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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん~regret~ 41

 人に優しく、自分にはもっと優しく。

 我慢や忍耐への賛美は過去の産物となった今の時代、
自分ファーストが一番大事にすべきことかもしれない。

 満たされてこそ、人にも優しくできる。

 辛い思いを一人で抱えて頑張っていたところで、
その苦しみや涙に気付いてくれるのは自分しかいない。

 それは、余計に淋しく孤独なことで、
きっと自分の心をささくれ立たせるだけなのだ。






 メールの送信元は、大好きな大好きな推し芸能人・とぴ君のファンサイト。
 件名には、『 戸久克比古とひかつひこ朗読会 in 長野のお知らせ 』とある。

 はやる気持ちにまかせてメール本文に眼を走らせる。
 それは、大好きな人との待ち合わせ場所にドキドキしながらちょっと小走りで向かう気持ちとまったく同じ。

 長野の市民ホールで、一夜限りの朗読会。
 たぶん撮影のお仕事か何かの合間の時間に催されるものだ。

 アイドルから役者に転向したとぴ君こと戸久克比古は、ここ十年ほど年に一度は何らかの形で板の上に立つ、つまり舞台公演をするのを目標にしている。
 もともとはアイドルグループの一員だったし、グループ解散後も映像のお仕事が中心だったけど、生のお芝居を見ている人に直に届けたい、同じ空間で、同じ空気を一緒に共感しながらひとつの世界を造り上げたい、とそんな想いから舞台でのお芝居にも取り組むようになった人。

 昨年は1月から2月にかけて舞台公演があった。
 今年はまだお知らせがなく、映画か何かの長期撮影で忙しいのかなって思ってた。

 そんな彼の、トークショー付き朗読会の案内メールだ。

 嬉しい…!久しぶりに、とぴ君に会える……!

と、一瞬舞い上がった次の瞬間、自分の血の気がはっきりと引く。

 ……… え、待って?

 9月中旬の水曜日、夜7時半開演。
 どんなに短くても、1時間以内で終わる感じのイベントじゃなさそう。
 新幹線の駅からは遠方の会場、東京から日帰りでは絶対無理な場所。

 ………働いている時は、仕事さえどうにかすればよかった。
 有給休暇をまるまる二日とれなくても、早退して長野に向かって、朝早く長野から東京に戻って直接出勤すれば遅刻で済む。
 実際、そうやって遠方の舞台公演に行ったことは何度もある。

    ───── そういうことじゃなくて。

 わたしが出かけたら、瑞季は一晩ひとりで留守番になる。
 高校生なんだから、一泊くらい一人で過ごしたって大丈夫なはず。……そうよね?どうってことないはずよね?
 食事なんて、高校生なんだから冷蔵庫から好きな物をみつくろって食べたらいい、コンビニ弁当でも死んだりしない。

 世の中には、母子家庭や父子家庭で、夜勤で親御さんが家を空け子供だけで留守番の家庭だってあるんだもの。
 それこそ、子供がまだ小学生という幼い年齢でも。

 ………そう思っても、もし、瑞季の母親である姉が、娘一人を家に残してどこか遠くまで遊びにでかけたら、絶対絶対嫌悪する。

『 まだ高校生なのに 』
『 女の子だから心配 』
『 留守中にもし何かあったら 』
『 未成年者の母親として非常識じゃないの? 』
『 仕事なら仕方ないかもしれないけど、子供を置いて自分だけ遊びに出かけるなんて 』

 そうふうに思うに決まってる。

 ────── じゃあ、わたしも、この朗読会に行けないの?
 わたしは、独身なのに?瑞季の親でもないのに?

 姉が同じことをしたら、大人としてもやつきと嫌悪感をきっと隠せない。
 でも、自分は親じゃないからって、同じことが平気でできるの?
 
 瑞季の父親に頼もうかと一瞬頭に浮かぶ。実の父親なんだから、一晩くらい娘と過ごしてくれてもいいはずでしょ?

 ……… でも、瑞季は父親のことをあまり好きではないのだ。
 お父さんと今さら一緒に暮らすとか絶対無理、ご飯とか全然何にもしてくれなかったし、とわたしと二人で暮らし始めた頃、安心したようにぽつりと漏らしていたことがある。

 母子家庭・父子家庭なら、頼れるご実家がある人もいるのかもしれない。
 でも、わたしは誰にも頼れない。

 子供がいる人は、行きたいイベントに行けなくても仕方ないって諦めてるんだろうな。自分の子供だものね。

 ────── わたしの場合、娘じゃないの。姪っ子は、わたしの実の子供じゃない。ある日突然、やむを得ずに面倒を見るようになっただけ。
 それだけのことで、わたしの自由がこんなにも奪われるなんて……
 どうして?どうして?
 毎日三食のご飯がどうのこうのってことだけじゃなく、ごくたまにある死ぬほど行きたいイベントすら、行けなくなっちゃったの?今のわたしは。

