食洗機が未だに『贅沢品』の日本 〜家事代行サービスを使うことは、なぜ今でも『悪』なのだろうか?〜

こんにちは、taigaです。

以前の記事で、日本では未だにかなり多くの夫婦・カップルで、稼ぎが多い側(大体は男性)は、家事の半分を自分の役割と捉えず、他人事だ。

むしろ一部の人間は『妻の稼ぎが自分と同じなら、分担してやっても良い』という感覚が強いという話をした。

また、家事を手伝っていると自負している人々でも、本当は『名もなき家事』のことは、実は知っていて無視している可能性が高いという話をした。

こういう事実があるにも関わらず、家事は面倒で時間の掛かるものだということは明白なのに、なぜか日本では家事代行サービスは流行らない。

かと言って、別に最新の家電製品に投資しているわけでもないのだ

食洗機がないことは未だに『洗濯板と桶』で洗っているのと同じ

まず、家事代行サービス・ベビーシッターを雇うのに抵抗があると言うのは、日本社会全体が『家事は女がやるもの』と言う大前提が根底にあるからだと思う。

だがそれ以外にも『自分がいない間、他人に家を任せるのは不安だ』という理由(あるいは大義名分)も確かにあるので、そこは否定しない。日本には元々その文化がなかったから、仕方がないと理解できるところもある。

だが、もうかなり長いこと僕が驚きを隠せないことがある。

それは、海外では何十年も前からキッチンのスタンダード装備だと認識されている食洗機が、日本では『未だに』ほとんど普及していない、ということだ。

同じ『洗い物』というジャンルで例えて言うと、『洗濯機がない家』というのが一番わかりやすいと思う。

現在の日本の家庭で、コインランドリーで済ませている一部の人以外で、洗濯機が家にない、という家庭はほぼないだろう。

だから普通の日本人がこれを聞くと、「ふざけんな!洗濯機ぐらいあるわ!」と憤慨すると思う。

だが、本当にそんな感じなのだ。
これ以上に良い例を思いつかないのだ。

多くの国(特に先進国と呼ばれる国々)では、食器は手で洗うものではない。
食洗機にぶち込むだけなのだ。


僕たちも、今のご時世で、まさか洗濯物を『洗濯板と桶』でゴシゴシ手洗いしたりしないだろう?
彼らから見て、食器を洗うことに関しては、僕らは未だに『その次元に生きている』のである。

だから海外の人々が日本に引っ越してくると、家の仕様を見ても、キッチンのどこにも食洗機が見当たらないことに気付くだろう。
そして大家に確認して「えっ。冗談だろ?この時代で洗濯板と桶!?」となるのである。

旧東ドイツも一般家庭に食洗機は設置されていなかった

ちなみに僕が当時1990年台に住んでいた国には既に食洗機は完備されていたし、もちろん今のアパートにもある。

今住んでいる身近なドイツを例に挙げると、旧西ドイツは戦後(日本より少し早く)1950年台には高度経済成長が始まり、様々なものが一般家庭にも導入された。食洗機もこの辺りで普及していったと思われる。

ちなみに社会主義となった旧東ドイツも、実はスタート地点(1950年台)はそう変わりはなく、その後、経済的にどんどん旧西ドイツに抜かれていくわけだが、それでも形式上は『男女平等』を謳っていたので、家電の普及などに力を入れていた。

これは僕が昔、ベルリンのDDR博物館を訪れたときに知ったのだが、家電の普及率で言うと、旧西ドイツと同じような感じで、カラーテレビや白物家電が次々に導入され、共働きの家庭の生活面をそれなりに豊かにしていたらしい。

だがここで非常に興味深いのは、旧東ドイツでは、なぜか『食洗機』だけは贅沢品で、一般家庭には導入されなかったということだ。

なので、僕自身、
日本が未だに『食洗機』を贅沢品と認識して『多くの家庭が導入していない』と言う事実を目の当たりにするたびに、なぜか旧東ドイツの家電事情を思い出してしまうのだ。

なぜ日本では『食洗機』の普及が著しく遅いのか?

