だる
30歳になった。 折角なので、20代の振り返りをしてみようと思う。 不安定な10代を過ごし、いろんな感情を封じ込めて大学に進学した。 その後の大学生活からこれまでを纏める。 ※10代のことはこちら 無気力で不安定な大学生活 金銭的な問題で進路が阻まれていたため、どんな手段を使ってでも国立大学に進むために、スポーツ推薦で入学した。 本当は調理師専門学校で料理を学んで料理人になりたかった。 大学に進学することが目的になっていたため、大学で学ぶことには大学1年のときに興味
目の前で料理をしている姿を毎日観ている息子たち。 こういう日々の積み重ねが本人の「当たり前」になっていくんだろうな、と思う。 「お母さんが必ず夜ご飯をつくる」みたいな文化はおそらく彼らの時代にはないのだろう。 食べても良しだったらしく、お代わりしてましたとさ。
この記事のタイトルをチラッと見た。 なるほど、みんな辛いのか。と思った。 みんな?というより、辛い人もいるのか。という感じだ。 僕自身、辛いと思ったことはない。 我が家は、朝食が妻、昼食と夕食は僕が担当している。(朝は起きられない) なので、仕事が忙しい時とかは、たまに面倒だと思うことはあるかもだけど、「献立」で悩んだことはない。 なぜだろう。少し考えてみた。何か役立つことを書くためにも、自分のやり方を振り返ってみる。 一つは、日頃からレシピを見て料理はしたことない
夜8時。 緑色が好きなのに、緑色の野菜はとことん残す2歳児に、なんとか残さずに夕食を食べさせた後。 さて、リビング中に散らかったおもちゃのお片付け。 自分が遊んだものは自分で片付けるべく、最近は毎日1時間くらい息子と格闘している。 息子は、最初はイヤイヤから始まり、 片付け始めても、だいたい30秒ももたず集中力が切れる。 そして遊ぶかボーッとする。 僕はその都度、喝をいれる。 そして、また息子が動き出す。 その繰り返しでやっていた。 だけど、よくよく考え
母の日。母に日頃の感謝をする日。 こういうイベント事は、きっと色んな意見や考えが飛び交うのだろうけど。 少しでも有難い気持ちがある人は、花でもメッセージでも気持ちを伝えられるといいね。 少しでもネガティブな気持ちがある人は、無理せず感謝したければできるといいね。 もう直接伝えられない人は、心の中で想ったり、恩を送るかたちで誰かに感謝できるといいね。 今年も僕は、2歳の長男と花を買いに行き、妻に渡しました。 去年と違って、長男から直接妻に花を渡すことができたのは良かった
Wifi、止まりすぎやないかああぁぁあ!!! と、最近は自宅のWifi環境が非常に悪く、ビデオ会議どころか電話でさえも繋がらない日々が続いてた。 原因は、Wifi中継機だということはわかっている。 Amazonの評判も良かったので、全てこの製品が悪いわけではない。 だとしても仕事中に「Wifi繋がんねぇ。。。」と思って見に行くと、 高確率で中継機がポックリしてるのであった。 中継機さんのポックリ方は二通りあった。 1. 中継機さんのハード的な理由でポックリ(再起動
私が17歳の頃、母が失踪した。それから私は一度も姿を見ていない。 記憶が薄れないうちに、そして今年の11月28日で10年の節目ということもあり、ここに当時の様子を残すこととする。 はじめに私は、鹿児島県姶良郡加治木町(今は姶良市になった)というところの病院で生まれた。当時は父が大阪で働いていたため、4歳までは府内に住んでいた。 その後、幼稚園に入るタイミングで父が徳島で自営業をするということになり、徳島市内に引越しをすることになった。 徳島の生活が始まったここからが、
少し前、9月は自殺が増えるというネットの記事やSNSを幾つか見かけた。 その後、普段通り仕事から帰宅し、夜のちょっとしたひと時に、妻とそのことについて話しをした。 (普段から時事ネタで会話をする事が多く、特に珍しいことではない。) 夏休みが終わり、二学期が始まる。学校に行かなければならない状況が耐えきれないために、命を絶つという選択をする人がいる。(当然、真意はわからないが。) 正直、このような情報は毎年見かけるため、僕はあまり感情移入をすることは無かったのだが、話をして
2月13日 水曜日、33週目で第二子(次男)が誕生した。 本当は3月末出産予定だったこともあり低体重出生児であったが、 母子ともに健康だった。 そんな出産から10日とちょっとが経過し、少し落ち着いたので、 次男誕生にまつわる記録をここにまとめる。 日常が一変、深夜に妻が破水2月11日 日曜日。3連休の中日。 僕と妻、長男(1歳)の3人で夕食を食べ、長男を風呂に入れて寝かしつけた。僕らも寝る準備完了。1日の最後に訪れる脱力タイム。 この時間が一番静かだ。 何をすることもなく、