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【連載小説】息子君へ 241 (46 君のお父さんになってあげられなくてごめんね-2)

 これを読んでいるとき、もうすでに君は幸せに育った子供なり、青年になっているんだと思うけれど、まだ君が一歳と少しでよちよちしているだろう今、俺は君が幸せになることを願っていたんだよ。
 君は俺のそばにいないし、君は俺の家族じゃないし、まだ生まれてすぐだった頃の君の顔も、ほとんど忘れかけてしまっている。それでも、毎日のように、自分はひとりだなと思うとき、そうじゃなかったかもしれないのになと、ほとんど顔も思い出せない君のことを思い出したりしていたんだ。
 俺はもう何もかもどうでもいいというのが本心だから、それを願っているわけではないけれど、君の家族になれたなら、それがよかったんだよ。君を自分の手で幸せな子供にしてあげられたらよかったのになと思っていたんだ。
 けれど、幸せということなら、君は少なくても幸せにはなれるだろうと思っているんだ。俺は君のお母さんのことをよく知らないけれど、人並みよりも感情の大きなひとだし、君に幸せになってもらいたいという気持ちも人並み以上に君に注いでくれるのだろう。
 少なくても幸せにはなれるはずだから、どうかそのまま幸せになってくれればと思う。そして、そのうえで、たいして何も思っていなさそうな、ほとんど感情といえるようなものがなさそうなひとじゃなくて、本当にそう思ってそう言ってくれているんだなと思ってもらえるひとになっていってくれればと思う。
 感情は実在するし、だからこそ、俺の肉体にとって君のお母さんは見ていて何を考えているのか伝わってこない感じがしていた。相手が何かすればそれが知覚されるというだけじゃないんだ。気持ちは勝手に伝わってきて、それに気持ちが動かされたうえでしか、相手のやっていることに何かを思うことができないのが、共感が働いているひとの普通の感じ方で、それは知覚情報を脳で処理しているのではなく肉体で自動的に感じ取っているからなんだ。そして、肉体として他人の感情をあまりまともに感じられないひとは増え続けていて、そういう子供たちや若者たちが増えすぎて、そういうひとたちのノリが当たり前になっていることで、君は君の心のスピードにしっくりこないノリに付き合わされ続けて、なかなか簡単には自分の心に自分でしっくりこれない経験ばかり積み重ねて若者になっていくのだろう。
 時代がそうで、そして君の場合、母親がそうなんだ。俺の肉体を引き継いで生きる君にとっては、感情を自動的に受け取ってくれない肉体と他人の人格に興味を持っていない心を持ったひとと一緒にいないといけないのはとても息の詰まることのはずなのに、君は母親がそうであることで、人間とはそういうものだという自分の肉体にそぐわない人間観から人生をスタートすることになってしまった。幸せには育ててもらえるにしても、そんな残念な境遇で育つことになった君が、自分の肉体にぴったり来るものの感じ方を自分で取り戻す助けになればと思って俺はこれを書いたんだ。
 けれど、そもそも君のお母さんを妊娠させなければよかったのかもしれないとも思う。君のお母さんに育てられるんだから、俺の血なんて引くべきじゃなかったのだろう。俺が君のお父さんになってあげられるのならどうにでもなったのかもしれないけれど、そうなってあげられないのに、君のお母さんを妊娠させたのは、本当に無責任なことだったね。お父さんになってあげられないのに、君のお母さんの妊娠させてしまって、本当に悪かったなと思う。
 けれど、もう君は生まれてきてしまった。無事に生まれてきてくれてうれしかったし、君の誕生日には、いつもおめでとうと思っているんだよ。せめてこの手紙が、俺の子供である君が自分の肉体への勘違いを解きほぐす助けになればと思う。

 この手紙のようなものを読みながら、君は自分の心がそんな動き方であることが、どれくらい血によってそうなっていたのか読み解こうとしてくれたのだと思う。自分の姿を鏡で見ながら、この手紙の印象から俺の姿を思い浮かべてくれたのかもしれない。君のお母さんお父さんと全く心の動き方が違っている自分がこんなにも自分の親に似ていたのかと驚くというのは、さぞかし楽しい経験だったんだろうね。
 かといって、俺はそんなふうに自分に似た息子を思い浮かべながらこの手紙のようなものを書いていたわけではないんだ。もう俺は君がどんな赤ちゃんだったのかということすらほとんど覚えていない、どんな育てられ方をしてどんな子供になるのか想像もつかない君を、何の表面も内容もなく想像しながら、俺から言ってあげられそうなことを垂れ流して、それ以外は、結局ただ空虚に幸せになってねとしか書けないなと思いながら、この手紙のようなものを終わろうとしている。
 他に何かないんだろうかとは思うけれど、君が幸せに育つのだろうというのは当たり前のようにそう思っているし、わざわざそんなことを願う必要はないんだろう。だから、あれこれ書いたけれど、やっぱり俺が一番伝えたかったのは、心はずいぶんと早くまともに動かなくなってしまうということだったのだと思う。それを伝える上での説得力のために、俺がどんなひとで、何をどう感じるような人間だったのかということを延々と書いていたようなものだったのだろう。
 どうなんだろう。俺は実際に心が死んでしまうまで全然わかっていなかったことだけれど、まだ若者の心で生きている自分しか知らない君に心が死ぬということがどういうことか伝わったんだろうか。
 幸せな子供時代が終わったあと、充実した若者時代があって、いつの間にか大人になっているけれど、気が付かないうちに心が死んでいくのを、君はうまく乗り切ってほしいなと思う。そのためにも、俺の人生がどんなふうに心が死ぬまでに間に合わない人生だったのかを、どんなふうにかわいそうだったのかという感情の記憶とともに、なんとなくでも覚えておいてくれたらなと思う。

