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協調を持続可能にする国際レジームの意義を説いた『覇権後の国際政治経済学』(1984)の紹介

国際政治と世界経済の関係を説明する政治学の理論に覇権安定論(hegemonic stability theory)があります。これは国際システムの中で他国を圧倒できる能力を持った特定の国家、すなわち覇権国が存在するとき、世界の政治と経済の関係が安定化する方向へと向かうことを説明する理論であるといえるでしょう。

この理論によれば、覇権国が存在する効果として、大規模な戦争が防止され、あるいは貿易、投資が促進されやすくなると考えられますが、理論の検証が進むにつれて、必ずしも一般的に当てはまらない理論であることも確認されてきました。その理由を説明するために提唱されたのが国際レジーム論(regime theory)です。

ロバート・コヘインは、学説史において国際レジーム論の代表的な論者として位置づけられている研究者であり、たとえ覇権国が存在したとしても、それだけでは国際的な対立を制御する上で十分ではないと指摘し、非覇権国の対外行動を規制し、持続的な協調が可能となるように方向づける制度として、国際レジームが整備されていることが必要であると論じています。

Keohane, R. (1984). After Hegemony: Cooperation and Discord in the World Political Economy. Princeton: Princeton University Press.(邦訳、石黒馨訳『覇権後の国際政治経済学』晃洋書房、1998年

国際関係を一般的に考察する場合、政治学の研究ではゲーム理論的なモデルを用いることが一般的になっており、この著作でもそのようなアプローチが採用されています。著者は第5章で囚人のジレンマを取り上げていますが、これも政治学者にはなじみ深いゲーム理論の成果の一つです。

囚人のジレンマが明らかにしていることを要約すると、各人が互いに協力していれば、全体として最大の利益が得られることが予想される状況であったとしても、個々人が自らの利得を最大化しようとすると、相手を裏切った場合に得られる利益を追求することが合理的に導き出される戦略となり、その結果として全体としての協力が成立しなくなる場合があるということです。これは2者間のゲームを想定した考え方ですが、より多くの行為主体が参加するゲームに拡張することも可能です。国際社会で平和維持が全体の利益を最大にする戦略であっても、一部の国家が裏切って武力攻撃を仕掛ける戦略を選択することも、このような視点から説明が可能です。

著者は、国際社会で裏切りが発生する原因として囚人のジレンマに着目し、その対策として国際レジームが重要であると考えました。ここでの国際レジームは国家の行動を規制する原則、規則、規範、意思決定の手続きの組み合わせを意味しています。著者自身は「原則、規範、ルール、意思決定手続きはすべて行動についての規定を含んでいる。すなわち、それらはある行為を指図し、他の行為を禁止している。それらの規定は義務を表しているが、階層的な法体系によって強制されるものではない」と説明しています(邦訳、66頁)。ここで強調しておかなければならないのは、国際レジームが国内法のように強制力に裏付けられた原則、規則、規範、手続きではないということです。そのため、直観的には国際レジームが頼りなく、持続的な国際協調を維持する上であまり役に立たないように感じられるかもしれません。しかし、著者は国際レジームがいったん設定されると、各国は他国と協調を図ることが容易になると論じています。

強制的能力の裏付けがないにもかかわらず、国際レジームが国際政治で相互協力を促進することができるのは、国際情勢の不確実性を軽減することができるためです。先に述べた「囚人のジレンマ」は裏切りを発生させる要因として、双方に相手の裏切りを心配させる状況の不確実性が重要であることを示しています。この不確実性は単なる情報不足ではなく、国家間で持つ情報に著しい偏りがあることを意味しています。このような場合、各国は自国だけが知らない情報があることを警戒し、誰かに騙されないように過剰に注意を払おうとするので、結果として国際協調を妨げることになります。

