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【連載小説】息子君へ 204 (41 俺が結婚するためには不自然なことをする必要があった-7)

 ありえなかったのがわかっているのに、過ぎたことに対して、そんなことがあったらよかったのにとぐちゃぐちゃと妄想を書き連ねている俺に、君はどう思っているんだろうね。
 けれど、なりゆきだけを生きてきたとはいえ、俺が何も感じていなかったわけではなかったというのはわかっただろう。
 いろんなことを思いながら、俺がこんなひととして生きてきたことによって、俺は人生で出会ったどのひととも、そういう自分なりにしか関係を持つことができなくて、そうしたときに、俺にはずっとこのひとと一緒にいようと思えたひとがいなかったんだ。
 そういう意味では、俺は自分が自然と出会ったひとと自然と恋愛していても自然とは結婚できないひとだったということを、ちゃんと自分で確かめることができたということでもあるのだろう。
 実際、俺は何を後悔しているわけでもないんだ。どうしてなんだろうかと思えば、いろいろ思い当たるところがあるというだけで、結局のところ、誰といても、ずっと一緒にいたいと思っていなかったからそうしなかったというのが、どうしたって本当のことなのだ。
 今だって、俺は自分の心に寄り添って、自分の心を確かめながら、今の自分の気分にしっくりくるように生活しているつもりだけれど、その結果、誰に会いたいとも思わないし、誰かと仲良くなりたいとも思えないままになっている。
 もちろん、ひとりでいてどうするんだろうとは思う。けれど、俺は今、誰に会いたいとも思っていないし、どんなひとに出会いたいとも思っていない。君のお母さんに会いたいという気持ちも全くない。連絡がきて、セックスがしてほしいようならしてあげるのだろうし、君の弟か妹が欲しいのなら中出しもしてあげるし、君のお父さんにならせてくれるのならならせてもらうのだろう。けれど、君に会いに明石に行った日以降、君のお母さんに会いたいと思ったことも、会えたらいいのにと思ったことも一度もないんだ。
 ただ、ぼんやりとセックスしたいなと思ったときに、直近にしまくっていた相手だから、君のお母さんとのセックスの感触や気分はどうしても思い出してしまいがちだし、思い出したときに、君のお母さんとできるのならそれでもいいんだよなと思ったりはしていた。かといって、君のお母さんのことを思い出しながら自分で射精したこともあったけれど、そんなことをしたからといって、君のお母さんに会いたいと思ったりはしなかったし、連絡してみようかと迷ったりすることもなかった。
 きっと、自分の心を自分で確かめようとしなければ、ひとりでいても何もなくてつまらないだけなんだしと、何かがあるように誰かと何かをしようとしていたのだろう。心を確かめてしまうから、自分の心が別に誰のことも求めていないし、ここしばらくの気分としては、誰かに求められたいという気持ちすらないというのが自分の本当だと実感してしまうことになるのだ。
 俺は自分の気持ちを感じようとしてきたし、今だって感じている。俺はずっと自分の心の近くで生きてきたんだ。そして、どうしようもなく、そのことと俺が今ひとりでいることは結びついているのだろう。
 自分の気持ちを確かめたからって、本当にそう思っているわけじゃないことでも何でもすればよかったのだろう。けれど、俺にはそういう回路が備わっていなかった。俺はずっと、自分がしたいことをできていれば、楽しくなくてもいいんだと思って生きてきた。みんなが楽しそうにしているのを眺めていて、そうしながら自分の気持ちを確かめて、羨ましくてすぐにでもみんなの仲間に入れてほしいという気持ちになっているわけではないということを、俺は自分は自分だという意識ができてきた思春期前くらいからずっと確かめ続けてきたのだ。
 楽しいことができるのならぜひともやらせてほしいという気持ちがなかった俺が、自分が本当は誰に会いたいとも思っていないことを自覚してしまったとして、何もしないよりはマシかと、何かがあるかもしれない場所にいって、誰かと仲良くなれるようななりゆきが起こるのを漫然と期待してぼんやりしている以外に、何をどうできたんだろうなと思う。もっと自分と合わなさそうなひとだと思いながらでも、楽しげに調子よく振る舞って、相手が打ち解けてくれさえすればいいという感じで、相手と楽しくやろうとして、面倒くさくなるまで友達付き合いとか、恋愛っぽい関わりを楽しませてもらえばよかったんだろうなと思いはする。けれど、自分はあまりにもそういうことをするようなひとではなさすぎたということを俺はだんだんと思い知っていったのだ。三十代になる頃には、心のどこを探しても、もっと楽しいことをたくさんやろうとするべきだったと後悔する気持ちはなくなっていたのだと思う。
