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【連載小説】息子君へ 234 (45 俺はかわいそうだと思われたかった-5)

 俺はひとりで拗ねていたわけじゃないんだよ。俺はずっと他人が俺を遠ざけようとするのを確かめてきた。他人が別の他人を遠ざけているのもずっと見てきたし、表面的にはどんどん仲良くなっていっても、距離が近付くほど気持ちを受け取らないようになっていくのものなのだということをずっと確かめてきたんだ。
 みんな、相手の気持ちに反応するのが面倒くさかったり、どうしても自分の思うようになってほしいという気持ちよりも相手を大事にすることができなかったりするのだろう。それこそ、ケンカとか別れ話みたいに、イベント的にしかお互いの気持ちを伝え合ったり話し合ったりできなくなるほど、普段はなるべく気持ちではないもので接していようとするようになっていく。俺の両親もそうだったし、俺の友達にしろ、会社のひとたちもそんなふうに見えていた。そして、自分と付き合っているひとだって同じなんだなと思っていたのだ。
 寄りかかるようなことはしなかったというだけで、俺は気持ちで接することができる相手には気持ちで接しようとしてきた。親しいひとたちとはほとんど何でも話すことができるようになってはいて、ただ、それと同時に、心底では相手が自分の深いところにまでは踏み込もうとしてくれないことに冷たい気持ちになっていたところもあったというだけなんだ。そして、俺はそれを自分のせいだとも思ってきた。そんなふうに他人から遠ざけられる原因になっている、自分の心の中に動いているものをよくないものに思い続けてきたし、そんなふうに思われる人間なんだということをちゃんとわきまえ続けてもきたんだ。
 俺は別にうまくいかなかったからと、自分はダメなんだといじけているわけじゃないんだ。むしろ、俺はダメじゃないはずだと思って一生懸命関わってきたひとたちとの時間の中で、自分はそうなんだなとしっかりした実感とともに、そういうことを本当にそうなのだと確かめてきた。ネガティブだとしても、悲観的だといても、それはポーズとして言っていることではないんだ。
 俺は自分のことを普通だと思っていた。慢性的なうっすらとした虚無感とか、生命の軽視とか、不安の軽視とか、寂しさの軽視とか、そういうところはあったにしても、それはかなり多くの男に当てはまるものでしかないだろうと思う。性衝動とか攻撃性は低めで共感とか同調の感覚が強めで、知覚の中で視覚があまり優位じゃないとかそれくらいで、俺は全体的にいかにも男性的な感受性なのだと思う。むしろ、多くの男が自分から鈍感になろうとしていったり、ゲスになりたがったり、何かに興味を持つのをやめてしまうことの方が不自然なことだと思っていた。みんながたまにでも自分の気持ちをぼんやり感じながら自分のことを考えて、気になることを気にしながら、もっと自分のしたいようにしようとしながら生きてくれていたのなら、俺はみんなとそこまで大差ない存在として扱われていたはずなのだと思う。そう思えるくらいには、俺は自分のちっとも変態っぽいところのない普通っぽい感性に素直に従って生きてきたように思っていた。
 もちろん、俺は多数派にすっぽり収まりながら生活していたわけではなかったし、二十歳以降、それなりに感じ方や考え方が変化していって、みんなと楽しくやれていることを軽視していったりとか、傷付かないことよりも本当であることを選ぶとか、建前をほとんど嘘のようなものに感じるようになったりとか、そういう他人とのギャップになるものを自分の中にはっきりさせてきたというのはあった。けれど、それだって、俺の中では自然なことだったのだ。みんながそうしているんだからそうすればいいとか、みんなと楽しくやれればそれでいいとか、何もかもをそういう考え方ですませようとしないのなら、自然とそうなっていくような感じ方を自分ではしているつもりだった。
