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論文紹介 なぜ安全保障の問題を軍備管理で解決できない場合があるのか?

国家は安全保障上の必要から軍備を維持していますが、多くの人々がその費用を別の公共事業に使用することを望んできました。その対策として考案されたのが軍備管理(arms control)であり、これは国際的な合意に基づいて、各国の軍備の水準を一定に制御する取り組みです。

しかし、国際政治史において軍備管理が実現した事例は決して多くはありません。これは軍備管理の前提となる国際的な合意が確実に履行されているかどうかを確かめる検証(verification)に技術的な難しさがあることと関係しています。以下の論文は、検証上の課題が合意の確実な履行に対する国家の見通しにどのような影響を及ぼし、それが軍備管理の成功をどのように妨げているのかを考察しています。

Coe, A. J., & Vaynman, J. (2020). Why arms control is so rare. American Political Science Review, 114(2), 342-355. https://doi.org/10.1017/S000305541900073X

著者らは、安全保障上の問題で利害の対立がある2か国が軍備管理を行おうとすると、その合意が履行されているかどうかを確認するために、相互が相手の能力を検証し、透明性を確保しなければならないと指摘しています。ここで問題となるのは、双方が透明性を確保しようとするときに、軍備管理で規制の対象となる軍備の情報だけを相手に提供することが難しいということです。

例えば、ある国家が、軍備管理によって保有を禁じられている特定の装備品を基地に配備していないことを確認する査察を受け入れるとします。この査察団は任務を遂行する過程で、その基地の内部に関する詳細な情報も得り、また悪用される危険があります。もし巡航ミサイルでその基地を攻撃することになれば、基地の内部にある建物や設備に関する詳細な情報を利用するかもしれないためです。これは対外政策として軍備管理を実施するために透明性を追求すると、自国の軍事態勢の脆弱性が増大していき、かえって安全性が損なわれる恐れがあることを意味しています。著者らは、これを「透明性と安全性のトレードオフ」と呼び、軍備管理の重大な障害として位置づけています。

著者らは、2国間で軍備管理が成立するための条件を探るために、数理モデルに基づくさまざまな分析を展開していますが、ここで注目したいのはイラク戦争の事例分析です。アメリカは2003年にイラクに対して武力攻撃を加えましたが、その戦略目標の一つはイラク政府が保有していると推定されていた大量破壊兵器を管理下に置くことだとされていました。しかし、戦後に行われた調査によって、イラクが大量破壊兵器を保有していなかったことが明らかになっており、1996年までに開発を中断していたことが事後的に判明しました。著者らは、もし軍備管理のアプローチによってアメリカがイラクを武装解除することができていれば、軍事侵攻によらずとも政策目標を達成することができていた可能性があると指摘し、そうならなかった理由を透明性と安全性のトレードオフで説明しています。

イラクのサダム・フセイン大統領はイラン・イラク戦争(1980~1988)を通じて大量破壊兵器の開発を行い、湾岸戦争が勃発する前には生物兵器と化学兵器を取得し、核兵器の開発も進めていました。フセイン大統領は、戦後に核開発を中断しましたが、研究開発に必要な人材を有しており、アメリカは短期間の開発で核兵器の取得に至る恐れがあることを憂慮していました。アメリカはイラクの軍備を監視するだけの能力を持っておらず、中央情報局が提出した報告も多くの推定に基づくもので、情報の確度は低いものでした。1991年から国際連合大量破壊兵器廃棄特別委員会(United Nations Special Commission)は、イラクの武装解除を監視することを目的とした査察を行い、当初はフセインも協力的な姿勢をとっていました(イラク武装解除問題)。

しかし、アメリカはこの査察を透明性の確保だけでなく、秘密作戦の遂行に利用していました。査察団に中央情報局の工作員を参加させ、イラクの国内で反体制派と接触していたことが明らかにされています。査察団の立ち入り先は、軍事施設だけでなく、フセイン大統領の官邸にも及びましたが、これは装備品を隠蔽できるほど官邸が広大な敷地を有していたためだとされました。しかし、このような査察で得た情報がイラクで反体制派に入手されると、フセインの身辺警護が難しくなる恐れがありました。実際、イラク側では、国際的査察を受け入れるほど、安全性が犠牲になることに対して懸念する声があがっていました。この出来事に関しては、著者も参照しているグレゴリー・コブレンツの「サダム対査察官(Saddam versus the inspectors)」(2018)が詳しいので併せて紹介しておきます。

イラクの武装解除の事例が示しているように、透明性と安全性のトレードオフは、軍備管理体制を維持することを難しくしてしまいます。著者らはそのことを次のように説明しています。

「軍備管理の重要な障害は、監視に伴うトレードオフにある。一方が軍備の制限を遵守している ことを保証するためには透明性が求められるが、透明性を確保すれば、他方に軍備競争あるいは戦争で利用されかねない脆弱性が露呈してしまう可能性がある」

(p. 12)

ちなみに、この論文で述べられている透明性と安全性のトレードオフについては、1960年代から公平中立な検証制度の難しさとして指摘されてきたものです。こうして軍備管理の課題を突き詰めて考察すると、国際政治において平和を維持するために、情報活動の重要性が改めて認識できるのではないかと思います。

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武内和人|戦争から人と社会を考える
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