 ただ、繰り返しになるけれど、君はきっと大丈夫なのだと思う。俺は運が悪すぎたことで結婚できなかっただけで、深く信頼し合えていい関係になれる相手と結婚しようと思えばできる機会が何度もあった。この手紙を最後まで読んでくれれば、君はきっと、人生はそういうものではないという一つの典型例を、どんなふうにしてそういうものではないのか実感をできるのだろうし、そうすれば、これ以上ないくらいに誰かと仲良くなって、ずっと一緒にいたい言われたときに、当たり前のようにまぁいいかと思えるのだと思う。
 君は自分の気持ちに従って生きていけばいいんだ。ただ、気持ちのままに生きていたとして、その気持ちの続きは、自分の望む全ての出来事を通過していくような道筋にはなっていかないかもしれないということだけわかっていれば、君はそれで大丈夫なのだと思う。
 自分の気持ちのままに生きられれば、自分らしさには出会えるし、縁のあった相手のそのひとらしさにもいくつも出会うことができる。そのうえで、出会ったひとと自分との必然的な何かと、偶然の何かをいくつも体験して、偶然に気付かされ、必然に思い知らされながら、もっと世界を生きることにしっくりこれるようになっていける。ただ単に、その偶然や必然には結婚とか子供は含まれていないかもしれないというだけのことなんだ。
 自分の気持ちに従って生きなければ、誰の人生を生きているのかわからなくなる。けれど、欲しいものがあったなら、君は自分がそれをどれだけほしいと思っているのかよく考えないといけない。君はそれを本当にほしいと思っているのに、君の心はそれを手に入れるためなら何でもしようとは思わないかもしれない。そういうとき、君は自分で自分の気持ちを黙らせて、欲しいもののために立ち止まって、手を伸ばさなくてはいけない。自分が進んでいたのとは別の方向に一歩踏み出して、自分らしくないことをして恥をかいて、惨めな思いもして、そうやって、本当はそんなことしたいわけでもないことをして傷付くことを受け入れることで、欲しいものを手に入れようとする自分を生きなくてはいけないんだ。
 俺はそんなこともわかっていなかった。だから、君に伝えているんだよ。何かが欲しいのなら、そのために、それに相当する何かをしないといけない。
 俺が結婚して子供を育てる生活をしたかったなら、そういうことだったんだ。俺は自分にとって自然なことしかしなかった。だから、独り身のまま歳を取っていても、自分がそうしようと思うことにしてきたのだと思えるから、何も恥ずかしいことはなかったりする。けれど、そうしようと思い続けてきたことはできないままになってしまった。ひとりでいたいわけでもなかったのに、ずっとひとりのままになってしまった。
 働かないとしょうがないからと働いてきたけれど、結婚のことも同じように考えなくてはいけなかったんだ。それなのに、普通にひとと付き合ったりしていれば、そのうち結婚することになるし、子供も育てられるんだろうと思ったまま、もう四十歳前になってしまった。
 別に泣き言じゃなく、俺はただ正直な気持ちとして、こんなはずじゃなかったのになと思っているんだよ。誰か教えてくれればよかったのにと思ってしまうんだ。だから俺はこの手紙のようなものを書いているんだ。
 俺は自分が生きるとして、それが自然であるような道筋を生きてきた。みんなそういうわけではなかったりするのだろう。そして、それなりに多くひとが、どうして自分は結婚してしまったのだろうとか、人生で最大の間違いが結婚したことだったと思って、あのときはそういうものだろうと思ってそうしたけれど、あのとき結婚したのは自分からすると不自然なことだったと思っていたりするのだろう。
 俺もそうなるべきだったんだ。俺も本当にこれでいいんだろうかと思いながら、しっくりこないまま結婚して、結婚してすぐからやっぱり自分らしくなかったなと思って、何年経っても家庭という建前を守るためになんて生きたくなかったなと思いながら、それでも子供を育てられたし、それも仕方なかったかと思って自分を納得させるような、そんな人生を送ることができたらよかったのだろう。俺は不自然なことをしないようにしすぎてしまったんだ。
