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人生はシナリオだ。

なんだか久しぶりに青空を見たような。
快晴で、風も心地よく、久しぶりにエアコンを付けずとも快適に部屋の中で一人生活できております。多分、今日も人に会わない。

一日中部屋に籠りっぱなしは嫌な気がしで、ふと、外に出てみる。
買い物でも、散歩でも、何かを求めて歩くことでも、求めたものに出会えなかったとしても、一度外に出ることって必要だと思う。

これは、息抜き、というものなのか、ウォーキングと名のついた運動としてなのか、セロトニンの分泌とビタミンDの生成を促すためなのか。

外に出ることで自分が受けている恩恵はたくさんあるかもしれないけれど、これらが目的ではない気もする。
いや、それもつながっていて、全てが一つの要素である気もする。

うまく伝えられないかもしれないが、僕の中では別の表現の方がしっくりきた。

なにかとのつながりを確認するため。

他人、自然、動物、社会、宇宙、自分、今。
その存在を実感したくて、狭いながらもその日の生活には十分過ぎるほどモノがあふれている部屋から飛び出したくなる。
液晶から目を離して、イヤホンを脱いで、ペンと消しゴムの持ち替えのループから外れて、不安定な大気に触れたくなる。

それと、もう一つの口実も外せないような気がした。

今を残すため。

今、こうやってnoteを書いているのもそうだ。
僕は、何かを生み出すためではなく、今を残すために書いている。
夜更かしをした翌日に、朝遅く起きて、食事と昼寝と怠惰だけで埋まりそうな日は、自分が生きたその日は無意味になってしまう気がして、その時間が自分の中で消えてしまう気がして、悔しさの混じった寂しさに襲われる。

だから、筋トレをする。勉強をする。本を読む。料理をする。
何かを書きとめる。運動をして汗を流す。働く。

小さなことだけれど、自分ひとりにとってでも、その日を未来につなげることで、どこか安心感を得られる。
未来につながること、今張っている伏線がいつか回収されることを楽しみに、今そっと置いた布石がいつか効いてくることを想って、
そうでもしないと、僕の体は形を保っていられなくなりそうだ。

その瞬間のために、目についたものをあれこれやっていても、
メタモンになってしまう。
自分が何者なのかわからなくなりそうで。
僕の形が損なわれそうで。

過去と今と未来をあわせて、自分という人間の輪郭はやっと立つことができる。

「今日という日にタイトルを」

どこかで、こんな言葉を目にして、それが最近ずっと頭から出ていかない。というか、閉じ込めている。どなたかのnoteの記事だったかな。

僕が今生きているのは、その一心なのかもしれない。なんて思った。
明日を生きるのため、未来の幸せのため、そう意気込んでやっていることも、今の自分が、誰かの中に、いつかの自分の中に残ってほしくて、自分が生きていた時間をNo titleにしたくなくて。

人生はシナリオだ。

なんて最近になって考えるようになった。特にきっかけがあったわけではないけど。
僕らは生きることで、誰に演じられるわけでもない台本を書いている。
運命なんて、そんな高尚なものの中にいるわけではない。
筋書きを誰かが書いてくれるほど、いい役者なんかではない。

でも、確かに僕は存在して、生きた時間があったんだと、そんな物語くらいは世界の隅っこにでも残ってほしい。
土に埋もれてでも、海にさらわれてでも、この世のどこかに。

僕らの周りで今起こっていることはこの物語で、いつか回収される伏線だ。無意味なことなんてない。後に拾われない一行だって、誰かを笑わせたり、感情を動かしたり、何か役割がある。
その役割は、何かを動かし、周りまわって、いつかの自分のもとへ風となって吹くかもしれない。

もしかしたら、投げ捨てた布石は、未来の自分を躓かせることになるかもしれない。吐き出したため息が集まって、自らに雨を降らせるかもしれない。
それでも、過去と今、今と未来は必ず繋がっている。
だから、未来を楽しみにするのは当然だし、何もない今日を何かのために生きることも悪くない。

じゃあ、明日、誰かと会うために、今日は自分を磨こう。

と、夕方から雨の予報でジムに行けなくなった今日、家でできる筋トレをして、身体を作るための食事をとって、ここに今の自分を残そうと思い書いております。すけおです。

実は、人生はシナリオだ。と感じたのは最近でして、サウナに入った後空気浴をしていた時でした。ジムの中の大浴場だから大気というほどでは。
その時に、起寝の狭間で思い浮かべたのは、あるワンシーンでした。

もし自分がやりたいことリストを書いたら、上の方に濃くて細い字で書くであろう『日本一周の旅』
その旅中では出会いもあれば別れもある。
旅が長ければ長いほど、それは多いし、もしかしたらこれまで経験したことのない大きな別れを経験することもあるかもしれない。

そんなシーンが頭をよぎりました。よぎったというよりも、僕は頭の中でその別れを経験しました。たまに体をビクつかせながら(ジャーキング現象)短い眠りに入った浴場の中で、目を覚ました時、僕の目に水が溜まっていました。
汗だったのかな。

その夢で見たシーンを、おぼろげながら覚えている中で文字に再現しようと思います。

日本一周の旅の序盤に出会った人と、その後の旅の途中で永遠の別れの連絡がくる。
命の儚さを実感し泣きじゃくり、寝ることに恐怖を覚え、大切な人たちに思いを寄せる夜。
どこからともなく押し寄せる大きな不安の中で、自分の母親に、日頃の感謝を伝えるメールをした時に、「どうした?」という心配した返事がきて、
悟られないようになるべく軽く返事をした後に、
「おやすみ。」という一言をもらい、いつの間にか眠りについた。

人との別れはなるべく経験したくはないけれど、頭の中でこの経験をしたときに、自分の周りにあるものの多さに気付くことができ、悲しくも前を向いて、スタート地点に帰るモチベーションになったようにも感じました。

だから、これは夢だったけれど、こんな一つの場面を経験するためにも旅に出たいなと感じました。
そんな、一瞬のために長い時間をかけるなんてばかばかしいけれど、

でも、今の僕は、このサウナ後の一時の夢を書き残すために、ここまで長々と書いてきました。
そして、この文章はどういう形になるかわかりませんが、
いつかの未来の自分に影響を与えることになるのでしょう。

2021/06/15 雨。

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