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なぜ軍事学で戦略の原則として戦争を避けるべきだと考えられているのか?

軍事学の基本的な考え方の一つは最適化(optimization)だといえます。最適化は目的を達成するのに最も適した条件、方法を特定することを意味しており、例えば、防衛力を整備するために追加の予算が必要である場合、最小限の費用(軍事費)で最大限の利益(軍事力)が得られるような軍隊を準備できるように防衛計画を立案するべきでしょう。

最適化の考え方を戦略の分析に適用する研究者の間では、戦争を始めることは最後まで避けて然るべきであり、可能な限り戦争に訴えることなく目的を達成することが望ましいというのが定説になっています。特に核兵器が開発されて以降、軍事学の研究の重点は戦争を遂行することよりも、平和を維持することに移行したといえます。

ただ、この発想は軍事学の歴史では目新しい思想ではありません。中国で編纂された兵書として有名な『孫子』は、戦車1000両、輜重車1000両、兵士10万名を国から離れた戦地へ派遣すると、その部隊が作戦を遂行するために1日で1000金も支出しなければならないと見積り、長期戦になれば国家の経済が窮乏してしまうだろうと警告しています。

それゆえ、『孫子』では、最善の手は敵の策謀を破ることであり、次に望ましい手は敵を外交的に孤立させることであり、敵軍を戦場で撃破するのはその次に望ましい手に過ぎないとも論じられています。一般的に武力をもって敵軍を攻撃することは最適な戦略とはなり得ないのです。『孫子』で最悪に近い手とされているのは、敵の城を攻めることです。これは作戦の準備に何か月も要する上に、我が方に多大な損失をもたらす恐れがあり、しかも攻撃しても落城しないというリスクさえあります。

合理的な戦略家は、軍隊を動かす費用と、戦闘で敵を撃滅することの不確かさを考慮に入れ、戦争によらずに目的を達成できる人であるというのが『孫子』の基本思想なのです。

現代の軍事情勢を踏まえ、戦争の費用があまりにも大きすぎることを指摘した研究者としてはバーナード・ブローディ(Bernard Broadie)を挙げることができます。彼は第二次世界大戦で核兵器が登場したことにより、もはやどのような重大な国益を実現するためであったとしても、戦争に訴えることは非効率的になったと考えました。これからの戦略の課題は戦いで敵に打ち勝つことではなく、戦いを抑止し、外交を支援することであると主張したことも彼の功績です。

1946年に彼が共著者と共に初めて核戦略に関する論文を出したとき、まだアメリカだけが核保有国でしたが、10年以内にソ連も核兵器の製造が可能になると予見しており、そうなれば「まったく新しい戦争形態」が生じると予見していました(Broadie 1946: 63-9)。

核保有国間で戦争が勃発したとして、戦闘で敵を撃破することにどれほどの意義があるのかを考え直さなければならないとブローディは考えました。従来通り、戦場で軍事的な勝利を追求すると、追いつめられた敵は無差別的に核兵器を使用する核戦争に移行するかもしれません。

したがって、その前の段階で敵を外交交渉に誘導することの方が戦略としては重要ではないかと彼は分析しています。そうすれば国民に戦禍をもたらす核戦争を回避することが可能です。このようなブローディの議論は、その後の核戦略をめぐる論争の端緒となったのですが、ここでは核戦略の学説史に深入りすることは避けておきます。

最後に、より厳密な理論的分析によって戦争の非効率性を解いた研究を紹介しましょう。スタンフォード大学のジェームズ・フィアロン(James Fearon)教授が1995年に出した「戦争の合理的説明(Rationalist Explanations for War)」は、ゲーム理論に基づいて戦争を交渉の過程で当事者が選択しえる戦略の一つとして定式化した研究の成果です。

フィアロンの見解によれば、何らかの利害の対立がある中で当事者のどちらか一方が戦争に訴えると、必然的に軍事作戦の費用を負担しなければなりません。その費用は戦争によって得られるかもしれない利益を相殺してしまうと考えられます。しかも、軍事作戦が成功するかどうかは不確かであることも考慮すると、戦争によって期待できる利益は実質的はさらに限定的になります。

このような場合、戦争に訴えることなく、交渉によって利害の対立を調整し、交渉可能な範囲で合意を模索した方が、双方にとって合理的な戦略となるというのがフィアロンの分析です。学術的な意義として強調すべき点は、戦争の費用がどれほど小さいとしても、また作戦が成功する確率がどれほど大きいとしても、戦争が交渉より望ましい戦略になるということは不可能であることをフィアロンは理論的に証明したということです。

以上の研究をまとめれば、どれほど強大な軍事力を持つ大国であったとしても、小国に対して戦争を仕掛けて屈服を求める戦略は、常に非効率であることが分かります。戦略をめぐる研究がこのように進展し、戦争の非効率性が繰り返し指摘され、理論的な証明までなされているにもかかわらず、戦争が未だになくなっていないことは、軍事的な理由というよりも、政治的、外交的な理由によって説明すべき事象であると私は考えます。

例えば、フィアロンは交渉を妨げる要因として、合意が長期的に履行される保証がないことや、争点の性質から両者の妥協点を見出せないこと、双方が正確ではない情報を伝える可能性によって、交渉が妨げられる恐れがあることを指摘しています。あるいはブローディのように人間の合理性には限界があることを考慮に入れるべきなのかもしれません。

いずれの説を採るにしても、軍事学の立場で最適な戦略を考えるのであれば、国家の指導者は戦争の費用の大きさに十分に注意を払うべきであり、その上で戦争から見込める利益を相対化しなければなりません。戦争を始めるにしても、可能な限り早期に終結させることを追求すべきであり、軍事行動は外交交渉を推進する手段として捉えるべきです。さもなければ、具体的な利益を見出せないにもかかわらず、漫然と戦争を長期化させて経済を荒廃させ、自らを追いつめることになり、核戦争にエスカレートする危険を冒すことになるでしょう。

参考文献

Brodie, B., ed. (1946). The Absolute Weapon, New York: Harcourt, Brace. 
Fearon, J. D. (1995). Rationalist explanations for war. International Organization, 49(3), 379-414. https://doi.org/10.1017/S0020818300033324

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