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#禅的自分学
自分学とは、信じ仰ぐことを追求するもの(900)
私は、自分の中に「純粋で清浄なるもの」があると信じ、それを追求していくことを「自分学」と呼んでいます。「純粋で清浄なるもの」とは、私たちが赤ちゃんを見ると、つい無条件に「可愛い、愛おしい」と感じる気持ちを言います。あれこれ考えることなく、無条件に反射的に感じるものです。
「純粋で清浄なるもの」がはたらいている時には、心安らかになっています。いわば、「安心」の境地になっているのです。おそれおののく
施しで分け与えると見返りはあるのか(899)
「布施」すなわち「施し」は、自分のものを分け与えることです。これまでに「施し」について記事にしてきました。今回は、「施し」のまとめをしてみたいと思います。
[「施し」の三つの種類]
「布施」は仏教用語であり、次の三種類に分類しています。
財施とは、金銭や衣服食料などの財を施すこと。
一般的に僧は私物を持たないで修行するので、
財を有する人が僧に施すのが財施。
ただし
誰でもが他者に対して簡単に施しができる (898)
「施し」という言葉を聞いたことがあるでしょう。「施し」とは、恵み与えることです。そのように理解すると、何か財力がある人だけが困っている人に分け与えることができると考えてしまいがちです。
しかし、たとえ財力が無くても施しはできるのです。典型的な霊としては、財を与えるのではなく、教え諭すこともまた「施し」なのです。
代表的な施しの例を示してみましょう。
やさしく見つめて相手に接する。その根底には
心の病には多くの種類がある(897)
私たちが眼にする心の病の代表例として、「うつ病」があります。しかし、それ以外にも多くの心の病があるのです。自分自身が身体または精神的に変調をきたしている場合、関係者のことが気になる場合などに、はたしてどのようなタイプの心の病なのかを調べる必要があります。
厚生労働省のWebサイト
『みんなのメンタルヘルス』=>「こころの病気を知る」
( https://www.mhlw.go.jp/kokoro
正しい心を維持するために-その7 (896)
7回シリーズの最終回です。
これまでに6回にわたって正しい心を維持する考え方を示してきました。その中に一貫して流れているものとして「慈(いつく)しみ」の心があります。「慈しみ」は、言い換えると「あらゆる苦しみをひそかに受け止める気持ち」となります。
仏教の言葉で言うと、「自未得度先度他(じみとくどせんどた、自ら未だ度<わた>らざる先に他を度す)」ということです。自分が救済されていなくても、まず
ものごとを正しく見聞きし、考えていく(895)
私たちは、つい自分の力量だけで世の中を生きているのだと思ってしまうことがあります。しかし、よく考えてみると、自分が他者に影響を与えていることもあるし、周りの事がらと共に生かされているということもあるのです。
生かし生かされているのです。
自分が影響を与えているならば、良い影響を与えるべきです。(そうしないと、巡り巡って自分に戻ってきます。)
また、周りの事がらに影響されているならば、それらを
正しい心を維持するために-その6 (894)
7回シリーズの6回目です。
人間だれしも、良い意味でも悪い意味でも変化(生長)していきます。組織などでは、自分が助けてあげて成長した人が、自分より上位の役職につくことはあるものです。
さて、その人が(何らかの理由で)自分をひどい目にあわせたら、どのように対処すればいいでしょうか。
すでに「正しい心を維持するために-その5」で示したように反撃は無意味です。
答えは、あらためてその人を見直すこ
自己向上のために必要なこと(893)
私たちは、死ぬまで何かを学んでいます。いわゆる「向上」しています。ただし、むやみやたらに、見聞きしたものを覚えていくのではありません。誤った情報や不完全な情報、および無駄な情報などを排除し、真理に沿った正しい知識を得るということです。いわば向上とは、真の心の落ち着きを得ること、深い智慧を得ることを目的としているのです。
向上のためには、努力事項(実践方法)があります。
1. 向上欲を持つ 我
正しい心を維持するために-その5 (892)
7回シリーズの5回目です。
誰かが、あなたに対して攻撃してくることもあります。中傷であったり、侮辱であったり、罵(ののし)りであったりします。それは、誤解が原因かもしれませんし、嫉妬心が原因かもしれません。恐らく、不当なものでしょう。
そのような場合、あなたはどう対応しますか。反撃でしょうか、第三者に支援を依頼するのでしょうか。もしも反撃すれば、それは修羅道(しゅらどう)、すなわち戦争(喧嘩)
深く呼吸するときの注意点(891)
一般的に、気持ちを落ち着かせようと思う時などに「息を調(ととの)える」ということをやります。坐禅は、その典型例です。
しかし、呼吸を調えようと思っても、うまく行かない場合があります。
気持ちが上気した状態で呼吸する。
激しい運動後とか病気で、息苦しい音がするような呼吸になります。
これでは、気持ちが散漫になってしまいます。
➡️まずは、意識をおへその下くらいにある丹田に集めるように
正しい心を維持するために-その4 (890)
7回シリーズの4回目です。
私たちの生活では、気持ちよくつき合える人たちだけではなく、問題を起こす人も周りにいるものです。たとえば、つい嘘をつく人であったり、反抗をする人であったり、悪さをする人などがいます。そのような扱いにくい人たちと、いかにしてつきあっていけばいいでしょうか。
大切なこととして、私たちは気持ちよくつき合える人だけではなく、扱いにくい人とも、生かし生かされているのだという事実
三密を自分に適用する(889)
私たちは、もともとは純粋で清浄でした。あまり騒ぐことなく、静かに生活していたのです。それが、成長するにつれて、余計な不完全な知識が身につき、騒いでもいいと思ったり、好き勝手に行動してもいいと思ったりするようになってきているのです。
多くの人が現時点で仏性が覆い被されていて、秘密の状態(仏性が現れていない状態)になってきているのです。しかしもともとは、すべての人は仏性(純粋で清浄なる心、仏になりう
正しい心を維持するために-その3 (888)
7回シリーズの3回目です。
私たちの行動の多くは、これまでの生活を通して形成された価値基準や、蓄積された知識を参照しながら行われると考えてよいでしょう。この時に注意しなければならないのが、価値基準や蓄積知識が完全に正しい知識・経験によって作られたものではない可能性があるということです。
このことを前提にすると、私たちの行動について少しでも心が乱れるような状況になっているかどうかを、点検すべきだ
風が吹いても月は動じない(887)
台風一過で雨があがって風が吹いて雲がなくなって、上空を見るといつもと同じ場所に月が見えます。月は、どんなに風が吹こうが動ずることなく、ただ無心に輝き続けています。
このことを表す禅語に、「風吹けども動ぜず、天辺の月」というものがあります。風は、世間に漂う誘惑や扇動のようなものです。そのような誘惑などに惑わされず、どんな艱難困苦に会おうとも負けずに、耐え忍ぶことを表す禅語です。
実は禅の世界