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メモ 中国の干ばつ、小麦の値上がり、エジプトの蜂起を結びつけて考える

政治の歴史を研究するときに私がいつも注意を払うようにしているのが物価の推移です。特に生活必需品の価格が持続的に値上がりする局面では、困窮した人々が過激になり、大規模な政情不安が引き起こされるリスクがあります(人口とインフレで世界各国の体制崩壊は説明できる『近世世界の革命と内乱』の書評)。2010年から2012年にかけて中東で国際的な広がりを見せた反政府運動アラブの春を読み解く際にも、このような視点を持っておくことが重要だと思います。

Troy Sternberg氏が発表した「中国の干ばつ、小麦、エジプトの蜂起:局地的な災害が地球規模に広がった理由(Chinese Drought, Wheat, and the Egyptian Uprising: How a Localized Hazard Became Globalized)」は気候変動がアラブの春に与えた影響を考察した研究の成果ですが、特に中国とエジプトという2か国の関係に注目しています。著者は、この2か国の関係を小麦で結びつけています。2010年6月に1トン当たりの小麦価格は156ドルでしたが、2011年2月には326ドルに高騰しました。

この時期は小麦が世界的に不作であり、ロシア、ウクライナ、カナダ、オーストラリア、中国など小麦の主要供給国で生産量が減少しています。特に中国では2010年11月に深刻な干ばつが起きており、2010年から2011年の冬に山東省、安徽省、河南省を含む12の地点で干ばつが記録されました。標準化降水指数を用いて中国政府が発表しているデータを分析すると、100年に一度と見なせるほど極端な干ばつが複数の地点で発生しており、農業用水が著しく不足していることが確認されました。このため、中国政府は国内で消費するための小麦を世界中で買い付け、輸入するようになっています。

この中国の輸入量の増加は小麦価格を高騰させる大きな要因となり、小麦の消費国であったエジプトは経済的な問題に直面しました。エジプトの国土にはナイル川の流域がありますが、その農地で栽培されている作物の多くは小麦ではなく、付加価値が大きマンゴーなどの輸出用作物です。エジプトは慢性的に貧困世帯が多く、2010年から2011年の貧困率は25%と政府機関によって推定されています。彼らは食料価格の値上がりによって、実質所得が大幅に低下したことになるので、最低限の生活水準を維持できなくなった可能性が高いと考えられます。これはエジプトだけの問題ではなく、多くのアラブ諸国で同じような事情があったと著者は考えています。

著者が別の論文から転載した上記の数表では、国民一人当たりの所得に占める食費の割合についても計算されていますが(Food-pecent of imcome)、特に目を引くのはヨルダンの40.7%、アルジェリアの43.7%、イエメンの45%であり、リビアの37.2%、チュニジアの35.6%、エジプトの38.8%もかなり高い水準であることが分かります。このような状態で食料の価格が急激に高騰すれば、人々は健康を維持することができなくなるでしょう。これが人々の政治的態度を急進化させた一因であったと考えることができます。

2022年にウクライナとロシアの戦争が始まってから、世界の小麦の生産と流通が大いに妨げられており、その影響は今でも続いています。両国はいずれも小麦の世界的な供給国であるため、生産を肩代わりできるような国家を見出すことは少なくとも短期的には難しいでしょう。戦争が長期化すればするほど、世界経済にとって重大なリスクとなるだけでなく、消費国を中心に不物価が高騰し、政情が安定化する恐れがあると考えられます。

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