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Base Ball Bearがくれた眼差しについて

どんな分野であれ、優れたアーティストとは常に自分に新しい景色を見せてくれるものだと信じている。自分にとってはBase Ball Bearがそういう存在で在り続けてくれた。ポップにカモフラージュされた深淵なる世界から様々な驚きを発信するバンド。これ程までに多角的に語りたくなるアーティストはそういない。

まずは基本情報。2001年にVo.&Gt.小出祐介、Gt.湯浅将平、Ba.&Cho.関根史織、Dr.堀之内大介の4人で千葉県で結成されたBase Ball Bear・略称ベボベ。キャッチーなメロディ、ソリッドで骨太な演奏、小出のペンによる機知に富む歌詞で根強いファンを獲得。2016年、ギタリスト湯浅の脱退後も3人組として、今鳴るべきロックサウンドを探究し続けている。この記事では"Base Ball Bearがくれた眼差し"について、5項目で彼らの音楽を語らせて欲しい。

(この記事内で触れている30曲を登場順にまとめたプレイリストです↓)

①君について

多くの曲に散りばめられた"君"への眼差しはベボベを語る上で外せない。恋心/憧れ/独占欲/怒り/怨恨に至るまで、愛も憎も分け隔てなくあらゆる想いの矛先となる"君"。とりわけ”好き"という気持ちについては様々な手を尽くし描かれてある。「レモンスカッシュ感覚」で仏像を拝まねば収まらないほど湧き起こって止まない思慕を"君欲"と表現した手腕に感嘆するしかない。

ビビッドな音像としなやかなボーカルに乗せた感情。Base Ball Bearの音楽は、音と言葉が一体となることで鮮烈なインパクトと忘れがたき光景を脳内に生み出してしまう。蠱惑的な"君"が微笑みかけてくる、妖しくダンサンブルな「君はノンフィクション」を聴かなければきっと"君"の歯にはめられた矯正器具のことを艶やかに、秘め事のように思うことはなかっただろう。

"君"のいる風景は学校や夏のど真ん中に設定され、ベボベのイメージとして定着する青春性へと繋がった。少年少女は自らの淡い思い出にベボベの楽曲を重ね合わせて、"君"のいる日々を奇跡に変える。それはいつどんな瞬間においても普遍的な魔法だ。彼らの音楽はまるで時限装置のようにあらゆる時代の放課後へタッチしていく。

2010年の「檸檬タージュ」で青春のリアルタイムを描くこととは決別し、2011年の「school zone」からは回想性が徐々に加速していく。経年変化に伴って"君"の存在が戻れない日々の象徴となること。まるでこの人生を映し出すような表現の変化は、大人になる僕らに自然と馴染むのだ。記憶の片隅に押しやられても"君"が強く自分を突き動かす様を描く2016年の「Darling」は一つの完成形。<君の数だけ、歌がある。>とは2013年のベスト盤のキャッチコピーだが、まさにその世界を18年の活動に渡って体現し続けている。


②痛みについて

爽やかで甘酸っぱい青春のシーンを光とするならば、誰にも言えない暗い気持ちや抉られるような痛みの心象風景は影。「HIGH COLOR TIMES」に記されている通り、初期からタナトス(死に向かう欲動)はベボベの楽曲に深く刻まれている。「DEATHとLOVE」など、相反するものが同居している状態に対して小出祐介が強く惹かれていたことから生まれた作風はベボベの源流だ。

2007年の2ndアルバム『十七歳』からは、より明確に思春期特有の傷を描いた楽曲が増えていく。「ヘヴンズドアー・ガールズ」~「SCHOOL GIRL FANTASY」~「Project Blue」といった、ぶっ壊したい世界を睨みつける楽曲群は、小出祐介自身の学生時代の想いがありのままに投影されている。それ故に切迫した心にそっと寄り添えるような優しい歌を生み出せたのだろう。

ティーンが生きる世界観の中で痛みを描写してきたそれまでとは一転し、2009年「ラブ&ポップ」以降は、現在地点からの小出祐介の痛みが楽曲にも表出し始める。自己表現としての側面を獲得したベボベは、2011年『新呼吸』と2014年『二十九歳』の2枚に渡り、孤独と対峙した私小説アルバムを書き上げた。僕らの日々に巻き起こる暗澹たる気持ちや居心地の悪さも掬い上げて、ベボベは全年齢が抱える"痛み"をも背負うバンドになったのだ。

