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論文紹介 外交交渉では外国の要求と国内の要求を同時に満たさなければならない

ロバート・パットナムは『哲学する民主主義(Making Democracy Work)』(1993;邦訳2001)や、『孤独なボウリング(Bowling Alone)』(2000:邦訳2006)などの業績で、自主的に組織された住民集団の活動を支える社会関係資本(social capital)の蓄積が、効率的な行政運営を促進する効果を持つことを論じた政治学者です。しかし、彼の研究は社会関係資本の領域にとどまるものではなく、国際政治学、特に外交交渉の難しさを考察したことでも知られています。

今回は、パットナムが外交交渉を分析するために提案したモデル、「2レベル・ゲーム」について紹介しようと思います。このモデルは一般に国内政治と国際政治が単に表裏一体のものであることを説明したものであり、外交交渉が常に成功するとは限らない理由を考える上で参考になります。

Putnam, R. D. (1988). Diplomacy and domestic politics: the logic of two-level games. International organization, 42(3), 427-460. https://doi.org/10.1017/S0020818300027697

国際政治学の分析では、国家間で行われる交渉の過程に注目することが多いのですが、国家主体単位で交渉行動を見ていても、その国家主体の交渉行動を上手く説明できない場合がしばしばあります。これは国家が単一の行為主体ではなく、国内で指導者の立場、首脳部の構成、あるいは政策過程に参与することが可能な政党、官吏、ロビイスト、メディア、専門家など、多種多様な行為主体が影響を及ぼすためです。パットナムは、このような現実を踏まえて、外交交渉を進める国家の指導者は、国内でも交渉状況に置かれている状況をモデル化しました。国際的な交渉はレベル1、国内的な交渉はレベル2であり、これらの交渉を同時に解決する戦略を見出すのが2レベル・ゲームにおける目標です。

それまでにも、国内政治が国際政治に、国際政治が国内政治に影響を及ぼすことは理解されていましたが、パットナムの研究が優れていたのは、それら両方が相互作用するモデルを提案したことです。2レベル・ゲームでの問題は国内外の複雑な利害関係を調整し、条約の発効に到達することです。条約は外国と合意した上で署名しますが、それだけでは発効に至りません。議会が批准することによって、ようやく発効に至ります。そのため、指導者が考えるべきは、国内の政治状況で批准が見込める合意であり、外交交渉では、その制約の下で自国の要求や他国の要求に対する態度を選択しなければなりません。パットナムの用語では、このような立場の組み合わせをウィンセット(win-set)と呼びます。ウィンセットが大きくなるほど、選択肢は増加するので、国際的な合意に到達する可能性も高くなります。

「第一に、ウィンセットが大きくなればなるほど、レベル1の合意を形成する可能性は大きくなる。その定義に基づけば、合意はいかなるものであれ成立するために、レベル2の交渉当事国のウィンセットの範囲に落とし込まなければならない。つまり、双方の当事国のウィンセットが重なり合っている場合にのみ合意することは可能になるのであって、双方の国家のウィンセットが大きくなるほど、それらが重なり合う可能性は大きくなる。逆にウィンセットが小さくなるほど、交渉が決裂するリスクが大きくなる。一例を挙げると、フォークランド諸島/マルビナス諸島をめぐるイギリスとアルゼンチンとの交渉では、それぞれの国内政治上の理由から複数の合意案が拒絶された。このことは、イギリスとアルゼンチンのウィンセットがまったく重複していないことが明確になると、もはや戦争を避けることは事実上不可能になった」

(pp. 437-8)

国際政治では国家間が協力関係を維持することが難しい理由として、約束を破り、裏切ることによって自らの利得を最大化することが合理的な場合があると議論されることがありますが、パットナムはそのような見方には一面性があると述べています。確かに、国家は意図的に他国との約束を破り、裏切る場合はありますが、それは指導者が意図せずに行われることがあることが2レベル・ゲームでは示唆されているためです。つまり、国際協力を維持しようと外交努力を積み重ねたとしても、その結果として得られた合意がどちらか一方の国内政治の事情から拒絶されると、意図しない裏切りが発生してしまいます。そのため、外交交渉では相手が履行を確実に履行することが可能なのかを見極めることも重要な課題になります。

