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余命1ヶ月弱の父親へ向けた、罪悪感からくる保身行為ブログ

今朝、お医者さんから連絡があった。
早くて1週間。もって1ヶ月でしょう、と。

5月に余命1年という宣告を受けた父だったが、あまりにも衰弱が激しく、年越しはおろかワールドカップさえも見られないという。

衝撃ではあったが、心のどこかで分かってはいた。
顔の肉がなくなり、腕も足も骨と皮だけになり、歩くこともままならない。物も食べられず、とにかく寝たきりの状態。
ひとりで冷蔵庫やソファーを持ち上げることのできた10数年前のおもかげはどこにもない。(67歳だし、どんなに健康な人でもそりゃ厳しいか)

4月中旬より、入院から自宅療養に切り替わった。
「余生を過ごすのは家の方がよい」という、誰かの判断だった。以来、客間の介護ベッドが彼の城となり、スマホをいじったり本を読んで暮らしている。
父はよく本を読む。書棚をまじまじと見たことはないが、そこには時代小説がぎっしり詰まっている。私自身はあまり時代小説に触れてこなかったけれど、幕末大好き人間ゆえ、『竜馬がゆく』と『燃えよ剣』は拝借した。あと、浅田次郎作品を何冊か。
うん、全て面白かった。

本を読む人なのだから、書くこともすればいいじゃない。
物語を創造するとまではいかなくても、ブログとかなんかそういうの。
でも本人にその気はないみたいだし、もうそんな体力も残っていない。
そういうわけで、私の視点から見た父の話を、今後しばらく書いていくことにする。これは息子として何もできない罪悪感からくる、ちょっとした保身行為である。

成生父子はあまり言葉を交わさない。サッカー日本代表の話くらいしかトピックがない。今もそのスタンスは変わらない。
早々にネタが尽きて、「あれ、なんかあっけない連載記事だったな」と拍子抜けする可能性もあるもあるが、まあ、書けるだけ書いてみよう。
弱小な記憶力を、ばびゅんばびゅんフル活動させて、思い出せるだけのことは綴ろう。

あと少ししか共に過ごす時間は残されていないけど、最期までいい感じ(いやもうだいぶ悪いんだけど)にやりましょう。
父の日のプレゼントもAmazonお急ぎ便で注文したから、明日には届くはず。
さすがに明日お別れですなんてことはないだろう…心の真ん中で激しく願ってみる。

【続く】 ←Click

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