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Forbidden My Psychology 第3回

<復刻 再公開>



妹尾 武治

協力 & 写真: Guo-san, 張-san, Liu-san
撮影地: 令和の里 都府楼前




こころ = ひかり





ひかりを絵にする

印象派の代表格、モネは言った。

外に出よ。絵は視覚表現である。
視覚とは、光を受容して生じる知覚。
だから絵は、ひかりを理解しているほど良く描ける。
ひかりの下で描け。

印象、つまり主観とは、ひかりを理解すること。

『印象・日の出』クロード・モネ (1872)
神経生理学者の Livingstone, M. によれば、
太陽はその周辺と同一の輝度(物理的な明るさ)で描かれている。
実際には、太陽を超える輝度を持つ物体は自然界には無い。
だから、この太陽は完全なる主観「印象」。
エッジ(輪郭)は、色(度)の違いのみで構成されている。
輝度定義のエッジは、モノの定位に最も重要な視覚情報であり、
その情報が欠落しているため、太陽が浮いて動くような印象になる。
同じ理屈で考えると、上白石萌音も印象派であると言えるだろう。


外と内。なんらかの共振で、僕たちは部分を切り取る。
その部分には、全体が含まれている。


ひかりを科学にする

motion energy model (Adelson & Bergen, 1985)。光の一次情報としての輝度。二次情報としてのコントラスト。輝度の違いが動いて見える刺激のことを心理物理学で、First order motionと呼び、コントラストの違いが動いて見える刺激のことを、Second order motionと呼ぶ。

音で言えば、First order は純音で、Second order は2つ以上の純音が形成するビート(うなり)の成分に相当する。音は、周波数で定義され、フーリエ解析(周波数を分解して解析する数学的処理)に相当する機能が内耳に存在する。

視知覚も結局は、光の周波数解析(空間周波数という概念がある)であり、フーリエ解析を行う機能が、第一次視覚野(V1)のハイパーコラムの細胞や、それ以前のLGN(外側膝状態)、さらには網膜の神経節細胞に備わっている。

第一次視覚野(V1)の細胞には面白い特徴があり、色々なことが出来る。
その一つは、奥行き知覚。縦横だけでなく、2次元の網膜像を3次元立体に復元する能力。もう一つは、動いているものを検出する能力。

僕たちの左右の目は、6.5cmほど左右に空間の位置ずれを持っている。
この左右の位置ずれが、左右の網膜像に「視差」と呼ばれるわずかな違いを産んでいる。この視差がシステマチックに脳細胞達に計算処理されると、「奥行き」に変換され、3次元立体知覚が形成される。3Dメガネを外して飛び出す映画を見るとぼやけているのは、(6.5cm分)ズラされた映像が重ねて提示されているからだ。

一方で、今度は何かが右から左へ6.5cm移動したとして、それを片目(単眼)で見るとする。そして、その6.5cmの移動の間に1秒の時間が流れたとする(実際には、そこに時間を見出しているのはこころそのものなのだが…)。すると、それは、右から左への"運動"として知覚される。

ちなみに、ムーディーには絶対音感があるのでは無いかな?と思っている。10年前も2年前もほぼ同じ音程で歌っているからだ。
ちなみに、絶対音感は古い脳の能力。もともと生物は、絶対音感を持っているとされる。人間はそれを概念で捉える。特に、音階を学習していることで絶対的に異なる周波数の音を同じ「ド」とか「レ」のカテゴリーに対応づけることができる。子供の頃に、訓練して身につけるため絶対音感は優れた能力のように思われがちだが、実際にすごい能力なのは、音の周波数をそれそのものとして聞かず、なんらかメタに捉えられる、進化後の今の人間の能力の方だ。

さて80年代以降、上記の奥行き知覚と運動知覚について、脳の中でも特にV1の細胞が重点的に調べられた。日本では、Ohzawaらのグループ、そしてNTTの一連の研究が凄まじく先進的な仕事をして来たし、今もそれが継続されている。