著者は国際レジームには交渉に参加する国々が情報を共有することを助ける機能があり、欺瞞を受ける可能性や、誤解によって不利益を被る可能性を軽減することができます。もちろん、すべての国家が常に既存の国際レジームに依拠して行動するわけではありませんが、国際レジームを一方的に変えようとすると、その国家は新しい国際レジームを他国に受け入れさせるために多くの時間と労力を費やして外交交渉を行わなければなりません。これを取引費用(transaction cost)といいます。取引費用はいったん新しい国際レジームが他国に受け入れられるまで支払わなければならないので、既存の国際レジームを維持した場合に比べると、どうしても割高になってしまいます。これは、誰かに強制されているわけではないにもかかわらず、国際レジームが国家の行動を制約する上で有効であることの理由でもあります。

以上のように国際レジームの効果を理解することができれば、なぜ国際レジームが覇権国の存在が国際社会の安定化に必ずしも寄与する場合ばかりではないのか説明が可能となります。著者は覇権の衰退が国際的な協調を後退させる効果はあると認めつつ、覇権国が設定した国際レジームが国際社会ですでに受け入られている場合には、それが国際的な協調を持続させる要因になると主張しています。つまり、覇権国と国際レジームは別々の方向から国際社会の協調を促進することに寄与します。国際政治において権力の側面は常に重要であるため、覇権国の能力が低下すれば、それは国際的な協調の持続性を危うくしますが、いったん設定された国際レジームが機能し続けている限り、協調関係が維持される可能性は十分にあります。もちろん、覇権国の能力低下が深刻なまでに進めば、国際レジームが機能しなくなる事態は起こり得ますが、そのような場合でも各国は国際レジームを完全に放棄するのではなく、改めて協調を持続させるような新しい国際レジームの構築に向けて動き出すと考えられます。

著者が第10章で展開している事例分析の成果を一つ紹介します。1973年、失地回復を図るエジプトとシリアは南北からイスラエルに対して軍事侵攻を行い、第四次中東戦争が勃発しました。中東のアラブ諸国はエジプトとシリアを支持し、イスラエル寄りの立場をとるオランダ、アメリカに経済制裁を課すことを決定したため、同年10月から12月にかけて石油の供給が世界的に落ち込みました。これが石油危機と呼ばれる出来事であり、各国は自国の石油の供給だけは確保しようとして競争を始めました。フランスやイギリスは自国の石油産業を優遇し、イタリア、スペイン、ベルギーは石油の輸出を制限し、アメリカ、日本、ドイツは石油の現物市場の価格を引き上げました。各国が自国の利益だけを追求したために、石油の供給はますます不安定化し、1973年10月から1974年1月まで1バレル当たり3ドル程度だった石油価格は、最悪のときには1バレルあたり16ドルから17ドルにまで高騰しました。

1974年11月にアメリカが主導して国際エネルギー機関(International Energy Agency, IEA)が創設され、緊急時に加盟国の石油備蓄を相互に融通する仕組みを整えましたが、1979年の石油危機でこの仕組みは上手く機能しませんでした。国際エネルギー機関の事務局は一連の危機から多くの教訓を学び、1980年に現物市場で異常な買い付けを思いとどまることを政府だけでなく、民間の市場関係者にも要求し、各国の企業と協議を進めました。1980年にイラン・イラク戦争が勃発したとき、再び石油の供給は急減し、現物の価格は1バレル31ドルから12月までに40ドルと高騰したものの、年末までに35.50ドルに下がり、その後は徐々に落ち着きを取り戻していきました。国際レジームが各国が選択できる行動方針を制限しつつも、国際的な協調に対する見通しを改善することによって、現実に協調を持続させた事例です。

こうした国際レジームの研究成果を知っておけば、外交で平和を維持することを目標とした場合でも、ただ相手と対話を続けていればよいわけではないことが分かります。囚人のジレンマから抜け出す上で重要なことは、関係国が直面する不確実性の問題に対応できる仕組みを制度化することです。

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