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現代戦における秘密工作の意義と限界を考える

古くから軍事学の文献では、外国に工作員を送り込み、そこで表面的には一般人として生活させつつ、国家の指令に基づいて秘密工作に従事させるという方法が論じられています。

秘密工作は、表向き友好的な関係を維持したまま実行可能な作戦であり、軍隊を動かすよりもはるかに小さな費用で済ませることができます。20世紀に核保有国の間で全面戦争へのエスカレーションを回避する必要が生じたことから、各国は秘密工作に大きな戦略的可能性を見出すようになりました。

この記事では、諜報の分野で教科書として広く読まれているマーク・ローエンタールの『インテリジェンス(Intelligence)』で秘密作戦がどのように解説されているのかを紹介してみたいと思います。アメリカの秘密工作を中心とした解説ですが、現代の秘密工作を全般的に理解する上で参考になります。

プロパガンダ

アメリカでは国家安全保障法の中で秘密工作が「国外の政治的、経済的または軍事的条件に影響を与え、米国政府の役割が公に看取されたり認知されたりすることが意図されていない単一または複数の米国政府の活動」と定義されています(邦訳、ローエンタール、205頁)。この定義から厳格に活動の内容が秘匿された作戦行動であることが分かりますが、同時にローエンタールは秘密工作の種類がさまざまあり、常に武力の行使を伴う者とは限らないことを説明しています。

プロパガンダは最も小規模かつ限定的な秘密工作であり、特定の政治的な結果を引き起こすように情報を流します(同上、210頁)。基本的に外国で友好的な個人や集団を支援し、敵対的な個人や集団を妨害するために使用されますが、より多くの人々の行動を変容させるために、政治や経済に関する虚偽の噂を流すことや、個人攻撃を行うこともあります(同上)。小さな費用で継続的に実行できる秘密工作であり、最も一般的な秘密工作であると言えるでしょう。

政治工作

プロパガンダの影響は微弱であることが普通です。そのため、より大きな影響を及ぼすためには、さらに直接的に政治に働きかける秘密工作を行うことがあります。ローエンタールは、歴史上の事例として冷戦初期にアメリカがイタリアやフランスで党勢を拡大していた共産党を封じ込めようと、特定の政党の選挙運動を資金面や物資面で支援していたことを紹介しています(同上、210-1頁)。当時のアメリカはソ連を封じ込めようとしていたので、ヨーロッパでソ連との外交関係を強化しようとする共産主義政権が成立することを未然に防ごうとしていました。

経済工作

ローエンタールは経済工作が政治工作よりも秘密工作として大掛かりなものであり、さらに強い影響を及ぼすことができるものとして位置づけています。例えば、国民が日用品を手に入れることができるかどうか、物価は安定しているのか、生活を送るための基礎的な要求を満たすことができているかどうかを調べ、その弱点を利用して経済システムを動揺させるのです。経済システムの動揺は政治システムにも波及し、政権の存続を脅かすことが期待されます(同上、211頁)。

ローエンタールは経済工作の事例として1970年から1973年のチリを挙げています。この時期に政権を握った社会主義者のサルバドール・アジェンデを排除するために、アメリカは大規模な経済工作を行っており、労働組合と手を結んでストライキの支援も行っています。アメリカが金融制裁を加えたことも影響し、チリでは深刻なインフレーションが発生し、アジェンデの求心力は大幅に低下しました(同上)。ちなみに、アジェンデはクーデターで政権を失い、国外に脱出する直前に暗殺されています。

クーデター

外国においてクーデターを成功に導くことは、秘密工作の中でも特にリスクが大きいものと位置づけられます。ローエンタールは1953年にイランで、1954年にグアテマラでクーデターを成功させた事例があることを紹介しています。イランのクーデターにはアメリカだけでなく、イギリスも関与していたことが分かっており、結果として反ソ、親米的なザヘディ政権が樹立されました(1953年のクーデター)。先ほどのチリの事例ではクーデターの主体はチリ国民であったが、イランやグアテマラではアメリカの秘密作戦が主体的な役割を果たしました(同上)。

準軍事作戦

クーデターよりもさらに大規模かつ危険な秘密工作が準軍事作戦です。ローエンタールは準軍事作戦は軍隊を作戦に投入しないという点で軍事作戦とは異なるとしています。それ以外の活動の内容は軍事作戦と似通っており、大規模な武装勢力をもって組織的な戦闘を遂行します。1980年代にアフガニスタンでアメリカはムジャヒディンを通じて準軍事作戦を遂行し、ソ連を消耗させることに成功した事例があります(アフガニスタン紛争)。ただ、1961年にキューバに対して行った準軍事作戦は大損害を出して失敗しており(ピッグス湾事件)、大きなリスクを伴う秘密工作であることが分かります。

まとめ

ローエンタールがまとめた通り、秘密工作にはプロパガンダから準軍事作戦に至るまで多岐にわたっていますが、その活動の規模が大きくなるほど政府の関与を否定することが難しくなります。秘密作戦は非公然な活動でなければならないので、小規模な活動であることが望ましいのですが、それでは有効性を十分に確保することが難しくなるというジレンマがあることはローエンタールも指摘しています(216頁)。

つまるところ、秘密工作が成功を収めるためには、有効性や確実性をかなり犠牲にしなければならないため、政策の手段として必ずしも信頼に足るものではありません。少なくとも、偶然の要素によって左右される部分が相当に残ると言わなければなりません。それでも、アメリカをはじめとする大国では情報機関を中心に秘密工作の部門を置いていることを考えれば、それが決して無用の長物ではないことが分かるでしょう。

Lowenthal, Mark M. 2009. Intelligence: From Secrets to Policy, 4th Edition. CQ Press.(邦訳、マーク・M・ローエンタール『インテリジェンス:機密から政策へ』慶応義塾大学出版会、2011年

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