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家事をしない夫の多くは『見えない家事』をわざと無視している

こんにちは、taigaです。
またもや議論を呼びそうなタイトルだ。恐らく家事をあまりしていない、または自分では『手伝っている』つもりになっている人々からは「余計なことを言いやがって」と思われるかもしれないが、まあぶっちゃけていこう。

ちなみにこの記事は厳密には『夫』だけではなく、家事をしない人間全員に当てはまると思う。ただ『家事をしない人』とタイトルにいちいち書くと長くなるし、家事をしない夫は実際に多いので、まあそんな感じで進めよう。

さて、多くの皆さんは『見えない家事』という概念、あるいは言葉ぐらいは知っているだろう。またの名を、名もなき家事と言うらしい。初めて知った。
特に最近ではブログやSNSなどで目にすることも多くなってきたからだ。

◆まず、『見える家事』とは何か

まず、見える家事とは、名前の付いているメジャーな家事だ。
第一に料理・洗濯・掃除だろう。子供に関わるところで言えば、ミルクやオムツだろうか。この辺りは、どんなに家事をしたことがない人間でも、誰もが思いつく項目だ。

だが、たとえば掃除に関しては、掃除機・床拭き・トイレ掃除・風呂掃除・窓ガラス拭き・庭の手入れなど更に細分化していくし、子供の世話でもお着換え、公園、お風呂、保育園幼稚園の送り迎えなど、どんどん出てくる。

しかしだ。これらはまだメジャーで有名な家事なのである。
一部上場企業ぐらい、誰もが知っている会社ぐらいメジャーなのだ。

◆では、『見えない家事』とは?

見える家事が、誰もが社名を知っているメジャーな大企業だとすると、見えない家事は一部の知る人しかしらないマイナーな中小企業・零細企業というイメージだろう。つまりどういうことかというと、

見えない家事とは、『名前の付けられない細かい家事』である。
たとえば、このようなものが挙げられる。

・冷蔵庫の中にある空の麦茶のボトルを洗って、また新しく作る
・トイレットペーパーが切れたら替えて、ストックを出しておく
・買い出し後の食材や日用品を冷蔵庫・パントリーにしまう
・洗濯時、裏返ったままの衣服を表側に直す
・アイロン時に楽になるように、シャツ類はシワを減らしてから干す
・食洗器から洗いあがった食器を全て出して食器棚に戻す
・食洗器に入りきらない、大型の食器や鍋類の手洗いと片付け
・なくなりかけの調味料や日用品(シャンプー、醤油、etc.)をリスト化
・浄水ポットを使っている場合、定期的なポットの洗浄
・トイレの後、便座&便器のフタを閉じる
・トイレで『立ち小便OK』の家庭で、定期的な『トイレ床&壁の掃除』
・お風呂に入れた後、子供に肌の荒れている部分に保湿クリームを塗る
・子供がウンチをした後にやってくる『お尻チェック&最後の一拭き』
・水回りの水垢やヌメリ取り、カビ取り、ガス台やグリルの掃除
・夫婦でホームオフィスをしている時の毎日の『簡単な昼飯』の準備
・市役所などに家族が必要なものを代理で取りに行く
・営業時間が日中にのみ限られているサービスへの代理での問合わせ、など

このような感じで、色々と思いつく限り書いてみたのだが、この先を読むのが嫌になるほど膨大な量ではないだろうか。

このような小さな家事は数えだしたらきりがないし、これらの多くは一言で言えるほどの名前が付いていない。
おまけに、作業が細かい割には頻繁に訪れ、結構なひと手間で面倒くさい。


それなのにほとんどの場合、これらの見えない家事は『料理』とか『掃除』または『洗濯』などのサブカテゴリに入れられて、日の目を見ない。

つまり、日常的に家事をしている側の人間でないと一生分からないのだ。
そして人間は目に見えないものを『なかったこと』とするのが大好きだ。
怪奇現象などと同じ扱いなのだ。見えないものは存在しないというわけである。