 だからこそ、俺は君に、君の場合、結婚がそれなのかどうかは別にしても、本当に欲しい物があるのなら、君はそのために自分にとって不自然なことをしないといけないということを伝えているんだ。
 君はそれをよく覚えていてほしい。そして、嫌な予感がしたら思い出してほしい。そして、俺の今伝えていることを信じてほしい。自分らしくないこともしないといけないし、自分にとって不自然に思えることもしなくてはいけないんだ。みんなが普通に手に入れているものも、君にとっては、そこまでしないと手に入れられないものかもしれないんだ。そんなふうになってしまう可能性が、俺の半分を引き継いだ身体を生まれ持った君の中にもあるかもしれない。だから、嫌な予感がしたら、これを思い出して、俺を信じて、ちゃんと欲しいもののために何でもできることをしてほしい。

 ちゃんと感じて、ちゃんと反応するというだけでは、自分を確かめているだけで終わってしまって、自分には何も残らないことになってしまうかもしれないというのがわかっただろうか。
 俺は自分の心を感じすぎたことで、本当には愛されていないとか、ずっと一緒にいたいと思っているわけではないという本当のことを自覚しすぎて、そのせいで人生全体が本当のことを生きた方がいいのだという気持ちに引っ張られすぎてしまうことになった。
 いい面もあったんだよ。俺は嘘をつかずに生きてこれた。やる気があるふりをして仕事をしながら、まともに感情で接することのできない相手と暮らして、生活そのものが嘘みたいになってしまうようなことにはならずにすんでいるのだ。ひとりで虚しくはあるけれど、帰宅して眠くなってくるまで、好きでもないひとが近くにいることにうっすらしたストレスを感じ続けながら、延々とテレビの前に座っている生活をするよりは、今の自分の生活の方がまだよかったと思っている。
 俺は嘘が少なく生きられて本当によかったと思っているし、これからもそれでいいとも思っているんだ。もう誰かと仲良くなることはない可能性が高いけれど、そうだとしても、自分の感じたことや思ったことに、本当にそうだなと思っていられたら、それなりに最悪じゃない気分でやっていけるのだろう。
 ただ、そう思いはするけれど、そんなふうに自分が目の前のものに何を感じているのかを自分で確かめながら、ある程度の年齢になって以降の人生をそれなりに最悪じゃなく生きていくことは、若い頃に思っていたほど簡単じゃないということにも気が付いてしまった。
 気付くのが遅すぎたなと思うし、俺は本当に人生というものがわかっていなかったなと思う。俺はずっととてつもなく大きな勘違いをしていたのだ。
 俺は心が死んでしまうなんて思っていなかった。まだ今からいろいろできるし、今からでもいろんなひとと深い関係になっていけると思っていた。けれど、そうじゃなかった。
 自分でも気が付いていなかったけれど、君がお腹の中で大きくなってきたころから、俺はもう女のひとが近くにいたり、少し喋ったりしても、そのひとと仲良くなれるかもしれないとか、好きになれるかもしれないとか、そんなこと全く思わなくなっていた。というより、誰かのことをかわいいなと思うことすら、きっとこの一年で一回も思っていないんだと思う。
 もう現実の女のひと全般が、自分には関係がなくなってしまった感じすらある。頭の中のポルノの登場人物としては、女のひとへの飢えとか興味のようなものは残っているのだと思う。けれど、現実の女のひととの現実の人間関係ということだと、もうそういうものがありえるという感覚がなくなってしまっているのだ。
 もちろん、まだ勃起はするし、君のお母さんが近付いてきたみたいに、誰か近付いてきてくれさえすればいいんだよ。相手が性的に興奮してくれれば、心とは関係なく、俺も性的に興奮できるし、勃起するところまでいければセックスはできるのだろう。
 けれど、君のお母さんと久しぶりに会った頃ですら、まだ多少は女のひとの姿を目が追ったりしていたけれど、俺はほとんど女のひとに何も思わなくなっていたのだと思う。君のお母さんと不倫関係になる一年前とか二年前くらいに、飲み屋で知り合った女のひとと飲んだりセックスしたりというのが何度かあったけれど、どのひとにも、好きだという気持ちは全くなかった。かわいいとは思っていたり、かわいい瞬間はあると思っていたし、俺とセックスしたいと思ってくれたから、うれしい気持ちでセックスしていたけれど、それだけだった。人間として好きになりかける感覚ということだと、やっぱりマッチングアプリで知り合ったかなり歳下のひとが最後で、そこからは誰にもまともに相手の人格に興味を持てたことすらなかったのだと思う。
