先に逝った「知り合い」と後に遺す「知り合い」に恥じることのない『生きかた』
みなさんは
「死ぬ」ことが怖いですか?
生きとし生けるもの
「死ぬ」ことは恐怖であり
それを
なんとか避けたい
と考えることは
歴史的に見ても
明らかであると思います。
『なぜ「死ぬ」ことは怖いのか』
この命題については
多くの人生観・死生観
そして
宗教的側面から
語られることが多く
たくさんの考え方が存在し
当然正解なんてものは
誰も知るところにないため
各々の価値観により
信じるものがある
と思います。
『死後の世界という
未知への恐怖なのか』
『自分の存在が
消えてしまうことが怖いのか』
『大切な人との
別れが怖いのか』
『「生きる」ということに
執着しているのか』
いずれも
間違いではない
と思います。
ただ僕は
このテーマについて話題が及ぶと
常に
思い出すことが
あります。
きっかけが
思い出せないのですが
中学生ぐらいの
ときであったと思います。
湯本香樹実さんの
『夏の庭』
という著書を拝読し
結構な衝撃を
受けたことがありました。
当時の僕は
初めて
身近な人である
「祖父の死」
というものを
経験したばかりの頃でした。
あんまりよく
わかってなかったんですよね。
「死」
というものが。
「もう一緒に遊んだり
小遣いも貰えなくなるのか」
みたいな
感覚だったかも
しれません。
そして
僕自身も
多感な思春期の真っ只中で
「死んだらどうなるのか」
というようなことにも
思考がよぎることも
ありました。
ただ漠然と
死んだあとは
「天国」と「地獄」があり
生きていたときの
「行い」によって
行き先が決まる。
嘘をついてばかりいると
閻魔大王に舌を抜かれる。
このような話は
幼少期の頃から
誰もが
聞かされていたかも
しれません。
「死」の恐怖は
生命の本能として
存在する
一方で
子どもの頃の僕たちにとって
恐怖の対象でしかない
「幽霊」や
「おばけ」は
死後の世界から
やってくるものだと
擦り込まれ
それは余計に
「死」を具体的に
恐怖の対象にさせ
清く正しく生きること
を
誘導させられました。
『夏の庭』は
「死」について考えるようになった
小学生三人と
「おじいさん」の姿が
描かれています。
その終盤の一節に
僕は
ひどく勇気づけられました。
「オレたち
あの世に
知り合いがいるんだ。
それって
すごい心強くないか!」
あー。
なるほど。
「死後の世界」なんて
まったくわからないけれど
もうそこに
知ってる人がいるんだ。
自分の存在が
この世から
消えてしまうことが
「死」というものならば
知り合いがいるあの世で
もう一度
自分の存在を
確かめられるかもしれないんだ。
大切な人に
逢いに行けるし
待つこともできるんだ。
たとえば
僕がこの世を去った後に
僕があの世にいるから
死ぬことが怖くない
といった
心強さを感じてもらえるような
生きかたをすること。
それは
先に旅立つ者として
なによりも
大切な使命なのではないか。
そんなことを
考えていたなぁと
唐突に想い出しました。
いずれにしても
『夏の庭』は
とっても有名な書籍ですので
読まれた方は
大勢いらっしゃると思いますが
年齢を重ねるごとに
読み返すことで
自分の考え方などが
再確認できると思います。
ちなみに
映画化もされていまして
これがまた
すごくよかったです。
僕の立場から考えてみると
父親が待っている
ことかもしれない。
そして
「多死社会」を憂うことが多いけれど
知っている人が
たくさん向こうにいるのであれば
再度「知り合い」に逢ったときに
恥ずかしくない
『生きかた』をすること
それと
あとに遺っている「知り合い」が
「アイツが向こうにいるから
心強いな」
と思ってくれるような
『生きかた』をすること
が大切なのかなぁと
そんな風に感じています。
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