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(6) 現場主義と物見遊山の境界線 (2024.4改)

早朝、美しいビーチ沿いにある整備された遊歩道を走っていた。
同じランナー達や、犬の散歩をしている人達が二十度弱の大気を求めて集まっている。日に日に秋に向かいつつある、そんな首都ウェリントンだった。

スマートウオッチが計測する心拍数や呼吸数の状態データをAIが受け取りながら、「その先を右」「三叉路を左」とランニング時のコースを指示される。坂道の上りに差し掛かると、
「もう少しペースを上げて。はい、そのペースを維持したまま。頑張って」と音声が指示してくる。ペースランナーと伴走しているのと同じ様な状態だった。
「凄いな、これ」と亮磨は感心しながら、まだ人の居ないウェリントンの中心地を眼下に見ながら走ってゆく。
まだ20時まで明るい季節なので、人の営みもスロースターター状態なのだ。

弟達がニュージーランドU23代表の練習施設に居るので、歩のスマートウォッチを借りてランニングをしていた。AIが選手の専任トレーナーとしてサポートしてくれる。
実に恵まれたメニューが用意されており、選手の栄養管理をし、体調健康面の全般を見てくれる。平常時の心拍数や血圧値がベースになっているのだろう、朝食の写真をAIが判断して、ランチのオススメメニューを用意してくる。今は旅行中なので、店名と地図を幾つかピックアップし、「その店でコレを食べるといいよ」とガイドされる。店で注文して出てきた食事を写真に撮る。そして夕飯の候補が出る。サッカー選手なら日々の練習中の間も体の状態を常に把握して、選手が必要な栄養素を算出してオススメメニューを提示してくる。
トライアルの2日目にして亮磨は悟った。「これは続けるべきだ」と。
自分の高校時に存在していたら、俺もスポーツ選手になっていたかもしれないと、若い弟達を羨んだ。
若い頃に体験したかった、と父も悔やんでいるらしいが、周囲が常用していた理由が亮磨にも分かった。何故、誰も教えてくれなかったのだろう?まだ必要な年齢では無いと思っていたのだろうか?と悔やむ。
中高年用のメニューも別途用意されており、加齢による体力低下、身体能力の低下を加味してメニューが用意される。亮磨自身がたったの一日で覚醒したような感覚を覚えたので、おそらく年配者にも効果的なのだろう。

今は「選手モード」でトライアル中なので、AIプログラムは亮磨に対して、水泳、水球、ハンドボール、自転車、陸上、体操等、様々な提案をしてくる。
まだ身長が伸び続けている弟達には、ハンドボールを推奨してきたそうだ。クラブチームの練習の無い日は、高校のハンド部の練習に週イチで参加しているという。
サッカー選手は、自然に下半身が強化される。
とは言っても、選手によっては利き足の偏重により左右の足の筋力の違いを生み、体の左右のバランスにズレが生じてしまうらしい。
弟たちは左右の脚をそこそこ使えるらしいが、完全な左右の足の両刀使いとは言えない。どうしても利き足との違いが生じてしまう。AIがハンドボールや水球のトレーニングを弟達に指定してきた明確な理由があったのだ。
深いプールも水球部も高校には無いので、ハンド部に所属しているらしい。

ハンドボールのシュートは球を投げる際、球を持つ腕と逆の足で跳躍して投げる。
これが、野球やキャッボールに慣れ親しんだ日本人には、どうしても違和感となるらしい。
右投げなら右足に体重を乗せて軸足状態となって投球モーションに入ってゆく。左投げなら左足が軸となる。これがハンドボールでは、野球と軸足が逆になるので「違和感」が生じる。
弟たちは右投げなので、シュートの際は左足で跳躍し、地面に着地する前に上体の背筋や胸筋を使って、右腕を振り抜くという一連の動きが必要となる。
これが不思議とうまく行かない。バランスが崩れてしまい、跳躍しても全力で球を放る事が出来なかったと言う。
ハンドボール部に入部した者の「あるある」で、新人メニューにもなっており、暫くの間は左足でジャンプして、ハンドボールを床や地面にに叩きつける動作を繰り返していた。

「違和感」が次第に薄れるとキーパーの居ないゴールを相手にシュート練習に臨み、徐々に投げる速度を上げてゆく。
全力投球が出来るようになると、キーパーを立てる。狙う的となるゴールポストはサッカーゴールよりも小さいが、ゴールはゴールだ。
キーパーとの駆け引きならば弟達にはお手の物、兄弟間のコンビネーションだけで、ハンドボール部のレギュラーチームを懲らしめる迄になったらしい。
また、ハンドボールの選手は筋力アップ目的で食事の量が半端ではないのだが、それは流石に「ほどほどに」「同じ事はしてはいけない」とAIが指示して来たと言う。
さらに夏場は水泳が加わり、体の左右のバランス・軸を支える筋力が変わり、弟たちの体幹はサッカー部の単独練習を逸脱して強化された。