◆世の中の夫は『見えない家事』を知っててわざと無視している

というわけで本題なのだが、まさに見出しの通りだ。
あくまで、すべての夫がそうとは限らない、ということを前提には話すが、『家事をしない人間は見えない家事をわざと無視している』のだと思う。
なぜなら、僕自身にその傾向があったからだ。頼む、怒らないでくれ。

学生時代、自分はトイレットペーパーの芯をそのままにしては妹に「ちゃんと替えてよ!」と怒られていた。
また、冷蔵庫のお茶は嫌味なほど限界まで飲み、たった1㎝程度を残してまた冷蔵庫に戻しておく、みたいな卑怯なことをしていた。母にはそれでよく「いい加減にして!」と怒られていた。

結婚してからは、僕は料理は相手に任せて、その他の家事は全て担っている。「それじゃあ僕の方が割を食って不公平じゃないのか?」と思った人は要注意だ。なぜなら料理が一番家事の比重が高いからである。
朝昼夜、または朝夜or昼夜など、1日で割く時間が1番多いのが料理だからだ。だから『料理』『それ以外のすべて』で分けて、ようやくある程度のバランスが取れるのだと考えている。

さて、そんな僕ら夫婦も『お互いが納得できる家事の分担ライン』が定着するまでの最初のころは、僕自身が担当しているはずの『見える家事』、つまり家事の王者の1つである『掃除』ですら、かなり適当にやっていた。

トイレは数週間に一度の掃除で『さぼったリング』的な黒い淵が見えていたし、風呂もなんとなく水垢でヌル付いていた。床もどことなく埃っぽくてザラザラしていた。それでも割とそれを放置していた自覚がある。つまり担当分をやっていなかったのだ。
答えは簡単だ。なぜならこういうのは『気になった方が負け』というのを、結婚生活をする中で徐々に学んでいったからである。

当たり前だが、自分の『キレイ許容度』と相手の『キレイ許容度』は違う。
なので、僕は「まだいいか」と思っても、相手がそれに耐えられない場合、気が付くとトイレも風呂も床も勝手にキレイになっていたのだ。
それが繰り返されると、いつしか「あと何日かしたらやってくれるだろう」みたいな考え方になっていく。ああ、クソだな、自分で書いてて。

こんな感じで、家事をやらない人間のいっちょ完成、というわけだ。

というわけで、「キチンと〇〇して」と咎められると、「へーい」とか「分かってるよ」とか言いながら、心の中ではやっぱりウルセえなとか思っていたし、そのあとしばらくは何となくやって、忘れたころに「まあいっか」と同じことをまた繰り返す。

そう、やらない側は、全て分かっていてやっているのだ。
なぜなら見えない家事とは本当に面倒だし、『そのうち誰かがやってくれる』と思ってるし、特にそれに対する罰則もないので、その場さえしのげば良いと理解しているからに他ならない。

ちなみに、やっている側にも多少なりともの罪悪感はある。
お茶を少し残すときは「ああ、ボトル洗って新しく麦茶作んなきゃなんだよな」とか、少なからず頭にはよぎるのだ。なぜなら何度も何度も、繰り返し言われて頭に染み込んでいるからだ。

ということは、その時点で頭によぎる=やらなきゃと理解しているということであり、それでもやらないということは、その人は『そういう家事があることが分かった上で、わざと無視してやっていない』のである。

すまない。妻やパートナーを持つ男性諸君(または男性ではない全ての家事をしない人々)。今まで知らないふりしていたことを暴露してしまって。だが少なくとも心当たりはあるだろう。