 なんか、おかしくない?
 ねえ、わたしの人生、どうしてこんなことになってるの? ──────


 ───── 突然、心臓がドクンと激しく波打った。
 そのまま、動悸が激しくなる。
 うまく呼吸ができなくて、どんどん息苦しくなる。

 どうにか息絶え絶えに、浅い呼吸を繰り返す。
 胸の鼓動がドクン、ドクンと今まで感じたことのない強さと速さで身体中に響きわたる。

 ……… なにこれ……心臓発作?
 わたしの身体、どうしちゃったの?病気?

 息苦しくて、思わず両手で胸元を押さえる。
 その時手に触れた水滴で、目からボロボロと涙をこぼしていることに初めて気づいた。

「 梢さん? 」

 電話から戻って来たぜんちゃんが、わたしの様子に驚いて声をかける。

「 え?ちょっと、だいじょ…… 」

 大丈夫かと聞くような状態じゃないと判断したのか、彼は言葉を飲み込んだ。

 ……… 大丈夫って答えなきゃ、と思っても、胸は相変わらず苦しく、身体も震えてとてもじゃないけど言葉が出ない。
 彼に顔を向けられないままわたしは固まって、涙だけが次から次へと頬を伝い続けた。

 ──── わたしの隣に、善ちゃんがすっとしゃがみ込んだ。
 そして、そっと背中 ─── 肩甲骨の辺りに左手を添えてくれる。
 ………大きな手。自分じゃない人の柔らかな熱をはっきりと背中に感じる。

「 ………大丈夫だから、落ち着いて。
俺の言うとおりに、ゆっ…くり、呼吸してみて 」

 彼は下からわたしを覗き込み、小声で話す。
 そうしてから、「 ……息、吸って……、……吐いて…… 」と善ちゃんはゆっくり声掛けを始めた。

 それに合わせて、吸って……、吐いて……、と呼吸をすることに集中してみる。

 何回か繰り返すうちに、ちゃんと息をすることができてる、って安心感が生まれてくる。

「 ………うん、そう、その調子で、このままゆっくり続けて。
梢さんのペースでいいから、大きく深呼吸する感じで 」

 わたしのペースでと言いながらも、わたしのリズムを受け止めながら、彼は絶妙なタイミングで、吸って、吐いて、と繰り返し声をかけてくれる。

 とめどなく流れていた涙が塞き止められて、たまにぽろりと零れるくらいまで落ち着いてくる。
 激しい鼓動の波が、ゆっくりと引いてゆき、………………



「 ………もう、大丈夫かな 」

 独り言のようにつぶいやくと、彼はわたしの背中から左手をそっと離す。    

 身体の震えは止まり、泣きじゃくった後の瞼が重い。
 定期的にすすっていないと、鼻水が落ちてきそう。

 善ちゃんは、わたしの向かいに静かに腰をおろすと、自分のリュックからハンドタオルを出して黙って差し出した。 
 それを見てようやくわたしは正気づいて、

「 ………… 大丈夫、………ありがと、
………あ、ごめん、
ちょっとお手洗い行くから 」

と席を立った。

 酷く泣いて、化粧がボロボロになっていたら恥ずかしすぎる。
 そう判断ができるくらいに思考が回復していた。
 女性用トイレの鏡に映った自分の顔は、あんなに泣いたのに思ったより化粧が崩れていなくてちょっと安心した。『 落ちないマスカラ 』と宣伝されている最近の商品は、文字通りの効果があるんだと感心すらしてしまった。


 席に戻ると、とりあえずテーブルの上にある自分のハニーカフェオレのカップを探す。
 けど、見当たらない。善ちゃんが家庭裁判所の話をしている途中で、店員さんが運んできたはずなのに。

「 ………飲み物なら、さっき頼んだやつは冷めちゃったから、俺が飲んじゃった。今、新しいのが来るから、ちょっと待ってて」

 善ちゃんがそう言って間もなく、店員さんが新しいマグカップを運んできた。
 彼が軽く会釈しながら手でわたしの方を示すと、お待たせいたしました、と店員さんがわたしの前に黄色のマグカップをことりと置いた。

「 ………とりあえず、
あったかいうちにどうぞ 」

 彼からそう促され、マグカップを両手で包み軽く息を吹きかけて冷ましてから、慎重に口元に運ぶ。
 あたたかいものが口の中から喉を伝って胃のあたりまで落ちる。
 舌に残るはちみつの甘みと身体の中で感じる温かさが、わたしに優しい。
 気持ちがふっと緩む。こんなにほっとするような気分はいつ以来だろう。
 