その時代の一連の研究の中で、特に面白い事実がある。
視差に反応するニューロンは、運動にも反応できるものが多い
という事実だ。

空間的なずれを両眼のずれに帰属させ、そこに心で時間を見出せば、それすなわち奥行き。空間的なずれを単眼に帰属させ、そこに時間を流せば、それすなわち運動。

違いはこころで時間を流すかどうか。

つまり、視覚の細胞的には運動と奥行きは等価交換可能だということ。
時間と空間が、同一のエネルギーである可能性が既に示されていた。

アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson、1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、フランスの哲学者である。

「脳という物体のある時の状態は、その生体の行動の原因ではあっても、その生体の心理内容を表してはいない。モノの知覚がどこにあるか?無理にでも言えと言われるなら、脳の中にではなく、むしろ、対象のうちにあるのだ。」
 
全ての事象は、スライドとして映写機の中に世界の始まりからセットされている。スライドとは「今」を意味する。そして、そのスライドが次から次に切り替わる。ベルクソンはそれを「持続」と呼んだ。人間はこの「持続」のことを「時間」と読んだりする。なぜ持続が起こるのか?それは光に質量がないから。過去・現在・未来という時間の流れの中に、因果関係を感じうる理由もそれだ。過去は現在の原因となり、未来は現在の結果となるが、それは人間が余剰次元のロジックを言語・命題化出来ないから。少なくとも、今は。
 
過去に、ベルクソン哲学の今の“持続”が、意識の自然法則だろうと僕は本に書いている。それは「愛」つまり「重力」の影が時間となって人に理解されているから。
 
仮現運動。例えば真っ白な画面の左端に、黒い丸が描かれている。次の画面では、右端に黒い丸が描かれており、左の黒い丸は消えている。この二つの画面を交互に繰り返してみると、黒い丸は左右に飛び跳ねて動いて見える。1912年以降にゲシュタルト心理学者のマックス・ヴェルトハイマーが重点的に研究を行った。
 
この時、物理的には黒い丸の“運動”は存在していない。黒い丸は、ただ左にある、右にある、を交互に繰り返しているだけだ。

しかし、僕はこれを右から左に受け(知覚し、時間を)流してしまう。
左から右にさえも!

左右の黒い丸は因果関係で結ばれる。つまり前後のフレームの間に心で「時間」を流してしまう。時間とは、画面の切り替わりのこと。余剰次元の影であり、スライドを因果関係で結ぼうとする作用。ベルクソンの「持続」。

仮現運動であれば、その役目を果たした男は、
マックス・ヴェルトハイマーだったが、
僕たちのスライドをパタパタやってるのは誰だ?

それが意識だとして、それを与えた
後ろの正面だあれ?

美しいものが分かってしまうというバイアス。
汚れちまったかなしみ。

北岡明佳制作の仮現運動

 

外の世界など無い。
それは「中の人など居ない!」のと全く同じ。

ゲシュタルト心理学は日本の心理学者にとても人気があった。
千葉大学名誉教授で心理学者の野口薫の言葉をもう一度引用する。

「古典的であれ、ネオであれ、全体としてのゲシュタルト理論は
芸術と科学の両者が接触し融合する言語を与える。」


お見事!


情報を集めた者は、未来を他者よりも先に知る。
未来は決まっている。

Fraser Wilcox 錯視は静止画だが、動いて見える。
空間的なズレが無いのに、運動が知覚される。
どこかに空間のズレがあり、そこに僕たちは時間を見出す余地があった。
北岡はどこにそれがあったのかを明らかにした。

ごく簡単に言えば、空間的な配置に人の意志が介在しており、それを目や注意でトレースする中で主観的な空間ズレと時間の違いを人が心で生み出すということ。作り手とファンのコミュニケーションが成立したってこと。結局、動きも時間も心の作用。そういう理解でOK牧場
怒られると思うけど….

