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【連載小説】息子君へ 188 (39 どうしたらずっと一緒にいたいと思えたのだろう-2)

 どうしたところで、男には男の感情の動き方というのがあるのだ。例えば、相手を自分のものだと思って、誰にも触らせたくない、他のひとから守りたいという気持ちにさせるホルモンがあるようで、それは射精によって分泌されるものだったりするらしい。男の自分のパートナーへの嫉妬が攻撃的な独占欲として現れるのも、ホルモンによってそういう方向性の衝動が働いてしまうからということらしい。相手を自分のものとして守ろうとするし、それに近付いてこようとする相手がいたらそれを撃退しようとするような、縄張りを守ろうとする本能は動物によくあるものなのだろうし、それが人間の男にもあるということなのだろう。そして、男は年中射精しているものだし、自分に守るべきパートナーがいないと、自分のものを力ずくで守ってあげたいのに、その相手が自分にはいないということで、守ってあげたいという衝動が、自分のものを奪われた恨みのようにして攻撃的に妬むことにねじれていったりするのだろう。
 それは自分のまわりの男たちの振る舞いや、自分の彼女や奥さんを語っている姿を見ていても、納得のいく理論に思える。そして、俺にはそういう衝動が人並みよりも低いんだろうなと思う。舐められるのは嫌いだし、そういう相手には舐めた態度をやめるようにこちらから圧をかけるようにすることは多かった。自分だけのことではなく、自分のグループとか自分の仲間が舐められるのも嫌いだから、そういうものを感じると敵対的な態度を取ったり、バカにし返すことで、自分たちが嫌な気持ちにならなくていいように仲間内に働きかける方でもあったのだと思う。自分の縄張りを守るような意識がないわけではなかった。けれど、俺は彼女が他の男と寝るのが全く嫌じゃなかったし、寝たと言われても少しも悲しくならなかった。頭でそう思っているだけでなく、肉体的に気持ちがざわつくことがなかった。
 仲間のことは仲間だと思っていたけれど、彼女のことは彼女が好きにするのが一番だと当たり前のように思っていたということなのだろう。それはつまり、彼女を抱きながら射精しても、彼女とは他者として扱うべきもので、自分本位に扱っていいものではないという感覚をねじ曲げるほどのホルモンの働きが俺には起こらなかったということなのかもしれない。
 俺はそういうことを思ったことがなかったけれど、女のひとを抱いていて、自分のとても大事なものが今自分の腕の中にあるのだという気持ちが沸き上がって、自分がずっとこのひとを守っていてあげたいという気持ちで胸がいっぱいになることが男にはあるものなのかもしれない。独占欲と、それを実現するための攻撃性によって思っていることではあるけれど、それも愛情というのなら、男にもそういう愛情はあるということなのだろう。
 そう考えると少しは気が楽になる。自分のことしか感じていないようなひとでも、肉体的な衝動に勘違いさせられながら思い込みのようにして、このひとこそ自分が愛するべきひとだという気持ちで胸がいっぱいになったりできるのに、ちゃんと愛情を持って接していたはずの俺が、相手をいつまでも自分のものだとか、自分がずっと守っていくべき相手なのだと思えなかったのは、ホルモンの問題でそうなっていたのかもしれないのだ。
 それだけでなく、俺はずっと他人を自分の所有物のようには感じられなかったし、相手の自主性とか主体性を踏みにじるようなことを平気でできるひとたちに、非人間的な異様なものを感じていたけれど、それもホルモンによって活性化された縄張り意識や攻撃性によって他人を所有物のように錯覚させられているだけで、そういうホルモンによる強化さえなければ、他人を自分の所有物のように思ったりしない方が人間の心の動きとしては自然なのかもしれないし、そうすると、俺がそういうありふれた人間の心の動きを異様なものに感じていたのも、それなりに正当なことだったということになるのだろう。俺がおかしいのではなく、多くの男が人生経験とは別のところから湧いてくる攻撃性に翻弄されすぎていたり、積極的に身を委ねようとしすぎているだけだったりするのかもしれないのだ。