 君のお母さんにしたって、二人で会うようになって、遠出してみたりしても、人格にはまともに好意を持てていなかった。ただセックスがよかったから関係が続いたというだけだった。セックスがよかったということすら語弊があって、セックスの途中から、異様なテンションで俺に向かってかわいくしようとしてくれるようになったのと、俺が直近二年とかで、飲み過ぎてがちがちなところまで勃起できない状態でしかセックスしていなかったから、君のお母さんとはたいして飲んでいない状態でできて、ちゃんとしっかり勃ったし、ほとんど素面で自分がどんなふうにセックスできているのかしっかり実感がある状態でどっぷり集中してじっくりセックスできて、そんなセックスは久しぶりでとてつもない充実感になってしまっていたから、ずっと正常位のままでかわいいと言い続けているだけのバカみたいなセックスで大満足できてしまったというだけなのだ。そういう意味では、君のお母さんとは他者との出会いですらなかったのだろう。俺はかわいがってあげると喜んでくれるひととしてしか関わっていなかったのだろうし、セックスしてあげたい相手としてしか好きになれてはいなかったのだ。
 しばらく誰のことも特別かわいいと思っていなかったけれど、君のお母さんがかわいいひとだったから久しぶりにひとを好きになれて、好きなひととの素晴らしいセックスを楽しむことができたというわけじゃないんだ。君のお母さんだって、性的に興奮してくれていればかわいく感じたけれど、それ以外のときは、かわいいとは感じていなかった。ここ何年かのいつも通りで、女のひとが目の前にいても、心はほとんど波立たないまま、相手と自分のちょっとした噛み合っていなさを確かめながら、このひとはこういうひとなんだなと、相手のそのひとらしさを少しずつ感じ取っているのをなんとなく楽しんでいただけだった。君のお母さんと久しぶりに会った頃には、俺はもう四年以上彼女がいない状態だったし、全く誰かを好きになれそうな気配も自分の中に感じていなかったし、もう誰かと付き合ったりすることはないのかもしれないし、下手をすると、もうこれから誰ともセックスしないことすらありえるのだと思ったりもしていた。
 君のお母さんと初めて二人で出かけてセックスした日にしたって、ふたりきりでいるからって君のお母さんにかわいいと思えていなかったし、ぶらぶらしていても、飲んでいても、ずっとこのひとはどういうつもりなんだろうなと思っていたし、ホテルの部屋で二人きりになっても、どういうつもりなのかわからないなと思いながら、まぁいいかと思いながらセックスを始めた感じだった。けれど、そのときの俺は、かわいくしようとしたらできるはずなんだからかわいくしてくれたらいいのにとか、こんな盛り上がらない感じでセックスしないといけないのかとか、そういうことに物足りないなんて全く思っていなかった。とにかくよくわからないひとだなと思っていたのが一番ではあったけれど、その次は、こんな自分とそういうことをしたいと思ってくれているなんてありがたいなと、素直にうれしい気持ちでいっぱいだったんだ。
 逆に、そんな程度にしか思っていなかったから、セックスし始めてから、裸の身体をくっつけ合う気持ちよさを素直にうれしく感じながら、本当にありがとうねという気持ちで、まだ顔の硬かった君のお母さんにいい顔で微笑みかけていられたというのもあったのだと思う。それによって、君のお母さんは、どうしていいかわからなくてじっとしているだけの、かわいくもなんともない状態のままでも俺に優しくしてもらえたのだし、俺がもっとかわいくしてほしいという意味でかわいいと言ってキスしたり顔を撫でたりしていることに、だんだん安心していくことができて、かわいい顔をできるようになったのだ。
 俺が自分にも他人にも何も期待していなかったことで、俺は君のお母さんの未成熟さにがっかりせずに、ただ自分といいことをしたいと思ってくれたことに感謝して、したいようにしてもらえるようにとだけ思っていたから、君のお母さんはかわいくなれたんだ。そして、君のお母さんがとてもかわいくなってくれて、ずっと俺がしてあげていることに集中し続けてくれたことで、俺の方も、こんなに頭がしびれてくるみたいにしていい気持ちになれて、心の底からうれしい気持ちで相手に笑いかけていられるようなセックスは前の彼女以来何年ぶりなんだろうと感動することになったし、自分がまたこんな気持ちになれるなんて思っていなかったと、ただただびっくりさせられることになったんだ。