その変化し続けた状態でサッカー部の練習に戻ると、今までの感覚と変わったらしい。
ぶつかる相手を今まで以上に恐れなくなり、力負けする局面が次第に無くなっていったという。
両足で踏ん張れるので体重移動のバリエーションが増えて、フェイントの質もレベルも向上した。「相手を嘲笑うかのように躱して、いなす」が兄弟の共通の持ち味となり、そこに強い体幹を使ったパワープレイが加わり、人間ブルドーザー的な「突破」が出来るようになった。パワーとテクニックの双方を身に着けていったという。

J2で成果を出している理由は、日々のトレーニングの中に「多様性」を取り入れた結果でもある。
火垂がニュージーランドにやって来て市民ラグビーチームに入ったのも、「多様性」の延長なのだろう。

このトレーナーAIは介護AIの派生プログラムとして生まれた。
考案し、監修したのは、感染症学者で前の厚労相の越山史子と、医師で岐阜知事の村井幸乃だ。
お年寄り一人一人の食事管理と体力維持の為に体操やウォーキング等のメニューを用意する。
そのAIをサザンクロス航空の配膳ロボットに組み込んで、介護ロボとなる。

「ロボット工学の分野でも突出するんだろうな・・」ウエリントンを見下ろす丘の上で、亮磨は荒れた息を整えながら思っていた。

ーーー

土曜にゆっくり起きた朝食後、元外交官の桜田から ビルマ周辺国を中心とした海外状況と、国内状況の報告を元外交官の斉木から聞く。双方の懸念事項として、一つの事件に焦点が集まる。
クーデター前までは黙殺されてきた少数民族蔑視の問題が顕在化しつつある。最たるものは、ミャンマー時代に中国資本の流入と同時に、一人っ子政策の弊害でパートナーの居ない中国人による少数民族の若い女性が買われるビジネスが問題視される様になったのだが、そんな中で、痛たましい事件が発生していた。

タイ・チェンマイのホテルで、2人の少数民族の女性が殺害された。通常の事件であれば海外まで報道されることもないのだが、捜査を進める中で「組織」が関与している節が浮上すると、海外メディアも事件を取り上げ初めて問題が大きく取り上げられる様になった。

欧米系の観光客と思しき男性が、2人の女性を連れて入ったホテルで殺害した。殺人事件として捜査が始まり、殺害された女性の所持品の手帳から、この女性は売春行為をしていた可能性が浮上する。手帳に記載があった「元締めの男」が逮捕され、この女性達と一緒にいたイスラエル国籍の男の名前も分かり、事件の容疑者として連行される。事件自体は犯人逮捕となり「決着」となったのだが、この「元締めの男」の方に注目が集まってゆく。

男は英国籍香港人の人権活動家で、中国国内の人権問題を批判している、顔の知れた人物だった。人身売買の対象となった少数民族の女性達を中国内から開放し、ケアハウスと呼ぶ収容施設をチェンマイ内に用意し、保護に務めていた。    そんな経緯から、イギリス政府としても中国の人権問題を批判する上でオブザーバーとして提携して、相互に協力しあってきた。
中国人権批判の代表的な存在として、英国のみならずオーストラリア、日本のメディアでも度々ご意見番的な扱いで取り上げられる人物だった。
その英国籍の人物に実は「裏の顔」があったので、騒ぎになった。
人権活動家がケアハウスで保護していた女性・・全員が少数民族出身者だった・・に、良からぬ仕事を強要していた実態が判明しつつある。

女性たちは「保護された女性達」として何度か西側のテレビ番組やに顔を隠して出演し、中国内で少数民族が迫害を受けている状況を訴えた事もある。しかし、保護したはずの女性たちがタイで2次被害に合っていたのだ。
ケアハウスなるものは隠れ蓑でしかなかったとして、事態は様変わりしている。
精神科医の同席のもとで、細心の注意を払いながら時間を掛けて女性達に聴取していくとタイ警察は言っている。

現時点でビルマが絡む要素は、保護された16人中の9名がビルマ領内で拉致されたという点だ。それ以外の7名と、殺害された2名はラオス領内の山岳民族だと言う。
しかし、国の領土問題は少数民族にとってはあまり意味を成さない。彼らにとって重要なのは事件に巻き込まれた女性や拉致された女性が同じ部族か否かだった。
部族間では、中国人に半ば詐欺のような手口で連れて行かれ、最初は中国軍人の相手をしていたらしいと未確認情報ばかりが先行して広がっているという。