 そんなふうに考えると、世の中はひどい場所にしか思えなくなってしまうのかもしれない。女のひとたちがあの頃はよかったと思い返す、付き合い始めとか新婚の頃の男の優しさというのは、ひとの気持ちがあまりわからない男たちが、射精によるホルモン分泌によって、自分のものを奪われないようにしようとする攻撃性でいらいらしながら、その裏返しで、相手が自分のものになっていることを確かめられていることに気分をよくしているということでしかなかったりするのだ。しかも、その喜びの中身というのは、自分の新しい持ち物に興奮していて、それを所有していることにもっとうれしくなろうとして、よいものとして扱ったり、かわいいかわいいとほめていただけだったのだ。そして、自分の持ち物が色褪せて見えるようになれば、急速に優しくしたい気持ちはなくなって、それでも男は自分の持ち物で自分のプライドを保とうとしているから、その価値を貶めようとしたり、その権利を脅かすやつはやっつけようといらいらしていて、けれど、そのいらいらの大半は、不満のある家庭しか与えてくれない奥さんに向けられることになる。そういうどうしようもない旦那たちの感情のサイクルが、射精によって後押しされた所有欲や独占欲をベースに愛する場合の、ごく自然なサイクルであるということになってしまうのだ。
 ひどい話ではあるけれど、かといって、極端に横暴なひどい男でなくても、まともにひとの気持ちを感じていない多くの男たちにしたって、思うほど楽しい家庭生活を送れていないひとたちは、いらいらした気持ちをどれくらい奥さんにぶつけるのか、どれくらい我慢して自分なりにストレス解消してすませるかはひとそれぞれだとしても、心の動きのおおまかなサイクルとしては、せいぜいそんなものだったりするんじゃないかと思う。
 けれど、そういうものが愛情といえるようなものじゃないとして、俺の中には愛情といえるような他人への気持ちがあるのかと言われれば、それも微妙なところなのだろうと思う。ひとを自分の所有物のように思ったりせずに、相手の気持ちも感じようとして、それを尊重しようとしているからといって、それだけで愛情があることにはならないだろう。
 自分に向けられるべき感情が自分以外に向けられていることに苦しくなるということでは、嫉妬心というのも縄張り意識に近い感覚なのだろうけれど、俺は嫉妬心が人並みからすればかなり弱かった。
 嫉妬心が弱いというのは、ただ嫉妬するべきときに嫉妬しないということではないのだ。嫉妬心がなければ、ひとを愛するのも嫉妬心なしの愛し方になる。嫉妬心ベースで誰かのことに執着して、誰かのことを勝手に自分の何かだと思って、勝手に自分が守ってあげようとするような、そういう愛情を他人に向けてあげられないということになる。
 実際俺はそんな感じだったなと思う。求められればやるし、そばにいればやれることはやってあげるけれど、自分が守ってあげるべき相手だとは思っていないし、自分と一緒にいないときには、どうであっても相手の好きにすることだと思っていた。いろんな愛情のあらわされ方があるとして、俺の愛情には、嫉妬心を起点にしていそうな領域の感情がごっそり抜け落ちているのだろう。ひとによっては、自分で愛情だと認識している他人への愛情がほとんど嫉妬心ベースのものだったりするのだろうし、そういうひとから見れば、俺は相手を愛していないというように思えるのかもしれない。
 確かに、俺は相手を守ってあげたいという気持ちになったことがなかったのかもしれない。仲間のために怒ったりすることはあったし、恋人に対しても、傷付いたり、くたびれたりしていれば、寄り添って慰めようとしていたし、味方になってあげられるようにしていた。頼ってくれれば、そのぶん守ってあげようとはしていたのだろう。けれど、自分の前で困っていたり、頼られているわけでもないのに守ってあげようとは思っていなかったのだろう。
 友達に対しても、このひとは自分の友達だと思うときに、相手を自分のものであるような気分になったりすることもなかったし、自分が友達として大事にしているのだから、相手は自分にそう思ってもらっているのを喜ぶべきだというような気分になったこともなかった。それにしても、その種の嫉妬心を原動力にして他人に執着していないからだったのだろう。