 けれど、俺はそれが間違った感じ方だったことにもっと早く気が付くべきだったのだろう。間違っていたのはしょうがなかったとして、自分は自分の気持ちを生きているのだと自分に言い聞かせながら、間違い続けてしまったことは、本当に愚かだったなと思う。
 俺は三十歳以降、人生まるごとが失敗だったというような感覚に包まれて生きているところがあるのだと思う。こんなことなら、こんなふうに生きなかったのにとずっと思ってきた。
 俺はずっと、ひとに喜んでもらいたいと思って目の前のことにちゃんと自分なりに反応しようとしてきたつもりだった。けれど、喜んでもらっていたようで、そこにはそれ以上には何もなかったのだろう。してあげたことを相手に喜んでもらえていただけで、俺がこういう人間であることを喜んでもらって、好きになってもらえていたわけではなかったのだと気が付いて、自分の生きるうえでのモチベーション設定はまるっきり間違っていたんだなと思った。そして、自分がこんな自分であることを喜んでもらうことが俺には不可能なのかもしれないと思ってしまったときに、あらゆる他者が遠ざかっていって、そうすると人生が自分から遠ざかっていって、それと並行して心が止まってしまったのもあって、気が付いたときには、もうこの人生で自分が欲しいものを手に入れようと何かに手を伸ばしたいような気持ちはなくなってしまっていたのだ。
 それにはきっかけがあった。あのとき、他人の中の俺を心底には愛していなさというのをはっきりと感じてしまって、そこで俺は自分の愛されなさを仕方のないものとして受け入れたのだ。
 それを受け入れたあとには、もう人生でやりたいことも、やるべきだと思うこともなくなっていた。楽しいことはいくらでもあったし、仲良くなったひとも、好きになれたひともいた。けれど、何もかも、やってみたけれど心までは届かなかったということの繰り返しで、もうそれ以降、人生でやりたいことが自分の中に生まれることはなかった。

 三十歳になる数ヶ月前くらいに、なんとなくもやもやした気分が抜けていかない日があって、暇だからと部屋を出て、長々と散歩しながら、なんだかなとか、どうして自分はこうなんだろうなと、初めて歩く景色を眺めながら昔のことを思い返していたら、自分なりに気付きのようなものがあって、これは自分にとって大きな気付きなのかもしれないと思いながら、そのまま何時間か歩きながらいろんなことを思い出していって、やっぱりそうなんだろうなと、自分が気付かされたことが本当にそうなのだということを確かめ続けて、部屋に帰ってきてから、付き合っていた彼女に電話をして、自分はこれまでどういうことを勘違いし続けてきたのかもしれないという話をした。話しながら、本当にそうだなと思って、こうやって言葉にできて、自分で確かめられてよかったと思っていたら、彼女から、そんな話聞きたくないと言われた。それで俺は、わけがわからなくなってしまった。俺は一生懸命に話していて、明らかに話している俺の中には、熱や驚きや解放感のようなものが湧き上がっていて、普段の俺とは別種類の充実が相手に伝わるような状態だったはずだった。けれど、そんな話は聞きたくないと言われて、だったら自分の人生は何だったんだろうと思ったのだ。
 そんな話聞きたくないというようなことは二十九歳のときに初めて言われたわけではなかった。結婚を前提によりを戻さないかと言ってきた彼女にしたって、付き合っていた当時は、息が詰まるから別れたいと言ってきたのだ。
 そんなにちゃんと喋らなくてよくて、もっと気を楽にして、力を抜いたりもできる関係になりたいたい、そういうものがないと苦しくなるというようなことを言われていたのだと思う。思うことをいちいちしっかり話されるのは苦しくて、もっともっといい加減でいいから甘えさせてもらいたいけれど、それがうまくできないから別れたいということだった。
 俺としては、一緒にいるときにのんびりされることは全く嫌じゃなかったし、そうしてくれればいいと思ったけれど、けれど、俺に思うことがあって、それを一生懸命話しても、それに付き合わされるこのひとにとっては、一生懸命話すほど苦痛でしかなくなってしまうんだなと思って、自分は他人によくないものをもたらす人間だったんだなとひどく落ち込んでしまった。そう言われてすぐ別れたわけではなく、そんなふうに思われたくないと食い下がってあれこれ話をしたけれど、お互いに今でも好きだからって、息苦しいのはどうにもならないんだなと思って、結局そのまま別れることになった。