問題は2点有る。
タイ警察の捜査を待つしかないのだが、捜査の結果にはあまり期待出来ない。そもそも旧ミャンマー警察の悪いイメージが先に立つ。タイ警察も似たりよったりだろうとビルマの少数民族は思い込んでしまう。その上、ビルマ軍の兵士は先住民族の武装部隊が格上げして配属されている。
つまり、現在は人民解放軍の国境部隊と戦えるだけの戦力を有している。ボタンを掛け違えると「報復」の名の元に、紛争が生じかねないと懸念していると、既に事を起こす部族がラオス内に現れてしまった。

***

事件の報道を受けて中国人民解放軍が内部調査に乗り出し、雲南省の西部戦区77師団が人身売買と売春行為に関与していたのが発覚。
師団長と部隊長の更迭、事件に関与していた軍人の退役や移動を、人民解放軍陸軍トップの李興名上将が発表し、謝罪した。
しかし、西部戦区だけの処分に留めたので、タイ・ラオス・ビルマの少数民族が「生ぬるい処分だ」として激高する。

特に事件に巻き込まれて殺害されたモン族のラオス内の部隊が行動に出てしまう。人民解放軍 77師団の雲南省の駐屯地に火炎瓶や投石を行ない、宿舎が焼け、数名の兵士が負傷する。
ラオス内のモン族による行動だと、まだ判明してはいないものの、タイ・ラオス・ビルマの各政府は相次いで声明を発表し、少数民族に自制を求めた。中国側は後ろめたさもあったのか、人民解放軍は反撃に出なかった。

攻撃を受けたにも関わらず、人民解放軍が声明も出さずに静観する姿勢を見せたので、モン族は本格的な2次攻撃の実行に動き出す。

紛争の拡大を懸念したビルマ軍は、ニュージーランド首脳訪問以降に取り止めていた、中国国境警備体制を「再警戒モード」に上げて再開する。
タイ政府も「ゴールデントライアングル」で知られるビルマ・ラオス国境部のチェンライ周辺の警備体制を強化する。

ラオス軍が領内のモン族の武装部隊への襲撃を画策し、人民解放軍への追撃を阻止するために準備を始めたという情報が、アチコチから流れ出していたからだ。

事態の急変を受けて、モリは明日の抗日記念日への出席を断念して、バーマ(旧ネピドー)から中国国境の駐屯地に移動を決定する。
元外交官の桜田と、少数民族各部族の言語を知る通訳としてアリアとマイの母娘の4人で移動を決める。車両はオーストラリアから購入して納車が始まった多目的装甲車ヒューレイで、国境に向けて移動を始めた。

ーーーー

羽田からビルマ経由で14時間、ニュージーランド首都のウェリントンに到着した金森知事と前厚労相の越山を中心とする一行は、空港でニュージーランド政府関係者の出迎えを受けた後、ホテルに移動して休んでいた。今年還暦となる2人は機内で寝ていたとはいえ、疲れを感じていたらしい。

一方で金森の孫娘の杜 あゆみと弟の圭吾、そして高校生4人は、極めて元気だった。
同じホテルに投宿している杜 亮磨のガイドで、ウエリントン市内で飲食しながらブラついて回り、現在はホテルに戻り、全員で国際試合が行われるスタジアムへ移動していた。

その時点で、ビルマに居る女子大生からの連絡が届いており、モリが式典に出席せず中国国境へ向かったと知る。週明けのオーストラリア戦とオーストラリア入りもキャンセルとなるかもしれないと連絡を受けていた。

「自分の中にあるモノサシや尺度が、ブレていないか絶えず自問自答している。そんなんだから、他人の意見や報告を鵜呑みにせずに、自分の目と耳で見聞きした情報を元にして見極める。今回は国防が絡んでくるから、特にだろうね。先住民の人達は感情的になって、冷静さを欠いているだろうし」
プルシアンブルー社のゴードン会長が、ツアーガイドと化している杜 亮磨に向かって言う。
亮磨も同意して頷く。確かに何でも自分の目で見て、人々の意見を尋ね回る。現場主義に徹する人物なのは理解していた。

「少数民族の家族が増える可能性に、五千円」
金森知事が突然言うと、ゴードンとサミアの夫妻が笑う。

結局、賭けは成立しない。
「多分そうなるんじゃないかな?」と誰もが漠然と思っていたからだ。

(つづく)


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