 けれど、友達の場合は適度な距離感の友達としてやっていくというだけで何の問題もないとしても、恋人に対してその種の独占欲がなかったのは、それなりに致命的なことだったのかもしれない。
 俺は恋人と一緒にいるとき、いつも相手の好きにしていてほしいとしか思っていなかった。自分のことをどんなふうに思っていてほしくて、自分に対してどういう態度を取っていてほしいとか、そういう願望がなかったから、相手にそうしてもらえるように誘導したり、そうしてもらうのに釣り合いそうな態度で接しようという気持ちになることもなかった。
 多くのひとは、いい彼氏だと思っていてもらいたいから、いい彼氏だと自分で思えるようなことを気まぐれにやって、そのつど彼氏としての自分の存在意義を自分の中で確かめながら付き合っていたりするのだろう。俺だって彼氏として振る舞ってはいたのだろうけれど、それは相手に合わせていれば自然とそうなるというだけのことだった。俺としては、相手はいつでも相手の好きにすればいいし、自分も好きにするだけだと思っていて、特別何をしてあげたいと思うこともないということでは、友達といるときと差がない感覚で相手に接していた。
 俺にとっては、付き合っているからといって、お付き合いをしているというだけだったということなのだろう。付き合っているからといって付き合っているだけで、セックスフレンドを自分のものだと思っていなくて、会いたいとなったときに会う存在だと思っているのと大差なかったのだ。そういう意味では、俺にとって付き合っているひとは、セックスフレンドならぬ、お付き合いフレンドという存在で、人生のパートナーだとは思っていなかったのだ。
 多くのひとは、自分が守ってあげるから、その代わりに、このひとも自分のために、自分の世話をしたりとか、自分を愛してくれたりとか、そういうことのために生きてほしいという発想になったりするものなのだろう。守る側と守られる側という関係性になって、基本的にはどっちが守って、こういうときにはこっちが守ってあげるというような役割分担をパターン化していくということを、多くのひとは自然にやっているのだろう。俺はそういう関係になっていこうという気がなくて、いつもできるだけ他者として扱っていようとしていたのかもしれない。
 確かに、俺は昔からひとに世話をされたいという気持ちが全くなかった。そして、それは嫉妬心がないこと以上に致命的なことだったのかもしれない。
 単純に、世話してもらいたいという気持ちがないと、相手と一緒にいる必要性がなくなってしまうのだろう。一緒にいて楽しいだけだと、一緒にいて楽しい時間を過ごせたら、とりあえずそれで満足してしまう。ひとりだと寂しい気持ちをどうにかしてほしいということだって、自分にかまってもらって、自分の話し相手になってもらうというお世話を必要としているということなのだろう。俺は自分の寂しさを誰かにどうにかしてほしいと思うこともほとんどなかったし、そうしたときには、恋人というのは、一緒にいると楽しいけれど、一緒にいたらずっと相手をしないといけないし、別に毎日ずっと楽しくなくていいから、ずっと一緒にいてくれる必要は感じない相手ということになってしまっていた。
 自分では不思議だったりもする。俺は長いことひとと一緒に住んでいたのだ。八年くらい友達と一緒に住んでいたし、週の半分以上くらい俺の部屋で寝起きする彼女とばかり付き合っていた。一時期は、彼女の自宅のマンションが建て替えで、半年くらい彼女と友達と三人で住んでいたときもあった。
 俺はひとと一緒に住んでいるのは心地よかったし、ずっと楽しかった。けれど、彼女に毎日いてほしいと思ったことは一度もなかったんじゃないかと思う。彼女と友達と一緒に住んでいた頃も、毎日同じ家の中にいることに何か不満があったわけではなかったけれど、毎日一緒にいて、一緒にいる家の中で自分のこともやっている生活をしていたからといって、彼女との結婚生活を考えたりすることもなかった。むしろ一緒に住んでいる頃にその彼女とは別れかけて、別れるかどうか何度も話し合ったりしているうちに彼女は新しいマンションに戻っていって、もう少しして別れることになった。くっついたり離れたりで、その合間に彼女は別の男と寝てみたり、けれど一回きりでやめて、俺にその話をして、求められるまま俺とまたセックスしたりとか、気持ちが乱高下していたし、むしろ停滞しかけていた関係を最後にもう少し深められた時期になったのだろう。一緒に住んだことで相手から気持ちが離れていったわけでは全くなかった。