 結局、この手紙みたいなものを終わらせる言葉すら、俺は自分の中に見付けられない。
 人間はそのひとの肉体で、そのひとの影響力なのだ。俺が君のお父さんになれたなら、君と一緒に過ごしながら、君に何だって伝えられるのだと思う。けれど、俺は確かに一度腕の中に抱いたはずの君の肉体の感触を思い出すこともできないまま、自分の中に浮かんでくる言葉を書き連ねていくことしかしてあげられなかった。
 この手紙のようなものは、受け身になって、俺の言葉の使い方から俺を知っていこうという気になりながら読んだなら、俺の気持ちの動きを追体験できる瞬間がちらほらあるように書けてはいるんじゃないかとは思う。けれど、どうしたって、君は自分が読みたいようにこれを読んでしまえるし、君は俺を知ろうとしなくても読める読み方だけでこれを読んだのかもしれない。だから、この手紙を終わらせるにも、何を伝えられたつもりで、締めに入ればいいんだろうという気がしてしまっている。
 そういうわけで、空っぽでもうしわけないけれど、ただ君の幸せだけを願って終わらせてもらおうと思う。君がお母さんに愛してもらえるままに、友達と楽しくやれるままに、愛してくれる恋人と楽しくやれるままに、幸せになってくれたらいいなと思う。
 自分が楽しければいいとか、自分の身内のことだけ考えて、自分が集団内でいい気でいられればいいとしか思っていないのはよくないことで、ひとを喜ばせるために生きていないといけないと散々書いてきたあとでは何の重みも持たない言葉になってしまうのだろうけれど、君の時代は俺の時代よりも幸せになるくらいしかできることがない時代になってしまうのだろうし、幸せになれるなら、とりあえずそれに越したことはないんだろうと思う。
 どんな時代だって、幸せ以外の基準で自分を確かめながら生きて、多少なりとも満足できるような生き方をできたひとというのは圧倒的に少数派だったんだろう。俺にしても、そこそこずっと楽しくやってこれたとはいえ、結局はうまくいかなかった。そして、今さら幸せになりたいとも思えなかったりしている。
 俺は幸せのことを考えないものの見方で生きてきて、それなりに楽しくやってこれて、ひとと一緒に何かをするにもそれなりにうまくやれるようになってしまった。別に思っていたほどはうまくいかなかっただけで、今だって何かをどうにかしたい苦痛につきまとわれているわけでもない。幸せのことを考えずに生きてこなかったことにも、何の後悔もない。もちろん、うまくいかなかったことへの虚しさはずっと自分の中に途切れることなく持続してはいる。けれど、どうしたところで俺というのは、幸せのことを全く考えなかったことでこういう感じ方になっていった人間なのだ。それなのに、今さら自分を捻じ曲げてまで幸せを欲しがろうとできるわけがないだろう。
 だから、せめて最低限のこととして、君は幸せではあるといいねと思っているんだ。幸せにしながら、喜んでもらいたいひとにも喜んでもらえるといいし、幸せにしながら、自分のことをいろんなひとに面白がってもらえるといいねと思う。そして、俺とは違って、自分は幸せだなと思って、そのうれしい気持ちの中で、自分を幸せにしてくれているからと、恋人や友達のことを自分の一部のようにして愛してあげられたらいいねと思う。
 幸せになってね。よちよち歩きの君を思い浮かべながら、これを読む少年だか青年だかわからない君の幸せを、俺は前もって願っていたんだよ。この気持ちは時を越えないだろうけれど、今こう思っていたからこの手紙みたいなものはこんな内容になったということは、そのまま君に伝えられる。それで充分なんだ。これは本当にそう思っていたことなんだからね。

 君の父親かもしれない俺より
 俺の子供なのかわからない君へ




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