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政治ヒューリスティック論とは何か?

政治学では、長年にわたって心理学の成果を取り入れた理論構築が進められてきましたが、この記事ではその成果の一つとして政治ヒューリスティック論(Poliheuristic theory)を紹介したいと思います。政治的意思決定を記述するために構築されてきた理論です。

政治ヒューリスティック論の最大の特徴は、合理的モデルと心理的モデルを組み合わせ、それらを一貫した理論にしたことです。この理論によれば、指導者の政治的意思決定は2つの段階を通じて実施されています。第一段階では、指導者にとって政治的に許容不可能な政策をあらかじめ選択肢から除外し、意思決定に伴う認知的な負担を最小化しておきます。第二段階で、指導者はそれぞれの政策選択の利害、得失を比較検討し、最も大きな利益が期待される選択肢を合理的に特定します。

この理論の面白い点は、第一段階で国内状況から選択肢が満足できないと指導者に判断されると、注意深く考慮されることなく二度と検討の対象にならなくなることが分かる点です。つまり、第二段階に進んだ時点で、指導者は合理的な意思決定を試みていますが、すでに選択肢は少数に絞り込まれているので、その意味で限定された合理性しか発揮できません。

1993年、Alex Mintzは「イラクを攻撃する決定(The Decision to Attack Iraq)」という論文で初めて政治ヒューリスティック論の原型を提示し、湾岸戦争におけるアメリカの政策決定を説明するために応用しました。そこではジョージ・H・W・ブッシュ大統領が、軍事的バランスや戦略的相互作用ではなく、国内の政治経済状況に基づいて選択肢を絞り込み、開戦に踏み切ったことが説明されています。1997年にはNehemia Gevaとの共著論文「意思決定の政治的ヒューリスティック論(The Poliheuristic Theory of Decision)」で、より一般的な政治的意思決定の理論として再構成されていますが、MintzとGevaは、国内の状況こそが指導者にとって最も重要な問題であり、それが対外政策を規定する重要な要素であると主張しています。

Mintzは2004年の論文「指導者はどのように決めているのか?(How Do Leaders Make Decisions?)」で2003年のイラク戦争におけるトルコの対外政策を取り上げ、この理論を使った説明を行っています。アメリカはイラクを北部から攻撃するため、6万2000名の部隊をトルコに展開する許可を求めていましたが、2003年3月1日にトルコ議会はこれを受け入れませんでした。アメリカはトルコに対して軍隊の通過を認めれば、300億ドルに相当する経済援助が期待できましたが、国民の多くがアメリカ軍がトルコの領土を通じてイラクに侵攻することに強く反発していたためです。しかし、その後でトルコ政府は自国の利益を最大化するため、アメリカ軍をはじめとする多国籍軍の軍用機がトルコの空域を飛行することは認めました。政策選択に伴って発生する費用を最小限に抑制することが意図されていたと考えられます。

Mintzは特に以下のような可能性をもたらす選択肢については、政治家が第一段階で検討を避けるものの典型と説明しています。いずれも国内政治において政権を維持することを難しくするものです。

・政権の存続に対する脅威
・政策に対する国民の支持の顕著な低下
・政権支持率の大幅な落ち込み
・選挙で敗北する見込み
・国内における反対運動
・体制の存続に対する脅威
・党内の対立や競合
・体制に対する対内的、対外的な挑戦
・連立、政権、体制が崩壊する可能性
・指導者の政権、尊厳、名誉、あるいは正当性に対する脅威
・デモや暴動など
・拒否権プレイヤー(例えば議院内閣制における主要政党など)の行動(Mintz 2004: 9)

一部に曖昧さが残ることも批判されていますが、政治家の限定的な合理性を説明する上で政治ヒューリスティック論は有用であり、それぞれの国家の内部で展開されている政治状況を理解することが、国際政治に対する理解にも欠かせないことを示唆しています。

参考文献

Mintz, A. (1993). The Decision to Attack Iraq. Journal of Conflict Resolution, 37(4): 595–618. https://doi.org/10.1177/0022002793037004001
Mintz, A. (2004). How Do Leaders Make Decisions? Journal of Conflict Resolution, 48(1), 3–13. https://doi.org/10.1177/0022002703261056 
Mintz, A. & N. Geva. (1997). The Poliheuristic Theory of Decision. In Decision Making on War and Peace: The Cognitive-Rational Debate, N. Geva & A. Mintz, eds. Boulder, CO: Lynne Rienne, pp. 81-101.

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