 一緒に住むようになって、彼女も頻繁に料理するようになって、それはまた俺とは違う塩梅でとても美味しかったし、今まで見なかった姿も見られたし、彼女がしていると痛くなることが多くなって、あまりしなくなっていたセックスも、痛くなってもいいからしてほしいと言われる頻度があがったし、それでもやっぱり入れると痛くなっていたから辛くはあったけれど、気持ちよくなれたらいいのにという相手の気持ちは伝わってきていたし、一緒に住んでいる間にもっと相手のことを好きにはなった。ただ、その時点で三年以上付き合っていたし、お互いにわだかまりがなかったわけではないし、お互いの中でこじれてしまったところもあって、まだ好きだけれどうまくいかないし疲れたから、嫌な気持ちになってしまう前に別れようということで別れた感じだった。
 それもタイミングだったんだろうなと思う。彼女と一緒に住んだ時期が、俺が社会人になる時期と重なっていたりしたら、全く違う結果になっていたのだろうと思う。社会人になってすぐに猛烈に忙しくなった俺が、毎日終電で帰ってきて、寝ていた彼女が起きてちょっと話してくれて、お疲れ様と抱きしめてくれて、疲れてるんだろうけど、もししたかったら、あなたが気持ちいいだけのやり方でもいいし、してもいいんだよと言ってくれたりして、うれしい気持ちで抱き合って眠って、夜は一緒に食べられないから朝ご飯を作ってくれていて、平日はそんなふうにいろいろしてもらうばかりだから、土曜日の昼前まで眠ったあとは、彼女に喜んでもらえるためにいろんなことをして週末を過ごして、それ繰り返しであっという間に半年が過ぎて、彼女の家のマンションが完成して、そっちに戻れるという話になったときに、離れ離れになって、週末だけどちらかが会いにいくような関係になってしまうのは嫌だと思ったのかもしれない。そうしたら、彼女と話し合って、彼女がいいと言ってくれたら、彼女の親に挨拶に行って、友達との同居は解消して、彼女の新しいマンションで一緒に暮らすようになっていたのかもしれない。
 そういうことだって充分ありえたのだ。実際に俺が社会人になってずっと終電帰りが続いていた時期は、実家で暮らしていたひとと付き合っていた。その頃は彼女も忙しくしていたから、俺が遅くまで帰ってこない平日でも、先に俺の部屋に来て二、三時間俺が帰ってくるのを待ってくれたりもしていたけれど、基本的には平日の寝るまでのごく短い時間と、週末にお互いが空いているときに会って何かをしていた。けれど、仕事が特に忙しかった一年くらいは、その間に彼女と何かをしたという記憶はひとつも思い出せなかったりする。完全に仕事に生活全体が塗りつぶされてしまっている時期になってしまった感じだった。けれど、彼女と一緒に住んでいたのなら、同じくらい仕事が忙しくても、恋人との時間として、全く違うものを積み重ねられたのだろう。
 家に帰ったらたまに自分のベッドで寝ているからセックスさせてもらって、それ以外はたまに会って楽しい時間を過ごすくらいなのと、忙しくて自分は何もしてあげられないのに、相手にはいろいろしてもらってばかりの毎日を、ずっとありがたいなと思いながら過ごしているのとでは、その時間の中でできていく気持ちの結びつきは全く違ったものになるのだろう。
 そういう意味では、俺は長くひとと一緒に住んでいたけれど、自分の生活が他人のおかげで成り立っているような状態になったことがなかったのかもしれない。ずっと居間を挟んだ隣の部屋に同居人がいて、お互いにちゃんと扉を閉めずに生活していたとはいえ、同居人とは話さない日は一言も話さなかったし、そういう日は何百日もあったのだろう。何の予定も何のルーティンもなく、タイミングが合ったときにあれこれ喋ったり、一緒に飯を食いに出かけたりしていただけで、さほど共同生活をしていたという感じではなかった。かといって、俺に時間の余裕があって、自炊が続いていた頃は、毎日食べながらとか、片付けをしながらあれこれ話していたし、そこに頻繁に彼女が混じって、みんなで楽しく喋っていた。そして、俺が仕事が忙しくなってからは、一週間全く喋らないまま、週末の夜に彼女と会っていないときにだけ、どちらかがテレビの前でタバコを吸っているのに声をかけるということがあるくらいになっていたりもした。
