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【エッセイ】不安を味方にする逆説的アプローチ

私はどこへ向かっているのだろう。

朝、目覚めると、まず最初に頭に浮かぶのはそんな思いだった。カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の中に不安な影を作っている。

ベッドから起き上がる気力さえ湧いてこない。でも、そんな自分を責めたところで何も変わらないことくらい、分かっているつもりだ。

不安というのは、まるで冷たい霧のようなものだ。気づかないうちに忍び寄り、いつの間にか全身を包み込んでしまう。そして、その霧の中で自分の輪郭さえ見失ってしまう。

私たちは、そんな状況に陥ると、ついつい抵抗してしまう。霧を払いのけようと必死になる。でも、それは逆効果だ。抵抗すればするほど、霧はより濃くなっていく。

私は以前、そんな霧の中で迷子になったことがある。毎日が不安との闘いだった。何をしても上手くいかない気がして、自分自身を責め続けた。そんな日々が続いた末に、ふと気づいたことがある。

不安に抵抗するのではなく、受け入れることの大切さだ

不安を感じること自体は、決して悪いことではない。むしろ、それは私たちの心が正常に機能している証拠なのかもしれない。大切なのは、その不安とどう向き合うかだ。

例えば、こんな風に考えてみるのはどうだろう。

不安は、私たちの内なる声かもしれない。何かが間違っている、何かを変える必要があると教えてくれているのかもしれない。だとしたら、その声に耳を傾けてみる価値はあるはずだ。

ただし、ここで注意しなければならないのは、その声に振り回されないことだ。声を聞くことと、その声に支配されることは別物だ。

私たちにできるのは、その声を客観的に観察すること。まるで、川の流れを岸辺から眺めるように

そう考えると、不安はむしろ私たちの味方になり得る。それは、自分自身をより深く理解するためのきっかけになるかもしれない。

なぜ不安を感じているのか、その根源にあるものは何なのか。そんなことを静かに考えてみる時間を持つことで、思わぬ発見があるかもしれない。

もちろん、簡単なことではない。特に、日々の忙しさに追われていると、立ち止まって考える余裕すらないように感じるだろう。でも、それこそが問題の本質かもしれないのだ。

現代社会は、私たちに常に何かを求める。より速く、より効率的に、より多くを。そんな要求に応えようとするあまり、自分自身の声を聞く時間を失ってしまっているのではないだろうか。

だからこそ、意識的に「何もしない時間」を作ることが大切だ。それは決して怠けることではない。むしろ、自分自身と向き合うための大切な時間なのだ。

例えば、朝起きてすぐにスマホをチェックするのではなく、窓の外を眺める時間を作ってみる。通勤電車の中で音楽を聴くのではなく、周りの音に耳を傾けてみる。昼休みに慌ただしく食事を済ませるのではなく、一口一口味わいながら食べてみる。

そうすることで、少しずつだが確実に、自分自身の内なる声が聞こえてくるはずだ。そして、その声の中に不安があったとしても、それはもはや恐れるものではない。

むしろ、自分を導いてくれる道標のようなものだと感じられるようになるかもしれない。

不安を感じたとき、多くの人はすぐに解決策を探そうとする。そして、それが見つからないとますます焦ってしまう。でも、実はその焦りこそが問題をより複雑にしているのかもしれない。

時には、解決策を探すのではなく、ただその状況を受け入れることも大切だ。「今は不安を感じている」という事実をありのままに認める。それだけで、不思議と心が軽くなることがある。

なぜなら、私たちは往々にして、現実よりも想像の中で苦しんでいるからだ。不安が引き起こす最悪のシナリオを頭の中で描き、それに怯えている。でも、実際にはそんな最悪の事態は起こらない。

だから、不安を感じたときは自分に問いかけてみよう。

「今、この瞬間、本当に何か問題が起きているだろうか」と。

多くの場合、答えは「いいえ」のはずだ。

不安は未来のことを心配している。でも、私たちが生きているのは今この瞬間だ。だからこそ、今この瞬間に意識を向けることが大切なのだ。

それは、瞑想や呼吸法といった特別なテクニックである必要はない。日常の中の小さな瞬間に、意識を向けるだけでいい

例えば、お茶を飲むときは、その香りや温かさを味わう。歩くときは、足の裏に伝わる地面の感触を感じる。そんな小さな気づきの積み重ねが、不安から自由になるための第一歩になる。

もちろん、これは魔法の杖ではない。一朝一夕で不安がなくなるわけではない。でも、少しずつでいい。一日に一度でも、そんな瞬間を作ることができれば、それは大きな変化の始まりになるはずだ。

そして、もう一つ忘れてはならないのは、自分に優しくすることだ。不安を感じている自分を責めるのではなく、むしろ労わる気持ちを持つ。まるで、大切な友人に接するように。

「大丈夫、不安を感じるのは自然なことだよ」と、自分自身に語りかけてみる。そうすることで、不安はもはや敵ではなく、自分の一部として受け入れられるようになる。

そして、そんな自分を受け入れられるようになったとき、不思議と周りの世界も違って見えてくる。他人の目を気にして縮こまっていた自分が、少しずつ背筋を伸ばし始める。

不安は、私たちに何かを教えようとしているのかもしれない。それは、自分自身をより深く知るためのきっかけになるかもしれない。だから、不安と戦うのではなく、それと共に歩む道を選んでみてはどうだろうか。

そうすることで、この人生の転換期を、より豊かなものにできるはずだ。不安は、新しい可能性への扉を開くかもしれない。

それは、今の自分には想像もつかないような、素晴らしい未来への一歩になるかもしれないのだ。

終わり


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