ウィンセットの大きさが重要な理由はもう一つあります。先ほど、外交交渉におけるウィンセットが双方の当事国ともに大きい場合は合意に繋がりやすく、双方の当事国ともに小さい場合は交渉決裂になりやすいと述べましたが、一方の当事国だけウィンセットが大きく、他方の当事国はウィンセットが小さい場合も考えられます。このような場合に、パットナムはウィンセットが大きい当事国はウィンセットが小さい当事国によって振り回される立場に置かれる可能性が高いと指摘しています。なぜなら、ウィンセットが小さい当事国は「あなたの提案を受け入れたいが、それは国内では受け入れられない」と主張することで、相手から必然的に譲歩を引き出すことが可能になるためです。これはトーマス・シェリングによって最初に指摘された可能性であり、シェリングは戦略として自らのウィンセットの小ささを相手に伝えることで、それが事実上の脅しとなることを分析していました(p. 440)。

すでに述べたように、ウィンセットの大きさは、国内政治、つまりレベル2における制度的な権力の配分、選好、そして連合体の可能性によって決まります。何が争点になっているかによって、レベル2で考慮すべき人物の組み合わせは変化しますが、基本的に合意を拒否することが容易になるほど、ウィンセットは小さくなっていきます。また、選好の種類として国際協力に反対する孤立主義者が国際協力に賛成する国際主義者を上回るのであれば、それもウィンセットを小さくすると考えられます。それだけでなく、レベル1で実際に他国と交渉する担当官は、国内の選好が一様ではないことに注意を払わなければなりません。レベル1の交渉過程で問題となるのは、自国と他国との間にあるウィンセットの隔たりですが、ある種の譲歩に対して強く抵抗する国内の強硬派、タカ派が合意を阻害することを防ぐことも必要です。

このように説明すると、国内政治が分裂しておらず、一枚岩になっている方が外交交渉が容易になるかのようなイメージを抱かれるかもしれませんが、パットナムは必ずしもそのような場合ばかりではないと指摘しています。むしろ、国内において深刻な政策論争が起こり、厳しい対立が発生していることによって、国際的な合意の形成が促進される可能性があると述べています。例えば、民主主義国で合意Aと合意Bという2種類の選択肢が与えられ、45%の有権者の選好がA>合意なし>Bであるとします。また、別の45%の有権者の選好がB>合意なし>Aであるとします。最後の10%の有権者の選好がB>A>合意なしとします。この国内状況であれば、AとBはどちらも過半数の有権者の支持を集めることができるウィンセットになります。このような場合、レベル1の交渉において交渉担当官は相手がAとBのどちらがウィンセットであったとしても、合意に到達することが期待できるでしょう。

ただ、これは現実の民主主義国が条約を批准する手続きとはかけ離れた想定であるため、あくまでも理論的な可能性を示しているにすぎません。実際の批准の過程では、議会の手続きが合意の成立を左右する問題になってきます。例えば、二院制の議会で上院の定数が100人であり、批准に3分の2以上の投票が必要であるとすれば、100人の上院議員のうちの34人だけで批准を阻止できます。パットナムは、民主主義国の外交交渉でこれは常に考慮しなければならない政治的制約であること、その結果として国家主体として意図しない裏切りが生じやすくなり、交渉相手に警戒心を抱かせることになると指摘しています。

その他にもパットナムはいくつかの論点を出していますが、ここでは簡単に触れるにとどめておきます。レベル1の交渉過程では、いかに交渉相手にウィンセットを拡大させるかが課題ですが、その際にサイドペイメント(side-payment)を利用する場合があります。サイドペイメントは相手国の国内政治に影響を及ぼす手段であり、交渉の争点とは直接的に関係がない領域で何らかの利得を与えることをいいます。例えば、1977年代にアメリカがパナマの要求に応じてパナマ運河地帯の返還を受け入れたときに、アメリカ政府は相手の譲歩を引き出す手段として公共事業の支援など、さまざまな誘因を提示しています(p. 450)。ただ、効果的なサイドペイメントを実施するためにも、相手のレベル2に関する情報を慎重に収集し、分析しなければなりません。外国の政治状況を把握することは難しく、相手のウィンセットを把握することができないのが交渉の現実です。当初、予想していたウィンセットとはまったく異なったウィンセットを相手が持っている場合、交渉の計画を大幅に見直す必要があることも考慮しなければなりません。

2レベル・ゲームは国際政治と国内政治がどのように関連しているのかを理解する上で有益な枠組みです。それはモデルにすぎませんが、外交交渉で直面する課題を巧みに表現しています。国家の安全保障にとって外交が重要であることは誰もが認めるところですが、現実に外交交渉が常に成功するわけではなく、それが失敗するリスクがあることをよく認識しなければなりません。パットナムが述べている通り、そもそも対立する両国が提示できるウィンセットが重なり合わない場合、いくら交渉しても平行線に終わってしまいます。

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