 すぐに君がお腹の中にやってきてしまったし、君のお母さんとの関係は君が生まれてくるまでのものになってしまった。それでも、お腹が大きくなってきても、俺に会いたがってくれて、俺にかわいがってもらいたがってくれたし、それは君が生まれてくる直前まで続いた。そして、そこから俺は、誰にもほんの少しの興味も持つことがないままになっている。
 実際には、君のお母さんとの不倫が始まってからなのだろう。君のお母さんとの不倫中も、よく行く飲み屋で女のひとを紹介してもらったり、マッチングサービスアプリで知り合ったひとと会ったりはしたけれど、いいひとだなとか、まともなひとだなとは思ったけれど、相手が望んでくれるならセックスしたいというくらいの気持ちにしかならなかった。君のお母さんとの不倫が始まって、話が盛り上がらないな、よくわからないなと思いながら、とにかくかわいがることでいい時間を過ごすということをやり始めてから、俺は誰にも興味を持っていないまま、もう二年近くが過ぎてしまったのだ。
 君のお母さんのことがある前も、君のお母さんとのことが終わったあとも、俺はただ空っぽだったんだ。俺が空っぽになってぼんやりしていたところに、君のお母さんが向こうからやってきてくれて、しばらくの間、ちょくちょくと俺の腕の中や俺の身体の下に潜り込んでうれしそうにしてくれていて、俺はただうれしいなと思いながら、自分の腕の中にやってきてくれたひとをかわいがっていたんだ。ただそれだけで、だから、君のお母さんと会えなくなって、俺はまた当たり前のように誰にも何も思わない日々に戻って、そこからはずっとそのままになっている。
 君のお母さんと会っている間は、まだ新しく誰かと二人で会ったりすることがなくはなかったけれど、君のお母さんと会わなくなってからは、一度も新しく知り合った女のひとと二人で過ごしていない気がする。君のお母さんと会わなくなってしばらくは、環境の変化もあって少しばたばたしていたけれど、それも落ち着いてからは、この手紙を書きながら、君に伝えたいとしたらどういうことがあるんだろうかと考えている以外には、ほとんど何かをまともに思うこともなく生活している。そして、毎日それなりの数の女のひとたちを視界に入れながら、たまにいかにも自分の好きそうな感じの女のひとの姿を目が追ったりはしつつ、こんなにも誰にも興味を持てなくなっているのかと自分で愕然としている。
 もちろん、歩いていても、どこにいても、かわいいひとくらいいくらでもいる。今だって、かわいいひとを鑑賞するような目で見れば、視界に入るある程度以上かわいいひとたちにはかわいいと思えるし、同じように、カメラに向かってかわいい顔をしているひとをスクリーンの中に見ているときには、かわいいと思って興奮することもできている。
 けれど、現実の中で、自分の肉体として他人の肉体にかわいいと思うことはできなくなってしまっている。というより、自覚できたのが遅かっただけで、もうずいぶんと前から、肉体と肉体として関わりながら、相手に気持ちを動かされることで相手に興味を持ったり、相手を好きになるということがほとんどできなくなっていたのだ。
 頭は自動的に動き続けている。自分の気持ちに寄り添っていれば思うことはあるから、この手紙も書けている。けれど、肉体と肉体として他人の気持ちの動きを感じ取っていても、昔のように誰かのことをいいひとだなと思ったり、かわいいひとだなと思うことがなくなってしまっているのだ。
 きっと今でも、身体が触れ合うくらいの距離まで近付いてくれて、うれしそうな顔をしてくれれば、勃起できるし、どきどきできるし、そうすれば、相手に対しての気持ちも動き出すのだろう。けれど、そうでもないと、もう心は動かないような状態になってしまっているんだ。
 俺は自分の心に寄り添ってきたけれど、そうやって生きていればそれで大丈夫だというのは、条件付きの話なんだ。
 歳を取ると、心は止まってしまう。それについて、ちゃんと君に伝えておかないとなと思う。




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