運動錯視は近年に至ってもまだまだ出続けている。
見つける速度の方が、それをわかる速度よりもずっとはやい。
僕たちは視覚について、ほとんどのことをまだ知らない。

c.f. Wexler, M., Glennerster, A., Cavanagh, P., Ito, H., & Seno, T. (2013). Default perception of high-speed motion. Proceedings of the National Academy of Sciences, 110(17), 7080-7085.   http://lpp.psycho.univ-paris5.fr/highphi/


ひかり 時間 重力

重力とは脳が作る因果、引き合わせ、関係を結ぶこと。
時間とは、その関係性の際に生じた(空間などの)変化・違いに整合性を与えるたこころを、人間が理解しようとして流すエネルギー。motion energy。
ひかりとは、情報。ないしはその奥にある、魂と呼ばれてきたもの。
光速だけが絶対不変で、その他は相対化可能である。
光速とは、この世界(宇宙)をシミュレーションするパソコンの処理速度の限界値のこと。

その処理速度を超えるだけの情報量がこの世界にもたらされた時….
そのために情報を拡散、撹乱する。
エントロピーの増大。

だが実際には、宇宙の拡散速度は、光よりも早い。

エントロピーを減少させる作用、それが
「美がわかる」というバイアス。
つまり、愛。

愛することだけがどうしても
やめられない

止められない

カルビーのかっぱえびせん


ひかりを物語にする

月と太陽。
アマテラスとツクヨミ。
かつて月は地球にぶつかり、内部に紫の空間を作った。
地球の中の何か、エヴァンゲリオンではガフの部屋と呼ばれたもの。
それが実際にあるという論文が2023年11月1日のNature誌上に出ている。

Yuan, Q., Li, M., Desch, S. J., Ko, B., Deng, H., Garnero, E. J., ... & Asimow, P. D. (2023). Moon-forming impactor as a source of Earth’s basal mantle anomalies. Nature, 623(7985), 95-99.

可視光は色が付いて見える。紫外線や赤外線は目に見えない。
それでも、赤外線は暖かく感じる。放射線は体に良くない。
クラゲの生体発光。生き物はひかる。
見えないひかりを僕たちは発している。
色覚を調べ、色彩科学の基礎を作った男が居た。

大山正あるあるを、早く言いたい。
大山正あるあるを、早く言いたいよ。

大山正あるあるを、早く言いたい。
大山正あるあるを、早く言いたいよ。

大山正あるあるを、早く言いたい。
大山正あるあるを、早く言いたい。
大山正あるあるを、早く言いたい。
大山正あるあるを、早く言いたい。

日本の心理学者、大山正の本は、
ゲーテの話からはじまりがち。

ゲーテは言った

"Mehr Licht !"  (もっと光を!)

過去は探せるし、作れる。ドラえもん「行かなきゃ」の集団誤記憶。
遠い場所も同じで、いかねばわからない。つまり「無い」。
あの場所で太陽を見たのは”自分”。
自分の足で行った、自分の目で見た。
その全ては脳で作ったもの。
だったら、行動力をはっきして現地に行くのは
脳で引き寄せたってこと。全ての行動がその実引き寄せだ。
言葉尻を捉えた批判はくだらない。
これは言葉遊びじゃないから。
言葉尻を捉えて否定するなら
その人にはまだ言葉が無い。

否、その人、ないしは社会が
正しい言葉遣いを忘れている。

はじめにロゴス(言葉)はあるのだから

科学と、スピリチュアルは同じ帰結を迎える。
橘玲はそれを人よりも早く宣言した。

「カッコイイとは、こういうことさ」 糸井重里


小学生の時、オゾン層破壊問題をやたらと耳にしたが、
今は全く聞かない。
忠鉢繁が、世界でも最初期にこの問題を報告し、
その後80年代は、光がダイレクトに地球に到達することによる
さまざまな問題への警鐘が盛んに鳴らされていた。

