どころか2017・18の二年間のうちに3着買ったかどうか。大学生になるなりデパコスのカウンター通いを開始した人間が、こんなふうになろうなど、そのころはまったく予想もしなかった。

2019年3月のわたしは少しずつ、メイクをしよう、こんな服が着たい、という気力が戻ってきたところだが、このままではまたいずれこのような波を繰り返すのだろうと思う。非常に残念なことだが、そこまで2016年当時から変わることができているわけではない。

別記事に書くつもりだが、結局わたしが今抑鬱状態にないのは、2016年の経験から「いやなことからは逃げる」というレッスンを得て、それを実践しているからにすぎない。何か根本的なところが変わったわけではなく、ただ無理をしていないから、深刻に健康を害するところまでいっていないだけだ。これから気をつけないと、時間的な余裕、身体の余裕を失えば、またやすやすと同じ状態に陥るだろう。

しかしそれでも、わたしは、今抑鬱状態にないとためらないなく述べられる。この文章を読むことで気がついた。抑鬱的だった2016年のわたしは、一つの点において他の年の自分とは全く違った。

意志的な思考ができなくなること。これがまったく他の年と違っていた。忘れていたけれどもたしかに2016年のわたしには意志と思考というものがなかった。気力がなくて考えるのが面倒なのではない。抜け落ちてしまったように、意志というものが存在しなくなるのだ。ただ、あるだけのものになる。

なにかアカウントアメーバだとか、そういう生き物のになったような気がしてぬるぬると這い回っていた。漫画『蟲師』の「蟲」、現象と生命の間にあるようなもの、あれも近かったかもしれない。

そう、今、この一行を得て、わたしは、『蟲師』に繰り返しでてきていたある型――「人間が人間性を失い、「蟲」に近いものになってしまう」こと――の過酷さにはじめてわたしの霊と肉で触れる。人間が「蟲」になってしまう過酷さとは、作中繰り返し述べられていた。あの作品を愛読して十年ほど、わたしははじめてその言葉を自分自身で受け止めた。

こんなことがあるから文章を書くのはやめられない。わたしのどんな経験よりも、ものごとの一つの芯にふれる瞬間、このきらめきがわたしを支える。

この文章がなければ、2016年のことなどすっかり忘れていた。2017・18の二年間は、何だったのだろう。空白のような気がする。文章がないからだ。

しかしその間わたしが何も書いていなかったわけではない。本当は、ずっとずっとどんなときでもあふれてくる。本当は、わたしはいつも何かを書いていたい。ここ数年、わたしは何度も自分に文章を書くためのプラットフォームを与えては、恥ずかしくなって、奪ってきた。その結果、わたしの言葉はいつも外にでてゆくことができず、自分を責める言葉になることしかできなくて、わたしの中を駆け回った。

わたしは自分の文章が好きではなくて、何か書くたびに何と時間を無駄にしたのだろう、低徊踟廚、なんといやな文章だろうとむなしくなるのだけれども、しかし結局毎回こうして文字を書く場所にかえってくる。それ以外に手立てがないことをもう知っている。

きっとまたわたしは何度か、精神的に追い詰められるだろう。でもきっと言葉の中にかえってくるだろう。そう思う。

わたしがあなたのお金をまだ見たことのない場所につれていきます。試してみますか?