 その彼女と別れてから、しばらく経って、次に付き合ったひととは、何を話すにももっと会話が盛り上がっていた。前の彼女に人格否定されたものをうまくやり直せていて、損なわれてしまったものを取り戻せているように感じていたところはあったのだと思う。
 自分が思うことを一生懸命話そうとすることは、ひとを嫌な気持ちにさせることじゃないはずだと思いながら、俺は二十代後半を生きていたところがあったのだと思う。だからこそ、その彼女がよりを戻したいと言ってきて、昔はちゃんと話そうとされることを苦しく思ったけれど、そのあと自分が彼氏たちにそう思うようになって、今なら俺とうまくやれるのかもしれないと思ってくれたことがうれしかったのだ。
 当時だって、俺はできるだけ相手に感じたことを相手に伝えようとしていたり、何か話すのなら、本当に思っていることを話そうとしていただけだった。だから、それを伝えられても苦しくなると言われて、ちゃんと本当にそうだと思うところまで思おうとすることが相手を苦しめているのなら、俺は自分の一番根深いところでひとを嫌な気持ちにさせる人間ということなのかと落ち込んだし、それをずっと引きずっていたから、数年してその彼女が昔の自分が間違っていたというように言ってくれたことで、だったら俺は間違っていなかったのかと、心底からうれしく思えていたのだ。そして、だからこそなおさら、まだ数回しかデートしていなくて、ろくに喋っていなくて、あのとき俺の人格を否定したことを取り消すことができたのを実感できたわけでもないだろうに、付き合うかどうかの決断を迫ってこられたことで、裏切られた気持ちになったのだ。
 そして、だからそのときの彼女と関係を続けたのに、それから二年もしないうちに、その彼女に、もっとひどく、そんな話聞きたくないと、人格否定されることになった。
 二十九歳のときにそんな話は聞きたくないと言った彼女には、よりを戻そうと言ってきた彼女とそんなふうに別れていたという話はしていた。話を聞いて彼女は、私はそんなふうに思わないし、私はたくさん話してくれるのが楽しいし、いつもうれしいというようなことを言っていた。実際、よりを戻そうと言ってきた彼女とより、もっといろんなことをもっとああだこうだと話しながら、よりを戻そうと言ってきた彼女とより長く付き合ってきた。けれど、ある日、俺がいろんなことを思って、本当にそうだなと思って、これは聞いてもらっても面白い話だと思って一生懸命話したら、そんな話は聞きたくないと言われたのだ。
 今となっては、彼女にはそのとき他に好きな男ができていたのを知っているから、俺へのモチベーションが落ちていて、だから一生懸命大事なことを話されると、それを受け止められるだけのエネルギーを俺に向けなくてはいけないのが億劫になってしまったというだけだったのかなと思えたりもする。それはあとからわかったけれど、それがわかっても、そんな話聞きたくないと言われたショックは、もうあとからではどうしようもなかった。
 そして、三十二歳のとき、その次に付き合ったひとにも、自分としてはいつも以上にちゃんと話をできた気がしたときに、似た感じの反応をされた。何かの流れで、俺が大事に思っている昔のことの話をし始めてしまって、自分で本当にそうだなと思いながら、どんどん一生懸命に喋っている状態になってしまった。俺としては簡単には話せないことを、自分でしっくりくる話し方で、嘘ではない気持ちを乗せて話せたと感じていたけれど、相手は俺がそういう人間であることに何かを思ってくれるのではなく、そういう内容の話を聞かされた自分の心象の悪さについてリアクションしてきた。俺が喋り終わって、少しして話し始めた彼女が、怒っているような感情を発していることに、俺がこんなにはっきりと充実した状態で話をして、そのエネルギーを目の前に感じたうえで、そんな反応をしてくるのかと愕然とした。彼女が喋り始めた時点でショックが大きくて、俺は怒ったりする気にもなれなくて、彼女がどういう話の聞き方をすれば怒っていられるのかはわかっていたから、その場では彼女の気持ちをなだめるようにしていた。彼女にそのときはショックだったと伝えたのは、前の彼女からそんな話聞きたくないと言われて、そういうこともあって別れたという話をしたときで、彼女は私も同じことしたんだねと泣いていた。