 温かいものは、人の心も温めてほぐす。
 
 さっきの変な発作はおさまっていたけれど、すがるようにマグを両手で包んでカップの温度で暖をとる。

「………そんなになるまで、一人で溜め込んだら身体に悪い。
どうしても口にできない事があるなら、そこは伏せても構わないから、言えることだけでも言ってみなって。その方が気が紛れるから。
絶対、誰にも言ったりしないよ」

 腕組みしながらわたしの様子を見守っていた善ちゃんがゆっくり話した。

「 口にできないっていうより………ほんと、子供みたいなワガママっていうか…… 」 

「 悩みなんて、他人から見れば些細なことだとしても、本人が重たく感じるなら立派な悩み事なんだよ 。
………………… 人を頼るのが下手な人なんだな、梢さんは。
もしかして、相談事を自分から誰かに話したりしたことって、ほとんどないんじゃない? 」

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。 
 愛想をふりまき、当然のように人に頼って助けられてばかりの姉を見て、自分はそうはなりたくないとなるべく自力で何でも解決しながら生きてきた。

 押し黙ったまんまのわたしに、善ちゃんが軽く溜息を吐く。

「 …………俺って、そんなに頼りない? 」

 わたしは黙って首を横に振った。
 そうじゃない、むしろその逆というか。

 もっと小難しい法律相談ならともかく、年下で、イケメン弁護士って言ってもいいような人に、料理が負担とか、大好きな芸能人に会えなくて悲しすぎて身体がおかしくなったなんて、言っても仕方ない話をする自分が嫌だった。

 ………… でも、こういう職業の人の方が、色んな人の色んな話を聞き慣れてたりするのかな。


「 ……法律とかと、全然関係ないことなんだけど 」

「 別に?むしろ全然ウェルカムだけど?」

「 話を聞いて、引いたりしない? 」

 彼は腕組みをほどいて、姿勢を正す。

「 絶対に引かない 」

 善ちゃんは真っ直ぐな眼をして断言してくれた。

 
 ────── だったら、彼に聞いてもらおうか。

 わたしは、抱え込んでいたマグカップをテーブルに置いた。

 でも、何から話せばいいのだろう?

「 ……あの、……自分でも、伝わるように話せるか、……色んなことがぐちゃぐちゃしてて、うまく話せないかもしれないけど 」

「 ……うん 」

 彼が静かに相槌を打つ。

 
 わたしは言葉を探しながら、思いつくままにぽつりぽつりと話し始めた。

 ───── そもそも、いつもいつも調子の良い姉とは子供の頃から反りが合わず、

 離婚した姉が中学生の瑞季を連れて、わたしが平穏に暮らす家に勝手に転がり込んできて、邪魔で邪魔で堪らなくて、

 世の中が突然緊急停止した流行り病の時期もあって、息苦しい家の中で適応障害になるまで追い詰められて、

 仕事はとにかく忙殺すぎて辛すぎて、嫌気がさして辞めちゃって、

 瑞季が高校が決まって、ようやく姉が自分で部屋を借りて出て行ってくれそうな雰囲気だったのに、

 ───── あの事故があって、

 突然、毎日毎日子供の母親みたいに生活するようになって、不自由で息苦しくてストレスで、

 それに加えて、死ぬほど行きたい所にも行けなくなって、

 …………独身のいいトコロは、お金と時間の範囲で好きに自由にできること、そのはずなのに、今、何のために生きてるのかわからない、こんな暮らしがまだまだ続くのかと思って、…………………

 

 ───────── と、途切れ途切れに言葉を紡ぎながら彼に伝えた。

 今、聞いてほしいことは、だいたい言えた。
 そう感じながら、わたしは大きく息をつく。

 
「 ……… なるほど 」

 ずっと静かに聞き役に徹していた善ちゃんは、その四文字だけをつぶやき、自分のコーヒーカップを手にして中身を一気に飲み干す。

 お店に壁にかけられた柱時計を見ると、午前11時にこのお店に来てからもうすぐ2時間になろうとしている。
 
 空っぽになったカップをそのまま手で弄びながら、彼の方が話し始める。

「 ……… プレッシャーをかけたいわけじゃないから、落ち着いて聞いてほしいんだけど 」




つづく。

(約5300文字)


*『 regret 』とは、『 心残り 』を意味するの英語です。1~34話までがnote創作大賞2023の応募作品で、その続き部分の話に『~regret~』とつけてあります。


おそろしいほど長々と連載してます。
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