現在、オゾン層の修復の見込みが立っている。
2050年までには、元の高水準に戻せるらしい。
人類の叡智は、未来を産んでいる。
科学を馬鹿にしてはならない。
昔に戻るのではなく、螺旋階段を登るのだ。
科学が人にもたらした恩恵の上に進めばいい。

人間は愚かだが、
愚かなだけではない。

白髪の博士も
戦地に赴く前は
ゲーテを読む
やさしい青年だった
蛆の沸く死体への眼差しが
天界人が
彼の肋骨の内側の
空洞の火を取り替えただけだ

ただ、オゾン層を破壊していたフロンガスを減らした結果、
代替品の温室効果ガスは増えてしまった。
そして、温暖化問題は深刻化している。

それでも人は、
美しいことがわかる。
それを仏性という。
だから、未来は明るい。

オゾンホールを可視化した映像技術は
複雑な数学に立脚している。

見えないものを信じるということは
その実、それに形を与えるということ。

「大切にするということは、その人のために行動し、実現することよ。」

永井圭の母, 漫画『亜人』より

創造主の手前、もしかしたら
オゾン層を超えたあたりに、
天界人(人格神)が複数いる。

彼らはウルトラマン。先にいた人。
彼らは彼らで競っている。

そして沈黙している。
彼らにも「空」そのものはわからない。
だかこそ、僕たちは辛い。

あなた自身で線引きすればいい。
どこまでを科学的(谷村新司)と考え
どこからがトンデモ(マキタスポーツ)か。
そしてどこからが擬似科学を超えた詐欺(妹尾)と笑われるものか。

ペンローズの無限階段。錯視は気づかせるから面白い。
この世界のペテンに。最初から全てペテンだ。
般若波羅蜜多心経。

ペンローズの階段(錯視図形)
映画『インセプション』より



ただ、陽気に暮らす。
それさえ出来れば全てがあると言える。

だから、一遍は
「踊れ!踊れ!」と説いた。
彼のスタート地点は、
石堂橋にあるお地蔵さん。
その地は、木村病院と御供所町にほど近い。
御供所町には、ナイスなこども食堂と東長寺がある。

その寺の大仏の足元。
漆黒の闇の中に
金色に輝く輪がある。

それを掴んだ人は
必ず幸せになる。

ならねばならない。

空と海。
真実の言葉。

初めに言葉があった。

空と君とのあいだには
今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる

中島みゆき『空と君のあいだに

「さあ、懺悔の時間だよ」

安達祐実『聖龍伝説』より

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

安達祐実、杉田かおる、福原愛、イチロー、大谷。
選ばれし者の孤独と恍惚。
過剰に幸福らしきものが与えられた決められた道。
その反対に過剰に不幸らしきものが与えられた決められた道。
いずれにしても、それは比較によって際立った
決定論。実際には、平凡だと言われる道も決まっている。
だからこそ、乗り越えた者たちは
どの道でも輝きを放つ。
そのひかりの名は、

"Amaterasu Particle"


やしろ優に告ぐ

「芦田愛菜だよ。」を、 芦田愛菜に返せ!!!



意味など無い。空。
初めての夏。浮雲。

全て最初から決まっている。
宗像にはすずめが飛ぶ。
宗像大社は三女神を祀り、その一人が瀬織津姫。
聖橋から見た神田川の記憶。

Stand Alone Complex、別名 マルコヴィッチの穴。

月蝕の夜でなくても 同じものを見ている

気がつけ。君に届け。君の名は 吉田眞。通称マックン。

2023ウインターカップ。大濠高校優勝おめでとう!

皆、少しずつ拾っている。
持ち場を守りながら、拾い集めている。
それを親父ギャグに基づいて、一つの絵にする。
8時だから!全員再集合!する。

スラムダンク、キングダム、墨攻、鬼滅の刃

福岡市は、かつての奴国。僕たちの血。唯識で神は私。


Are you ready?