 そういうことがあったあとも、その彼女とは楽しくやってはいた。けれど、自分の中で、やっぱりこのひとだって、俺が本当に話したいことを話したときには、そんな話は聞きたくないと思うひとなんだし、全体的に俺のことを愛してくれていて、俺のことを特別な相手だと思ってくれているのだろうけれど、かといって、実際のところは、俺がこんな人間じゃなかったならもっとよかったと思うようなひとではあるのだと思っていた。そして、自分が仲良くなれたひとはまたそういうひとだったんだなと思ったし、とてもいいひとであってもそうなってしまうということは、俺自身が、誰からしてみたときも、そんなひとじゃなかった方がよかったところが根っこにあるようなひとだということなのだと思ったし、相手だってそんなことを思いたくないのにそう思わせてしまう俺が悪いのだと思った。
 続けて三人目のそういう結果だったのだし、二十三歳からまる十年、そうではないはずだとあがいていたつもりで、結局同じことを言われ続けたということでもあったし、そんな話聞きたくないと思われるようなことしか思っていない人間なんだと、自分のことをそう思うしかないと、諦めがついたような気分にはなったのだと思う。そのあたりから、次の彼女と付き合ったときも、誰と仲良くなったときも、君のお母さんと不倫しているときでも、ずっとそういう気分に包まれたままでで生きてきたのだと思う。
 その気持ちを取り消してくれるような出来事は、何も起こらなかった。六本木で同僚だったひとはそこまで話が噛み合うひとではなかったし、自分の心の奥まったところに触れてみてもらえるようになる前に別れてしまった。
 二十九歳の俺にそんな話聞きたくないといった彼女は、そこからまた数年して、一緒に暮らしたいと言ってきた。おかしな話だけれど、そんな話聞きたくないと言われたあと、またしばらくしてから、いろいろ話したり、あれこれ一緒にやる機会もあったりして、たまに連絡を受けては話すという関係が続いていて、仲良く喋っていられるということでは、付き合っているときと大差なく楽しく喋っていられるようになってはいた。一緒に暮らしたいと言われて、別にそうすることもできるんだろうなとは思ったけれど、話を聞きながらも、自分の中でその相手に対して深いところでは心が閉じているのを感じていた。一緒に暮らしたとして、楽しくはやれるし、相手のことを大事にはできるのだろうけれど、愛していると言いたくなるような気持ちになれることはないのだろうとは思ったし、相手に対しても、このひとは俺が自分とどんなふうに話してくれるのかということが好きなだけで、俺の心の動き方が好きなわけじゃないのはあの頃と変わっていないのだろうと感じていて、これから一緒に暮らしたって、本当に深いところから愛してもらえていると思えるようになることはないのだろうと思っていた。
 そんなふうに俺に思われているのに、一緒に暮らしたいという話をたいして俺の目の中を確かめるわけでもないまま話し続けている相手に、このひとはどうしたってこのレベルより先では自分勝手にしか何かを思えないひとなんだなと思ったし、このひとは自分が俺につけた傷の深さが全くわかっていないんだなと思った。そして、そんなにまで鈍感になれてしまう相手と一緒にいたいというのはどういうことなんだろうと思った。今さら軽蔑もしなかったけれど、何でも話せるけれど心は閉ざし続けることになる相手とずっと一緒にいる未来なら俺にも手に入るのかと、バカバカしい気持ちにはなった。




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