思えば小出祐介がテーマにしてきた痛みの正体は、居場所の無さとも言い換えられるものだろう。2016年の「リアリティーズ」で居場所探しをやめて出かけることを説き、その"痛み"への答えは出たように思えた。しかしこの生き辛い日々では形を変えながら常に"痛み"はこびりつく。ベボベはこれからも正解も真実もないこの旅の中で傷つく僕らを見つめ続けてくれるだろう。


③社会について

2013年「The Cut feat.RHYMESTER」から特に顕著になってきた我々が生きる社会に対する提言を持った楽曲たち。ぼんやり生きていては見えてこない、いや見ないフリをしている事象を白日の下に晒して突きつけるこれらのナンバー。それに呼応して、バンドのグルーヴも強靭になっていったことは興味深い。演奏の土台を固めることで、放つ言葉には説得力が帯びていくのだ。

そんな視点が炸裂したのは2015年『C2』の時期だ。「それって for 誰? part.1」ではディスコ/ソウルに根差した踊れるロックを追求しつつ、シリアスな警鐘にユーモラスな言葉遊びを交えて、凡庸な同調圧力にまみれたSNS社会やフェスシーンをぶった切ってみせた。 当たり前のモノとして受容してしまっていた既存の価値観を揺さぶり、思考させる眼差しをくれたのだ。

『C2』の中でも「カシカ」の着眼点には震えた。どうでもよさの象徴とも呼ぶべき、どこかの誰かが優勝した知らない何かの全国大会を引き合いに出し、決して交わらない人間が無数にいるゾッとするような巨大な社会の存在を示してみせた。抗えずに途方に暮れてしまう世界が眼前に横たわる現状がある。しかし、それでもやるのだ、と自分たちのスタンスを磨き抜き、ベボベのブレなさを切実に叫ぶ「それって for 誰? part.2」へと着地していくこのアルバムは、第2の1stアルバムと呼ぶに相応しいタフで重厚な作品だ。

この時期に培った批評眼は現在に至るまで進化を続けている。小出祐介によるラップで現行の情勢に一石を投じる2019年の「PARK」は衝撃だった。また同年「試される」では"君"への眼差しと社会に対する危ぶみをミックスさせる合わせ技も繰り広げた。小出祐介の言葉は常に冷静で研ぎ澄まされている。リスナーをハッとさせるワードチョイスはベボベの根幹を成すものだ。


④人を想うことについて

時にエッジーな言葉を突き刺してくる小出祐介だが、根底には"人を想うこと"への葛藤があり続けているように思う。デビュー当時は、ボーイミーツガールを俯瞰のカメラでとらえたような劇映画/漫画タッチな関係性の描写が多かった。そんな中でも、一言の"愛してる"に思い悩む「愛してる」など、コミカルながらもコミュニケーションの困難さを伝える曲は幾つかあった。

2009年「海になりたい part.2」はこの切り口で語るうえで重要な楽曲だろう。インディーズ時代はニュアンス重視で使われていた「海になりたい」というワードを、相手を包み込むことのメタファーとしてリブートしたこの楽曲は広大でストレートな愛情表現としてこれまでにない熱情を感じさせた。

目の見えない少年と耳の聞こえない少女の会話を見たことで生まれた2010年「WHITE ROOM」は、双方を密に想い合う関係性を描いた楽曲。同年「東京」では、恋い慕う相手の気持ちを知ろうと口紅をひいてみることを想像する描写が出てくる。次第に濃くなる"人を想うこと"の描写は2011年、初めてのリアルなラブソングと銘打たれた「short hair」で結実した。君を想う気持ち、その傍で渦巻くそうではいられない別の気持ち。後ろめたさも綯い交ぜにした複雑な感情が瑞々しい情景描写と共にリリカルに綴られている。