上記に書いている全ての見えない家事を知っているとまでは言わなくても、そのうちのいくつかには必ず心当たりがあるはずだ。どうだろうか。

◆解決策:対価を要求する、または相手の分はやらないと宣言する

というわけで解決策の一例を挙げてみようと思う。
これは妻側(つまりより多く家事を担っている側)へのアドバイスになる。
モラハラや暴力をしない、比較的聞く耳を持っている全てのパートナー(家事をやらない側)に効くかもしれない対策案をいくつか挙げておく。

個人的に一番効くのは3つ目の最終奥義だと思っているが(←体験済)、まずは真面目なところから。

 1.『家事の対価』を金銭として毎月正式に受け取る

夫婦の間でお金のやり取りだなんて、水くさい・ビジネスライクだと思うかもしれないが、一度ぐらいは『専業主婦(主夫)は月収約32万円の仕事をしている』という話を聞いたことがあると思う。それぐらい、家事育児にかかる時間と労力は膨大だ。24/7シフトを休日なし・交代なしでやっているようなものなのだ。

だから、家事の対価として毎月お金を受け取る、というのは一つの手だ。
普通の家庭では、さすがに32万円も配偶者に支払うことはできないだろう。だから例えば月5万円とか月7万円とか、家計の割合で決して安くはない金額を家事育児の対価として貰い受ける。
そしてこれはあくまで小遣いとは別に、あくまで労働の対価として受け取る、の方が絶対にいいと思う。そうすることで、家事をする側も『この家事はお金を貰ってやっている』という気持ちから、ある程度は割り切りやすくなる。

ただし、お金を出す側も「金払ってるんだからしっかりやれよ!」と日本人が大好きな『お客様は神様』の傲慢クソ野郎になってはNGだ。
あくまで月収32万円の労働を月7万円というハイパー割引してもらっているのだ、感謝せねば的な自覚を持ち、できる家事は引き続きやる、ということが大切である。

もしお金を出したくないなら、きっちり夫婦で話し合い、家事を分担して自分の担当箇所は責任を持ってやる。見えない家事も相手に言われたら素直に受け止めて習慣化していく。それだけだ。実は至極シンプルなのだ。

 2.『〇〇してくれないなら、もうあなたの分の〇〇はしません』と宣言する

これも単純明快だ。まさに『交換条件』になるが、例えば、

・次に靴下を丸めたまま洗濯機に放り込んだのが分かったら、あなたの分の洗濯物はもう二度と洗わないので、どうぞ自分で洗ってください。
→「二度と」って言われるの、すげえ効きます(経験済)。やらない側は、完全にサボって楽している自覚があるので、普通の人間だとさすがに「あっ。ヤベえ」ってなります。

・料理はやります。でも跡片付けは全部やってください。そうしないともう料理は『あなたの分だけ』作りません。
→これもスゲえ効くと思います(経験済)。だって楽して手料理食べたいんや。ハンバーグもから揚げもマーボ豆腐もかに玉もカレーも大好きなんや。お腹がすいた時に、さっとホカホカのおいしいご飯が出てくるためなら喜んで片付けます、ほとんどの料理をしない人間は。

そしてポイントが、交換条件を宣言した後は『それを貫く』ことだ。

相手の分の料理を作らないと言ったなら、自分の決めた条件が達成されるまでもう絶対に作らない。甘やかさない。

洗濯物に関しても、例え話し合いの後でも『こっそり混入させてくる可能性』があるので、相手の分は洗濯直前に全て引きずり出して床に置いておくなど、そのひと手間を使ってでも徹底的にやる。
(さりげなく入れておいて、ついでに洗って貰えたらラッキーとかマジで思ってます。やる側は。僕は洗濯物ではなく別に似たような経験があるので)

つまり、見えない家事は、頻出度の高い細かいルーティーン作業だ。
だから習慣化もしやすい。一度クセ付けたらOKなのだ。

そんなわけで、少なくとも家事をやっている側の人間が納得するまで甘やかさないことが大切だ。残念ながら、人間もしょせんは動物なので、慣れないことはそうやって躾けられて初めて習慣化していくしかないのだ。

