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政策分析とは何か、どのように行うのか?『公共政策を理解する』の紹介

政策は複雑な研究対象です。それは国家活動の基本方針として定義できますが、その設計は政策領域によって異なっています。

国民の大多数が社会経済活動を実施する上で必要としている治安維持、防衛活動、インフラ整備といった公共財を供給できるように設計されている場合もありますが、政権の中枢を占める一部の有力者が、私腹を肥やすために政策を操作し、私的財の供給を増やすこともあります。政策の立案において政治的な利害が入り込むと、公共的利益を損なう政策が形成される恐れがあります。

このような政策の特徴を調べるために、政治学では政策分析(policy analysis)という研究領域が発達しています。

トーマス・ダイ(Thomas Dye)の著作『公共政策を理解する(Understanding Public Policy』(2011; 2013; 2017)は、何度も版を重ねてきた政策分析の教科書です。理論的なモデルを示すだけでなく、歴史的な事例を示すことで、政策分析をどのように展開すべきかを具体的に教えてくれます。

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政策分析では、さまざまなモデルが使われていますが、著者はそれらを8種類に区分できると述べています。

「長年にわたって、政治学は、他の科学的領域と同じように、政治的活動を理解するためのモデルを数多く開発してきた。これらのモデルには過程モデル、制度モデル、合理的モデル、増分的モデル、団体モデル、エリート・モデル、公共選択モデル、ゲーム理論モデルが含まれている。これらの用語は、それぞれ政治学の文献に見出される主要な概念的モデルを表している。公共政策を研究するために導出されたモデルではないが、それぞれが政策に関する異なった考え方を与えており、公共政策の原因と結果について一般的な示唆を与えるものもある。これらのモデルは、どれか一つだけが最善であると判断できるような競合関係にはない。それぞれが政治活動に関して別の視点を与え、それぞれが公共政策に関して異なる理解をもたらす上で役立つ」(Dye 2017: 10)

それぞれのモデルの特性を単純化して説明すると、最初の過程モデルは政策が形成される過程を政治主体の認知や行動の連なりとして捉えるものです。それに対して制度モデルは政治行動を方向づけ、あるいは制約している政治制度の結果として政策が形成されていると考えます。これら二つは政治学で最初に学ぶことになる標準的なモデルであるため、必ずしも政策分析に特化したモデルではありません。

合理的モデルは、政治家が社会全体の利益を最大化し、費用を最小化するような政策を選択すると想定する理論的モデルであり、政策分析により特化しています。環境の変化に応じて柔軟に政策が変更されることが想定されているのが特徴です。これに対して増分的モデルは、政策のほとんどの要素は過去の政策を続行したものであること、つまり一度に変更を加えることが可能な部分は限定されていると想定します。つまり、政策を変更する際にも、予算の編成、法令の改正といった措置は一度に完了するわけではなく、時間を要するはずだと想定しています。

団体モデルは、社会の内部でさまざまな個別、特殊な利害に基づいて形成された組織(例えば経営者団体、労働組合、業界団体、宗教団体、民族団体、学術団体など)に注目し、彼らが自らの利益を実現するため、互いに政治的影響力を競い合った結果として政策が形成されると考えます。これに対してエリート・モデルは国家の支配的地位にあるエリートの信念、選好、思想が政策に反映されていると見なしています。エリート・モデルの特徴は、政策過程に参加する当事者間で利害の対立が大きく現れるものではないと想定していることです。

公共選択モデルは、経済分析を政策の研究に応用したものであり、利己的な個々人が集団的な意思決定を下すことによって政策が形成されていくものとして考察を進めるモデルです。投票の仕組みが決定に与える影響を考えるのに適しており、国内の問題を対象にした政策分析でよく用いられます。ゲーム理論モデルも、利己的な個々人を意思決定者と想定していますが、公共選択モデルとは異なり、それぞれが個別的に意思決定を下していく状況を想定しています。これは国際政治、特に外交や防衛の問題を対象にした政策分析でよく使われます。