それぞれのタイムライン


カップルがいるとする。
男の方が女友達と旅行に行くという。
その男の片割れの女は、男が浮気するのではないか?と不安に思う。
ちなみに、男女は入れ換えて読んでもらって全く構わない。

男は「あいつは俺のことなんてなんとも思ってないよ。考えすぎだ!」と言う。
女はそれでも不安だから「私も行く!」と主張するが、
男は「俺を信用しないのか!」と、怒り出してしまう。

人は自由意志で自分の行動が制御できると思っている。
でも未来の事実は決まっている。

それでも、その決まった未来を知るものは一人もいない。
人間であるならば。

情報量の違いによって、未来が見える量が変わる。
そのため、情報にお金が集まる。
『ドラえもん』がベストセラーになったのはそういう仕組みだ。

人は決定論が正しいことを直感的に理解している。
それを否定したいなら、
まず天気予報が外れても怒らない
くらいからはじめてみたらどうだろう…
ないしは、食べたいものくらい自分で作ろう。
テーブルで皿さえ運ばずに座っている自分を恥るところから。

決定論は、自立を促す。
強いとは、生活が出来るということ。
勉強ができるとか、すごいものが作れるとか、絵が描けるとか、
お金が稼げるとか、以前の話。

マイケル・ジョーダンと赤木は基礎が大事だと言い、
誰よりも基礎の反復練習に時間を割いた。
それは仏教僧の生活と同じ。
本当の意味で歩き始めるために。

本を書いた。3年くらい経って大分理解者が生まれた。
ありがとう ありがとう

ありがたまきん
有賀さつき

よろしくお願いします。
お願いします。
鬼ヶ島す。
鬼ヶ島、解散ブームに乗るな!

いまいうこと  じゃない。

自分の未来の行動を、今の自分が理解できていると思っているから、男は女の浮気への疑念を怒りで否定できる。それだけ自分の自由意志には力があると思っている。でも、女からすればその男は無自覚に、ないしは意図的に、自分の弱さを忘れようとしているように見えた。だから疑うし、精一杯止めようとする。

この時、女友達と旅行にいくというその男の未来の行動について、カップル男女のいずれが、よりよくわかっていると言えるだろうか?

過去観察してきた”SR”の量で言えば、男本人を超えられる者は居ない。これが「自分の気持ちは自分が一番わかっている」と言う主張の根拠。同時に「他人の気持ちを勝手に推量するのは失礼だ」と言う主張の根拠でもある。

だが男はどうも、意図的に、ないしは無自覚に自分自身の無意識から目を背けている。つまり、自分の女友達への欲望や、女友達が抱いている男への欲望を過度に無視しようとしている。

だとすれば、そこを意識して言葉にしようとしている女の方が、男の未来を正しく予見するかもしれない。その”女友達”のことをよく知っているようなケースなら、尚更だ。

他者の心を読む権利、他者の未来を言う権利は他人にもある。

これは占いの基礎でもある。タロットカードや手相のこと、古くは亀の甲羅を焼くやつとかも。

手にはその人の性格、脳の働き方の特徴、それに基づいた未来と高い相関を示す線(モノ)が現れるという。その科学的根拠は、これから生体計測されれば、必然として見つかるはずだ。

普通の人は、手相を読み解いた経験がないから、それを見ても何もわからない。だから多くの人は、自分の意志で手相は作れないと思っている。

データに基づいて、それを統計的に読み解く練習をした占い師が、手の線と心、線と未来の相関係数を語れば、何かが当たることが多々ある。統計上の期待値は超えなくても、一定の平均値のレベルで、必ず当たる。

行き過ぎた自由意志への信奉は、
モノの世界のルール(今の科学)への信奉と似ており、
出して良い声の大きさに明確な序列を作ってきた。

自分の心の理解者は、常に自分だけであり、
他者にその権利は無いと撥ね付けるロジックを提供して来た。

個人主義、ロマン主義、ヒューマニズム。
その全ては自由意志に基づいている。

だが世界はワンシングだ。
原郷からやって来たスピリットはそれぞれの
マルコヴィッチの穴の中に入ったとしても、
元々は同じもの。
あなたは私。私もあなた。
宮沢賢治も私だと彼は言う。

だから、個人幸福の実現には全体幸福が必要になる。
全体としてカルマの精算に取り組まねばならない、
他者のかなしみに寄り添おう って。

鞆の浦のとうどろうにも、そう書いてあった。
サヨナラだけが人生か?

