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本とのつきあい

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本に埋もれて生きています。2900冊くらいは書評という形で記録に残しているので、ちびちびとご覧になれるように配備していきます。でもあまりに鮮度のなくなったものはご勘弁。
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2023年8月の記事一覧

『現代思想2023vol.51-10 9月臨時増刊号 総特集 関東大震災100年』(青土社)

『現代思想2023vol.51-10 9月臨時増刊号 総特集 関東大震災100年』(青土社)

1923年9月1日の正午1分半前、推定神奈川県を震央とする巨大地震が発生。関東全般を呑み込み、犠牲者は、これも推定であるが、10万人以上であったといわれる。このため、いまもなお「防災の日」は、この9月1日に定められている。
 
2023年は、それから百年の記念すべき年である。直接知る人は殆どいないけれども、この震災は、大きな意義をもって見つめられている。その後「震災」と呼ぶものとしては、阪神淡路大

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『セラピスト』(最相葉月・新潮文庫)

『セラピスト』(最相葉月・新潮文庫)

執筆の順番としてはこちらが先だが、私は『証し』を先に読んだ。そして、心理学、否心の病という問題に挑んでいた同じ著者の作品に臨んだ。「セラピストとクライアントとの関係性を読み解く」という紹介があったが、この作品のためにも、『証し』の6年という取材に近い、5年という歳月をかけている。じっくりと向き合うその誠実さには敬服の思いしか返せない。
 
河合隼雄と中井久夫との関わりが、その多くの部分を占めている

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『教えることの復権』(大村はま・苅谷剛彦・苅谷夏子・ちくま新書399)

『教えることの復権』(大村はま・苅谷剛彦・苅谷夏子・ちくま新書399)

生涯国語教師、と読んでよいだろうか。そして、国語教育に対して、最も大きな仕事をした、と私は思っている。時に型破りとも呼ばれ、あるいは最高の技術と信奉され、他人の評価はいろいろに変わるけれども、2005年に亡くなってから後、果たしてその国語教育はどのようにいま活かされているのだろうか。
 
本書の共著者といえる苅谷夫妻は、共に国語教育に関わっている。特に、苅谷夏子氏は、大村はまのかつての直接の教え子

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『メメンとモリ』(ヨシタケシンスケ・KADOKAWA)

『メメンとモリ』(ヨシタケシンスケ・KADOKAWA)

帯には「姉のメメンは冷静で、弟のモリは情熱家。」と書かれている。ヨシタケシンスケの新作として図書館で見つけた。ラッキーだった。まだ誰も借りていないと思う。
 
ヨシタケシンスケ展かもしれない、に先月行った。目録も買った。絵本は書店での立ち読みを含めて、そこそこ見ている。MOEの特集号もよく買っている。そこそこのファンである。誕生日か同じだという奇遇については、後から知った。
 
どう紹介してよいか

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『自伝的説教論』(加藤常昭・キリスト新聞社)

『自伝的説教論』(加藤常昭・キリスト新聞社)

面白かった。面白くて仕方がなかった。これほどわくわくしながら読み進んだ本は、それほど多くない。
 
日本のプロテスタント教会で「説教」ということについて評判のよい人は多々いる。だが、「説教」を磨くためにどうすればよいのか、について多くの人に呼びかけ、教育を施した人となると、この著者のほかにはいまのところ思いつかない。
 
もちろんほかにも硬い「説教」についての著作や翻訳もいろいろある。ここで「説教

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『神さまと神はどう違うのか?』(上枝美典・ちくまプリマー新書)

『神さまと神はどう違うのか?』(上枝美典・ちくまプリマー新書)

ちくまプリマー新書というのは、もしかすると岩波ジュニア新書を意識したかもしれないが、「プリマー」というからには「オトナ未満」をターゲットにした新書シリーズである。物事を、比較的分かりやすく、ティーンエイジャーに伝わるように説き明かそうとする目的があると思われる。
 
なんだ、若向けか。そんな印象を与えてしまう可能性もあるが、少なくとも本書に限っていえば、そんなことは全くない。ガチである。確かに説明

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