双極性障害とは。

色々と調べてはいたけども、こちらの動画が一番分かりやすい気がする。

サムネイルで少し怖い印象を持ってしまうかもしれないけれど、どれも本当のこと。

人間、誰もがいずれ死ぬことだけは皆同じ。
それなのに、「死」について語ることはタブー視されがちなのが不思議に思う。

昨年行った、あるお医者さんの講演会を思い出す。

そこで初めて、「自然死」という言葉を知った。
本当の意味は、無理な延命などを行わずに老衰で亡くなることらしい。

ただ、そのお医者さんの「自然死」の解釈は、「自死以外の全て」だった。

防ぐことの難しい、突然の事故や災害、事件などに巻き込まれることもその中には含まれる。
病気もそう。
自死以外の全てが自然なのだ。

自分は初めてそのお医者さんの講演会に行ったが、このご時世でなければ、主にがん患者さんのためのものであったようだ。
そこには「自然死」を目指して治療を続けている人たちが多くいらしたのだと思う。

そして、明らかにこのご時世で体がおかしくなっているにも関わらず、どこの病院にも診てもらえない、異常だとすら認めてもらえない人たちも多かったと思う。

そのお医者さんは、上からの圧力や同業者からの脅迫などに負けずに、がんに限らず、今も必死に治療し、訴え続けて下さっている。

自分もつぶやきサイトをしていた時は、ネット上での啓発活動に参加していた時期もあった。
ただ、途中で辞めてしまった。

自分にとってできることは限られている。
そして、自分自身が全くの別件で療養中の病人だ。

そこで学ぶことも多かったが、とりあえずはその件は置いておいて「自分」をどうにかするのが先だと思った。
ちょうどその頃に病院での診断名も変わったのだ。


話は戻るが、なにもこちらの動画を「自己紹介」のような感じで紹介したいわけではない。

双極性障害はおよそ100人に1人。
決して珍しい疾患ではないと思う。

こちらで説明されていることで、より理解できた気がする。

「寛解」は難しい。
それでも自分が目指すのはそこではない。
「自然死」だ。

だからと言って何もしないわけではない。

目指すものがあるから、治療を続ける。
一生治らなくとも、それは仕方のないこと。
双極性障害の寛解率は50〜60%だ。

目指すものは、「寛解」などよりももっと分かりやすい。
難しさは人それぞれ違うとは思うが、自分はきっと自分で死ぬことはできないだろう。
だから今もこうして生きている。


この世界には楽しいことが沢山あることを知っている。
自分もまだまだ楽しみたいことが沢山ある。

きっと自分は、これまで出会ってきたたくさんの「人」に恵まれたのだろう。

正直、誰一人として「嫌い」などと思ったことはない。

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他人(ひと)のこと
嫌いだなんて 言える程
完璧な人間(ひと) 居るわけないよ
        emi(高3)🍀✨
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自分が高校生の時に書いていた短歌(?)だ。
以前、つぶやきサイトにこのようにして載せていた。

この気持ちは、社会人になって、またたくさんの人たちに出会っても変わらない。

そもそも自分自身が「変わり者」だったからかもしれない。
何か嫌なことをされても、「自分よりはマシ」で全て片付いてしまうのだ。

もちろんそれで苦しみやつらさが無くなることはないが、誰かを嫌うことには繋がらなかった。

その時はまだ病院などには行っていなかったが、そういう意味では、自分の疾患は役に立ってもいたかもしれない。

「いつから…」の答えは何となく出ている。
きっと生まれた時からだ。
その診断はまだ済んではいないが、思い当たることだらけだ。

そもそも育ててくれたばあちゃんが相当な変わり者だったのだ。
きっと遺伝もあるだろうし、ばあちゃんの影響は凄まじかっただろう。
それでも、今は本当に感謝しかない。

今でこそ精神疾患などについて、よく知られるようになったはきたが、ばあちゃんの時代はそうではなかったはず。
そんな中、よく生き抜いてくれた…というか、「どうしてそこまでできたの?」と尋ねたくなるほど、仕事も子育ても孫育てまでしてくれたのだ。

自分は今、既に診断されている疾患の治療と並行して、より自分のことを知るために少し遠くの病院にも行っている。

よく「〇〇障害」と診断されて人生終わった…などと考える人や、中には自死してしまう人もいるようだが、きっとそれほど世間の目は偏見に満ちているのだろう。

そんな中、「診断を受けたい」と思う自分は、やはり変わり者なのだろうか…

自分としては、曖昧なままにしておきたくない。
ただ、より正確な診断を受けて、より良い治療を受けられるようになりたいだけなのだが。

なぜそこに「偏見」があるのかがよく分からない。

もしかしたら、動物の「知らないものに対して警戒する」といった習性にあるのかもしれない。

そういう意味でも自分は子供の頃から「人に恵まれた」と言えるだろう。
障がい者と呼ばれる人との出会いが多かった方なのかもしれない。

友人にも足に障がいを持った子がいた。
そして、おそらく発達障害の子が同じクラスにいたと思うのだが、そのお母さんが定期的に障がいについて教えに来て下さっていたのだ。

詳しいことは覚えていない。
ただ、手話を習って、皆で手話をしながら合唱をしたことはよく覚えている。

きっとそのお母さんのおかげだ。
自分が「人」に対してたまにとてつもなく優しくなれるのは。

変な言い方だが、自分は気分障害が激しい。
ただ、落ち着いている時は、ビックリされるほど人に親切にもなれるのだ。

それも全部、今まで出会ってきた「人」のおかげ。
特に、まだ小さい頃にわざわざ学校まで出向いてまで、自分たちに「障がい」などについて教えて下さった「お母さん」の影響は大きいだろう。

だからこそ、大人になって自分もそうだと思った時に抵抗はなかった。

むしろ、今まで何をやってもうまくいかず、所謂「生きづらさ」で悩んでいた自分にとっては、「希望」のようにすら思えた。
謎解きゲームの謎が一気に解けたかのような爽快感もあった。

「障がい」は厄介なものではあるけれど、自分にとっては、「生まれ持った身体」と同じようなもの。
無理に変えることなんてできるわけがない。

「治療」や「療養」も日常生活の一つにすぎない。
ただ、「生きるためにしていること」。
その種類が他の人と少し違ったり、少し似ていたりもする。

そう思うと皆やってることは同じようなものにも思えてくる。

誰もが「死」に向かって「生きている」。


もうこのくらいで良いだろう。
朝ごはんはとっくに冷めてしまった。

それでもよく噛んでありがたくいただこう。✨

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