モデル構築で想定している政治のあり方が異なるので、どのモデルが最も優れているというわけでもありません。また、これらのモデルを機械的に当てはめれば、誰にでも政策分析が簡単に実行できるというわけでもありません。実際に政策分析を展開する際には、政策形成に参加した主体が、どのような意図を持っていたのかを確認することが難しい場合も少なくありません。

この著作の第15章では国防政策が取り上げられており、特に10節でイラク戦争の事例が検討されているので、その内容を一部紹介してみましょう。通常、国防政策では、脅威の動向に応じた軍事行動をとる必要があるため、ゲーム理論モデルに基づく合理的な意思決定が必要であると考えられていますが、イラク戦争では軍事的な合理性を欠いた国防政策が決定されたと著者は指摘しています。

当時、アメリカのジョージ・ブッシュ大統領とドナルド・ラムズフェルド国防長官は、イラク戦争に派兵する際に使用するアメリカ軍の兵力の規模について制限を設ける政策を打ち出しました。この政策を実行するために軍部には小規模な部隊で電撃的にイラクの首都バグダッドに進撃することが求められました。著者の解説では、ブッシュ大統領とラムズフェルド国防長官は、イラク戦争が長期化し、死傷者が増加すれば、政権に対する支持の低下を招くと考え、湾岸戦争(1990~1991)のような迅速な戦果を求めたと記されています。

イラク戦争が勃発した当初、アメリカ軍は要求された通りバグダッドを数週間で攻略することに成功し、その後のイラクの統治はポール・ブレマーが代表を務める連合国暫定当局に委ねられました。この時期に行われた世論調査の結果によれば、アメリカがイラクで戦うことに意義があると答えたアメリカ人は76%ほどでした。これは望んだ通りの結果でしたが、この勝利は一時的なものであり、次第にイラクの治安状況は悪化していきました。

混乱の原因は一つではありません。ブレマーは占領地行政に着手したとき、イラク軍を解散させました。すぐに新たな兵士の採用を開始しましたが、イラク軍を改めて創設するためには、多くの時間を要しました。それだけでなく、ブレマーは、前政権のバース党に籍を置いた多数の行政官、技術者を公務から排除する決定を下しており、電気、ガス、水道、道路といった基礎的な公共サービスが供給できなくなりました。これらの措置は無計画に実行されており、国内を混乱させました。間もなくイラク各地でアメリカ軍に対する反乱が起こり、同時にシーア派とスンニ派の内戦も始まりました。

ブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官は予想外の長期戦を遂行することになり、犠牲者の拡大を防ぐことができませんでした。終わりが見えない局地戦が各地で繰り広げられるようになり、アメリカがイラクで戦うことに意義を見出すアメリカ人の割合は2005年末までに過半数を下回っています。3年後の2008年の大統領選挙でイラク戦争を終わらせることを公約に掲げたバラク・オバマが当選した一因は、イラク情勢の先行きに対する悲観論が広がっていたことが挙げられます。

2009年にオバマ大統領が政権を発足させると、彼は直ちに政策を転換し、2011年12月31日までに撤退を完了させることにしました。この際にアメリカ軍はイラクに一部の兵力を駐留させることを計画していましたが、イラク政府との交渉で合意に達することができず、撤退後のイラクの治安維持能力は大幅に低下しました。このため、イラク・レバントのイスラミック・ステート(ISIL)と名乗る武装テロ組織がイラクの北部で台頭することを防ぐことができませんでした。著者は、アメリカの国防政策の大きな失敗としてイラク戦争を位置づけた上で、それが戦略的な考慮ではなく、政治的な考慮によって形成されていたことを明らかにしています。

『公共政策を理解する』は大著ですが、教科書としての教育的配慮は行き届いており、どの文章も簡潔で明瞭です。政策分析を学びたい方にとって読む価値がある一冊だと思います。ただ、個人的な印象として、政策分析のモデルに関する解説は一般的すぎるかもしれず、例えば利益団体、エリート中心の政策過程に関しては、政治過程論の別の参考書で補足することが必要だと思います。

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