 3. 最終奥義「あなたのことがどんどん嫌いになっています」と正直に告げる

これは一撃必殺である。愛情がお互いにある関係ということが前提だが、仮に愛情度が下がってきても『相手から離婚したいほど嫌われていなければ、正直テキメンに効く』と思う。なぜなら僕が(ry

ということで、その名の通りだ。上記の見出しの通り、そう言えばいい。
ポイントは「特にここ数カ月、あなたの事がどんどん嫌いになっていっているんだ。その理由は〇〇だよ」など、『現在進行形』で言うことだ。

これは鬼のように効く。(←体験済。どれだけ体験してるんや僕は)相手に愛情があればあるほど、幸せだった日々が走馬灯のように思い出されるからである。
それほどに、『嫌い』という単語の破壊力はとてつもない。
要は、ここだというタイミングで本音を伝えられると、「やべえ、今なら歯止めが掛けられるかも!」と相手に思わせることができ、相手の行動が改善する可能性が高い。

ただ言わずもがな、これは諸刃の剣のため、ここぞというタイミングの判断がキモだと思う。そして、この言葉は麻薬と同じで、強烈な効果があるため、使いすぎると相手が言葉に慣れていく。そしてさらに『どうせ嫌われているんだろ』という投げやりな態度で、相手からの愛情・信頼が徐々に減っていく。

当たり前だが、嫌いだといわれ続けたら、だんだんその相手を信頼することはできなくなるし、どうせ嫌われてるならもう何してもいいや、みたいな思考回路に傾いていきがちだ。
だからこれはもう一度使った後はもう「だからさ、そういうとこだよ?」などと匂わせるぐらいに留め、思い出させつつも、『嫌い』という単語はもう極力使わない方がいいと思う。よっぽど離婚したいとかでなければ。

ということで、最後の解決策は、抜群の破壊力をもつが、オマケぐらいの感覚で流してほしい。
この必殺技を試してみて夫婦仲に亀裂が入っても、クレームを受け付けることはもちろんできない。すまん。

◆まとめ

というわけで、まとめに入る。
家事をしない側の人間は、それをわかっていて無視している場合が多い、またはその傾向にあると僕は感じている、ということを今回話した。

何度も確認して言っておくが、僕は日本人全員がそうだとは一言も言っていないし、世の中の夫・あるいはパートナーが全てそうだとも絶対に言わない。割合は圧倒的に少ないだろうが女性バージョンもあると思う。

でもこのように(かつての僕のように)家事をしない側の人間で、見えない家事に対して知らないふりをしてズルして楽する人間が一部どころか、割と一定数いることは事実だと思うのだ。自分がそうだったから。

そして解決案の一つに対して、多くの人は「子育てで既に大変なのに、家事をしないパートナーの教育までなぜしなければいけないのか!」と憤慨すると思う。そう、それももっともな意見だ。

それはまさに、性別役割分業が未だに根付いている日本をどうにかしなきゃいけないのだ。社会を変えないと、家事をしない人間がいつまでも育ち続けて、さも当然のように次の世代に受け継がれていくだけなのだ。

だからこそ、負担が大きい側が怒りを表現していく以外、道はないのだ。
それはSNS上での発信だったり、デモや選挙、何でも構わないと思う。
そうしないと負担が少ない方は、永遠に気付かないし、少しの人間が騒いでいるだけだと、それに気付いてもウルセえなと無視し続けるだけなのだ。『もはや無視できないぐらいにその動きが広がっていく』ぐらいでないと、社会は変わらないのだ。

僕も自分の経験を通じて、そして日本の外側から俯瞰して物事を見るようになって、日本のこのような現実に気づいてしまった。だからこうやって今日も海の向こうからひっそりと配信するのである。

この記事を最後までお読み下さいましてありがとうございました。 これからも皆さんにとって興味深い内容・役立つ情報を書いて更新していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。