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20代は人間性のリハビリ期間だった
30歳になった。
折角なので、20代の振り返りをしてみようと思う。
不安定な10代を過ごし、いろんな感情を封じ込めて大学に進学した。
その後の大学生活からこれまでを纏める。
※10代のことはこちら
無気力で不安定な大学生活
金銭的な問題で進路が阻まれていたため、どんな手段を使ってでも国立大学に進むために、スポーツ推薦で入学した。
本当は調理師専門学校で料理を学んで料理人になりたかった。
目の前で料理をしている姿を毎日観ている息子たち。
こういう日々の積み重ねが本人の「当たり前」になっていくんだろうな、と思う。
「お母さんが必ず夜ご飯をつくる」みたいな文化はおそらく彼らの時代にはないのだろう。
食べても良しだったらしく、お代わりしてましたとさ。
誰にでも母の日はやってくるんだ
母の日。母に日頃の感謝をする日。
こういうイベント事は、きっと色んな意見や考えが飛び交うのだろうけど。
少しでも有難い気持ちがある人は、花でもメッセージでも気持ちを伝えられるといいね。
少しでもネガティブな気持ちがある人は、無理せず感謝したければできるといいね。
もう直接伝えられない人は、心の中で想ったり、恩を送るかたちで誰かに感謝できるといいね。
今年も僕は、2歳の長男と花を買いに行き、
あの日のこと。母が失踪して10年が経つ。
私が17歳の頃、母が失踪した。それから私は一度も姿を見ていない。
記憶が薄れないうちに、そして今年の11月28日で10年の節目ということもあり、ここに当時の様子を残すこととする。
はじめに私は、鹿児島県姶良郡加治木町(今は姶良市になった)というところの病院で生まれた。当時は父が大阪で働いていたため、4歳までは府内に住んでいた。
その後、幼稚園に入るタイミングで父が徳島で自営業をするということにな