 ずっと家の中にひとがいても、彼女が入り浸っているような感じでも、俺にとっては、いるならいるなりに行動するというだけだったのかもしれない。それとは関係なく必要な家事はさっさとやるし、時間があればご飯を用意してあげたりするのも、食べに行くよりそっちの方が楽しい気がしたときにそうしていただけで、生活を共にしているような感覚は全然なかったんだろうなと思う。
 きっと俺は世話を焼いているという感覚すらなかったのだと思う。喜んでもらえるからご飯を作って、楽しんでもらえるから一生懸命話していたというだけなのだろう。そして、そこにいるからといって何かをしてもらいたいという気持ちも全くなかった。付き合っていた彼女たちは、俺の部屋に来ても何もしなかったけれど、それは無言のうちに俺が拒否しているのを感じ取っていたからなのだろうと思う。もちろん、お皿を洗ってくれたり、ちょっとした掃除や片づけをしているのを手伝ってくれたりはしていた。けれど、世話を焼こうとはしてこなかった。それは彼女たちにとっては、そういうことをしてあげているから彼女として認めてもらっているというわけではないと思えて快適だっただろうけれど、どこかでつまらない気持ちもあったのだろうなと思う。
 きっと、俺は世話を焼かれたり、べたべたされるときに、相手が自分の扱いたいように自分を扱おうとしてくるのに付き合わされるのが嫌だったのだろう。意識していないところで、自分勝手な感じにべたべたされるのをやんわり拒絶するような距離感を恋人相手にも保っていたところがあったのだと思う。
 確かに、できればひとに頼りたくないし、依存もしたくないというのは、いつも自然にそう思ってしまうことだった。それだって、お互いに自分がしたいように好きにするのがまともな人間関係だと思っている度合いが高すぎたせいなのかもしれない。
 だからこそ、彼女が同居していた時期が俺が就職した頃じゃなかったのは、俺にとって運の悪いことだったのだろう。強制的にいろいろ世話を焼いてもらって、それに甘んじていられるありがたさを経験していたら、俺も世話を焼いてもらえる喜びというのをそこで知ることができたのかもしれない。
 ひとに喜んでもらえるのが人間の一番の幸せなのだし、ということは、多くの人生では、一緒に暮らしているひとに日々世話を焼いていられるのが一番の幸せということになるのだろう。俺は恋人にそういう幸せを感じさせてあげようとしてこなかったということになるのかもしれない。そして、俺の方だって、してあげたいことがあったときに、俺がしてあげたことに喜んでもらいたいだけで、世話をさせてもらっていることで幸せにさせてもらってありがたいと思ってはいなかったのだ。世話をするにしろ、されるにしろ、相手の世話になることに甘んじることで、相手を幸せにしてあげているという結びつき方に向かっていけなかったことで、付き合っていたひとたちと結婚にも同棲にも近付いていけなかったというのはどうしたってあったのだろうなと思う。
 もしかすると、徹底的に俺が世話をしてばかりいるような関係になった彼女がいたなら、このひとにはそういうひとが必要なのだろうし、それは俺でもいいのかもしれないと思って、一緒に生活しようとしたのかもしれない。そういう小さい子供みたいなどうしようもないひとと付き合って楽しくやれていたのなら、アンバランスな関係の愉快さと、いつでも安定して甘えてくれることの気楽さをずっと繰り返していたいと思って、さっさと結婚していたのかもしれない。
 俺はそれなりに自立した感じの全体的にまともな女のひととばかり付き合ってきたし、そういう関係性になったことはなかった。好きになったひとだと、かなり自分勝手で気分任せに生きている不安定なひともいたけれど、そのひととは仲良くなれたけれどキス止まりで、もしそのひとと付き合えていて、そのひとが俺が好きだった頃のままずっと調子に乗っていて、いつでもうれしそうにわがままで意地悪に振る舞ってくれていたら、自分につなぎとめておくためにも、俺の方から一緒に暮らそうとか、結婚しようとか、しつこく頼むような関係になっていたのかもしれない。今となっては、そういう相手に振り回されっぱなしの恋愛もしておけばよかったんだなと思う。