2019年に入って小出祐介の"対人"のモチーフは新たなフェーズに突入したように思える。『Grape EP』のリード曲「いまは僕の目を見て」では、"人に想いを伝えること"それ自体を紐解き、その難しさを言語化してみせた。誰かと繋がろうとする時、必ず付きまとう厄介で愛おしい伝えたさ。人が生きる限り続くこの業を描くためのトライアルはきっと終わることはない。これから、どんなアングルで捉えた"人と人"の場面を僕らに見せくれるのだろう。


⑤音を楽しむことについて

詞についての言及が多かったが、そもそもベボベはロックバンドの美学を徹底した音そのものが楽しいのだ。ギター、ベース、ドラム、歌の編成で様々なジャンルを横断しながらギターロックの枠を広げてきた。変幻自在で柔軟な音作りから生まれた作品群はバンド音楽の面白さやその見方を教えてくれた。ここでは主にそのサウンドの変遷についてアルバム単位で振り返る。

・インディーズ~1st『C』(2001~2006年)
ナンバーガール、スーパーカー、トライセラトップスといった、90年代後半に台頭してきた先人たちのエッセンスを咀嚼しながら、"BPMの速い四つ打ち"や"歌いたくなるギターリフ"など後世への影響もたっぷりと残した創世記。自分語り中心だった当時のバンド界隈とは一線を画すクセのあるワードセンスで、"こじらせ文学"とも呼ぶべき透徹された世界観を作り上げた。

・2nd『十七歳』~3rd『(WHAT IS THE)LOVE & POP?』(2007~2009年)
この時期にベボベと出会ったリスナーが多いはず(ドラマチックチックもチェチェチェチェンジスもこの近辺だと書けばお分かりいただけただろうか)。J-POPの最前線で活躍する玉井健二(agehasprings)と共にアレンジや歌詞の面でポップスとしての強度を獲得。マスに向けて拡大していくと同時に、人気に付随する苦悩も感じ始め、様々な意味でターニングポイントとなった時期。

・3.5th『CYPRESS GIRLS』『DETEVTIVE BOYS』~4th『新呼吸』(2010~2011年)
タイアップ仕事から離れ、セルフプロデュースで自由な作風を模索した3.5thの2枚。これまでなら捨てそうなアイデアもそのまま形にし、「クチビル・ディテクティヴ」のようなラップナンバーなど後に繋がる手法も多数。そんな実験期の先で生まれた、1日の時流を表現するコンセプチュアルな『新呼吸』。自分たちの手だけでゼロ年代ギターロックの集大成を作り上げた。

・5th『二十九歳』~6th『C2』(2012年~2015年)
これまでのギター主体のアレンジから徐々にリズム隊を軸とするものにシフトする時期。盛り上げ重視の音設計から離れながら、同時代に芽吹き始めたR&B/ファンク基調の所謂シティポップブームに対しても即座に目配せをしてある。作詞面では社会に目を向け始めた転換期であり、ハードな題材も増えるが『C2』の終盤を飾る「HUMAN」~「不思議な夜」の救済は白眉だ。

・7th『光源』~1stEP『ポラリス』,2ndEP『Grape』(2016年~)
ギタリスト湯浅将平の脱退を機に、グルーヴを見つめ直し始める。まずは従来の制約を取っ払って鍵盤やホーンの音色を導入して、新たな音像を練り上げた『光源』。その後やはり核はギター、ベース、ドラムだ!と思い至り、3ピースのサウンドに拘って今鳴るべき音の吟味を続ける現在地点。リズムトラックから楽曲を作り上げるなど、新たな手法も血肉になり始めている。

 

こうしてまとめても、推しポイントを到底書き切れていない気がするのがベボベの底知れなさだ。バンドのキャッチフレーズや宣伝資料を自分たちで手掛けてバンド像をデザインする姿勢、音楽のみならず文学/映画/アニメ/漫画からの引用でクロスカルチャーの趣を見せるリリック、キャラクターもバラバラながら立ち姿は唯一無二な逞しいステージング。そんな魅力を磨き続けるBase Ball Bearは、これからも新鮮な感動や物事の見方をガラリと変える未知なる視点を僕らに与えてくれるはず。推したが最後、楽しみが尽きない!

(LINE MUSICのBase Ball Bearアーティストページです↓)

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