日本では高性能な洗濯機や冷蔵庫など、白物家電は充実しているし、最近はお掃除ロボットも珍しくなくなって来た。

だが、なぜ食洗機になると『それは贅沢品、一部の金持ちだけが持っているもの』となってしまうのだろうか?

僕はそれには理由が二つあると考えている。

 1. 日本では食洗機そのものの値段が高い 

今日のドイツでは、キッチン備え付けの食洗機(ビルドイン型の大きくてしっかりしたやつ)は安いものでも3万円もあれば普通に新品が手に入る。

だが日本だと、キッチンスペースの都合も多少はあるかもしれないが、僕の記憶では2人分ぐらいの少量型の食洗機でも、安くても5〜6万しなかっただろうか?

もしそうなら、日本人の感覚からして5〜6万は、そんなに安い金額ではない。
こうなると、家計を考えて『夫婦で相談して、お互いが納得して』(←ここポイント)やっと導入するという感覚じゃないだろうか?

 2. 日本では女性が家事を楽するのが絶対に許せない風潮がある

ちなみに、日本では、家事の大半を担っているのは女性である。
これは誰もが理解できるところだろう。

だが、女性たちが効率的に家事をできるように、最新の家電製品に替えたり、家事代行サービスを積極的に使うと言うことを、なぜか日本人は絶対に許さない。

先ほど書いたが、夫婦であれば男性は妻から「食洗機を導入しない?」と持ちかけられたこともあるかもしれない。

だが、多くの男性は、

「今の生活に何の不満があるのか。それは贅沢だし、僕の母もやらなかった。君はわがままで傲慢で浪費家だ。君がやることで家計も助かるし、無駄な出費をしなくて済む」

などと言い包め、そもそも話も聞かずに、突っぱねたことはなかっただろうか?

なぜなら家事は妻の仕事で、責任で、義務だから、自分には関係ないからだ。

自分にメリットがなく、関係ないものに対して『自分の金』を使って『妻が楽する』のが『何をどうしても死ぬほど許せない』のである。単純なことだ。

だが、普通に、常識的に、ちょっと考えてみてくれ。

自分の愛する妻が、楽できるなんて、笑顔でいてくれるなんて、むしろ素晴らしいことじゃないか?

そう言う考えには一切至らないのだろうか?

そんなに妻が嫌いなら、憎いなら、苦しめたいのなら、なぜそもそも、その人と結婚したのだろうか?

補足すると、これは『生活に明らかに困窮している方々』の話ではない。
明日を生きていくための食べ物がない人々は、それは仕方ないことだ。

僕が言っているのは、あくまで『数万円程度の出費は、ちょっと節約をしたら普通に捻出できる経済水準の家庭』の話だ。

だから、飲み会を1〜2回やめるとか、その月の被服費を諦めるとか、携帯キャリアを格安SIMに変えるとか、そういうことをすれば何とかなる生活レベルの家庭が、あえてそれを絶対にしないケースのことを言っている。

または、ある家庭でそれなりの生活をできるほどには稼いでいる男性が、家庭に対する設備投資をなぜか許さない、と言う場合も同じだ。

ある程度の経済力があり、妻からの訴えがあるのにも関わらず、執拗に食洗機の導入をしないのは、この令和時代にわざと洗濯板と桶を渡して「節約のために手洗いしろ」と言っているのと同じなのだ。

ここまで頑なだと、もはや経済的な虐待かもしれない。

そう言う人たちに対して、僕は「この人、もしかして自分の妻のことが心底嫌いなのかな?」と思ったりするわけだ。

結論:家事を楽する投資は積極的にするべき!

と言うわけで、それっぽい御託を並べて、「妻の家事負担を減らしてやるもんか、お前も苦労しろ!」という底意地の悪いことを考えているならば、それは今すぐにやめよう。

やっていることは兵糧攻めにどことなく近くて汚い。
(本当に離婚をしたい人は止めないが・・・)

もしあなたが妻を愛しているなら、ぜひ楽をしてもらおうじゃないか。どうだろう?
ちなみにこの場合の『妻』は単純に家事が偏っている側と言う意味なので、妻でも夫でもパートナーでも、誰でも良い。

じゃあ、僕たちは結局、何をすべきか?