 別に自己卑下をして、自分に何がなかったからダメだったという話をしているんじゃないんだよ。俺だって、大切に思えるひとを大事にしてあげようという気持ちは人並みにあったんだと思う。他人のために一生懸命になれる方だったし、だからひとから愛されたし、信頼されたし、それなりにこれでいいんだと思えるようにやってこれた。けれど、依存しないと見られない景色があったのに、それを見ようとしないままになってしまったというのはあったのだろうなと思う。
 甘えたいとか、かまってもらいたいとか、世話してもらいたいと当たり前のように思うことができたなら、いろんなことが違ったのだろう。男たちが大人になっても誰かに自分のお母さん役をやってもらいたがることをグロテスクなことに思いながら育ってきたけれど、それに近い感覚がなかったことで、女のひとと付き合っていても、このひとと家族になりたいと思えなかったというのはあるのかもしれないのだ。
 多くの男は、結婚しようとするときに、それぞれの感じ方があって、それぞれにいろんな経験をしてきた個人と個人として関わっていきたいなんて思っていなくて、いろいろ任せるからいろいろうまいことやってくれるとうれしいとしか思っていなかったりするのだと思う。それが家族になるということだと思っているのだろうし、実際、世の中では多くの家庭が、男がそんなふうに思っている状態で成り立っているのだろう。
 俺は結婚のことを全然まともに考えていなかったけれど、結婚したら、いろんなことを新しく一緒にやり始めることになるけれど、いろんなことがなあなあのうちに要求されて、相手は相手の理想があるし、忙しさや疲れに流されて、ちゃんと思うことをすり合わせることもできなくて、相手の勝手な理想に付き合わされて感情労働させられるようなことばかりになっていくんだろうなとか、そんなことを思っていたのだと思う。
 他人と一緒に暮らすのだからどうしたってそういうものなのだろうけれど、恋人の距離感なら拒否したり素通りしていられるものを、一緒に暮らしていると受け入れないといけなくなる。このひとと結婚したいだろうかと考えようとしたときに、そういう一緒に暮らすことの馴れ合いからの逃げ場のなさみたいなものが先に浮かび上がってきて、それでうんざりして、それ以上にまともに結婚のことを考えられなかったりしたところもあったんじゃないかと思う。
 三十代後半になった頃に、また別の元彼女から、一緒になりたいと言われて、オープンリレーションシップでいいし、私はいらないけど子供も産んであげると言われて、相手が遠くで働いていて、俺がそっちに行かなくてはいけなかったから断ったけれど、その頃の俺は、自分はこのまま結婚できないままになるのかもなと思い始めていたし、そのひとと東京か関西で生活できるのなら、そのプロポーズを受けていたのだと思う。その元彼女とは、別れる頃にはセックスも散漫になっていたし、別れる頃にセックス面で嫌な気持ちにもなったから、結婚したからってセックスはしたいとも思えないし、べたべたしたいとも思わないだろうし、外で勝手に恋愛してくれればよかった。それでも、ある程度ややこしい話や、本に書いてあったようなことの話から、カルチャーの話までできるし、不愉快だったり面倒に思うようなことを要求されることもない、自分にとっては稀有な存在だった。子供を産んでくれるなら、そのひとと結婚して、お互いに助け合いはするけれど、べたべたせずに、相手に自分の機嫌を取ることを無言のうちに要求したりせずに、ほとんど一緒にいてお喋りしていて楽しいからという理由だけで一緒にいるような関係で、依存し合うことの逃げ場のなさにうんざりせずに、気を楽にして一緒に暮らすということでよかった。相手に仕事の問題がなければ、そこで結婚できていたのだし、それも俺は運が悪かったんだなと思う。
 そうやって振り返って考えてみると、だらしないことをしたくないとか、依存するとか、依存されるとか、関係性を盾にいろんなことを要求されるとか、そういうことへの嫌悪感が、そんなにも自分のいろんな行動や選択を方向付けていたんだなとびっくりする。




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