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哲学のかけら

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哲学も少しはかじっています。なにもそんなこと考えなくてもいいんじゃない、と言われるところも、でもさ、と考えてみる、それが哲学。独断と懐疑に終わらずに常に自分の至らなさを認めるあた…
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2021年3月の記事一覧

人を数にしている私たち

人を数にしている私たち

連日、新型コロナウイルスの感染者の数が、ニュースのほぼトップに挙がってくる。新規感染者、死亡者が数字となる。それにより、非常事態宣言が発令されたり、解除されたりする。政策の上で、それはひとつの指標となっている。
 
思い出す。「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」
 
誰が最初に言ったのか、情報は錯綜している。しかし、次の言葉ははっきりしている。
 
「一人殺せば悪人だが、100

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どうすれば「よい」のか

どうすれば「よい」のか

ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。(創世記2:17)
 
主なる神は、最初に創造した人に向かってこのように命じた。やがてこれを破った人は、楽園から追放されることになる。
 
善悪。私たちはこれをその都度判断しなければ生活していけない。これはしてよいことか。こうしたほうがよい。この「よい」には様々なアスペクトがある。まさに神の前に許されるのか、ということ

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『試験に出る哲学』(斎藤哲也・NHK出版新書563)

『試験に出る哲学』(斎藤哲也・NHK出版新書563)

凡そくっつかない言葉がつながっているように見える。「哲学」が「試験に出る」というような利点を探す語の制約を受けるのは、どうにも似合わない。知識をお持ちの方は、ソクラテスないしプラトンが徹底的に敵対した、ソフィストたちのやり口を真似するつもりなのか、と憤るかもしれない。
 
著者自身も、その辺りを気にしている。しかしこれはなかなか良い企画であると私も思った。
 
大学入試のセンター試験はその名をすで

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いまの自分が真理なのさ、なんて

いまの自分が真理なのさ、なんて

誰でも、あと少し歩いたほうが、遠くまで進んだという気持ちになるだろう。だが、もしかすると、目的地に向かう方角を誤っているかもしれない。そのときには、進めば進むほど、行きたいところからは遠ざかってしまうことになる。
 
歴史は進歩しているという素朴な信仰があって、人間はどんどん真理に近づいている、という根拠のない錯覚に陥ってしまうのも、人間のありがちな姿である。さらに具合の悪いことに、自分の考えこそ

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言葉の罠とその克服

言葉の罠とその克服

言葉にしてしまうこと。「分節」という語の理解を、そこに重ねてみる。「分節」は元来、言語を考察する上で、発音や意味を区切ることを意味する。しかし、心理的には、ありとあらゆる事象の中から、一部を切り取った形で捉えることと見てもよいだろう。抽象化することにも比せられるが、何を以て抽象とするかどうかに必然性が伴うのではなく、恣意的なものがあるとすれば、むしろ捨象することだと見たほうが適切であるように思われ

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