 1. 家電の最新化

まず、家電を最新化することによって、家事を時短できることは間違いない。

これは何も、今回のテーマである食洗器だけではない。
最近の洗濯機は洗剤・柔軟剤を自動で測って入れてくれるらしいし、お掃除ロボットも普及してきたので、手頃な値段で手に入るようになった。

これらは初期費用はかかるが、その後の家事はぐっと楽になる。
すると、妻は今までそれに費やしていた時間を他の事に使えるようになる。

例えば、現在働いている妻たちは、家事労働に使っていた時間(ほとんどの兼業主婦は自分の時間などない)をゆっくりと一人の時間として休んでもらうこともできる。

ただし絶対に忘れてはいけないことがある。
それは、最新家電を導入したところで、決して家事がゼロになるわけではない、と言うことだ。

食洗機が洗い終わったら片付ける手間は掛かるし、お掃除ロボットはフィルターの掃除も面倒だ。だが、この辺りは手分けできるレベルなので、夫婦2人で分担すればすぐに終わる。

収入が多い側、家事を折半できない側は、間違っても、「おい。最新の家電を買ってやったんだから、あとはお前の責任な?しっかり完璧にやれよ!」などと、はき違えないように注意しよう。

最後にツバを吐けば、どんなに良い事をしても、嫌われるのは当たり前だ。

 2. 家事代行サービスの活用

最新家電に投資する以外にも、家事代行サービスを積極的に活用するのも非常にいいアイデアだろう。

以前の記事(下記参照)でも書いたが、究極のところ、『妻に家事労働の対価としてそれ相応の報酬を支払う』ことで、妻側にもプロ意識が生まれる場合がある。

すると、妻側にもタダ働きのように家事をやらされている感覚が薄れるので、意外とこれでウィンウィンの関係となり、解決する場合もある(そもそも家事労働は100%人件費だ)。

だが、夫婦間の金銭のやりとりに対して、中には『正式な家事代行サービス』ならともかく、「配偶者に家事育児の対価を払うなんて絶対嫌だ、またはそれが合理的だと頭では理解できても、何がどうしたって許せない!」という人間も一定数いる。

(それはもちろん根底に家事労働が人件費100%と言う事実を忘れて「家事なんてタダで当然だろ」という傲慢さから来ているわけであるが)

この場合は、単純にプロに頼めば良い。

妻に金銭を払いたくないなら(それも非常に意地悪な話だが)家事を楽にしてもらうために、プロのサービスを使ってもらえばいいのだ。

「僕は家事をきちんと分担できないから、必要経費として家事代行サービスを依頼して下さい」と宣言すればいいのだ。

その采配は妻に任せればいい。
ベビーシッターとか、水回りの掃除とか、自分が必要だと感じるところでサービスを使って貰えばいいのだ。

まとめ

というわけで。
家計にある程度の金銭的なゆとりがある(少なくとも来月の生活に困らない)家庭の稼ぎ頭で、配偶者を愛していて、だが仕事や諸々の事情で家事を折半することができないならば。

高機能の家電を導入するとか、家事代行サービスを使ってもらうとか、自分が協力できない分、せめてそれくらいはできるのではないかと思う。

もしそれにも関わらず「俺の金だ!節約しろ!」と怒鳴り散らす奴がいるとしたら、そいつはどこかのタイミングで見限った方がいいと思われる(マジで)。

なぜなら、そういうやつは『自分の飲み会で10000円は必要経費』で、『妻のママ友ランチ1500円はムダ遣い』という考え方のやつだからだ。

つまりそれは、『自分の子どもの人間関係を良好にする可能性のある必要経費』とは一切考えず、単に『妻が昼間から美味いモン食っている事実が絶対に許せない』という、そもそもヤバいやつらなのだから。

この記事を最後までお読み下さいましてありがとうございました。 これからも皆さんにとって興味深い内容・役立つ情報を書いて更新していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。