占いと似ているもの、
心理学の中でも再現性が確保されている効果たち。

平均値の心理学と占いは同じであり、
その成立過程は、脳(というか命)の進化の中で繰り返された相似形。
ジュリアン・ジェインズも言っている。

例えば、吊り橋効果。

揺れる高い吊り橋で出会った女性が電話番号をくれると、その後で掛けてしまう男性が多い。その数は、揺れない低い頑丈な橋の時よりもずっと多くなる。
高い吊り橋に感じる恐怖感。それが引き起こす心拍数の増加。これらを電話番号をくれた女性の”魅力”に誤帰属してしまい、そのために後から話したくなり、電話をかけるという。
内側で起こっていたこと。ブラックボックスの働きは、
無意識の作用。自由意志を超えたなにか。

意識が正しいと考えれば
(すなわち、人の社会では、方便の法では)
それは確かに「誤」となる。

だが、世界のどこにも「誤」など無い。

意識上で起こっていることを超えた無意識の心の働き。
これを知り語る者は、そうでない者よりも未来を知る。

本人以上にその人の未来がわかることがある。

旅行先で「俺なんかに興味が無い」はずの女友達が、急に「ずっと好きだった」としなだれかかってくる。その時、前提となる環境が崩れる。その「環境」は無意識を自覚的に忘れて作った意識上の嘘の小さな”環境”だったから。
一方、無意識を拾っていた女が知るより大きな「環境」の中では、当然のこととしてそれは起こる。

そもそも、「環境」とは人の歴史、男女の歴史、動物の歴史を含むのだから(瞑想で潜ればその先にも膨大な歴史が広がる)、個人の意志の力の何億倍も、長く大きい。

これが、マーク・トウェインの人間機械論の生物学的・心理歴史学的根拠だ。
「人は、環境からの刺激を受けてオートマチックに行動を形成する。」

自由意志は、常に自分で考えて行動を選択するという思想だった。
前提となっていた「俺のことに興味が無い」という環境がガラッと変わったら(と思い込もうとしているだけだが)、その新しい状況における自由意志が発動されるべき、となってしまう。そういうルールが自由競争社会であり、正しく自分の利益を最適化して良いことになる。

その時 かなしみが起こった

他者の無意識が見える人には、それを伝えて説明する権利があった。
「それは失敗するぞ。かなしみを生むぞ。人間は弱いんだぞ。」と。

「松本清張はそれをしつこく言ってきた。」
そう大師みうらじゅんは指摘している。

清張以前から、
聖書、仏典、コーランで、そのことは繰り返し書かれている。

間違えないで欲しいのは、
絶対に過ちを犯すな!という意味ではないという点。
さらに言えば、過ちを犯したらアウト!という意味でもない。

過ちを犯すのは、人間だから仕方がない。

同時に、過ちをおかせ!とは全くもって言っていない。
言いたくない!

かなしみを減らしたい。でもエネルギー保存の法則から考えて、この世界のかなしみ、つまり愛の一側面の絶対量は増えもせず減りもしないだろう。日本科学大学の上田教授も『どんとこい超常現象』の中でそう言っている。

仏典によれば、禁欲やエゴの消滅でカルマの清算を人類全体が行えば、かなしみの総量を減らせる可能性がある。

だが今は、これに取り組む機運がない。

だったら、せめて知る、認めることが大事ではないか。
この世界の構造を。
科学による自然の理解に加え、心の理解を。

「浮気をしない!俺は意志が強いから。」と言い張る人は、往々にして占いを信じない。

何を信じないかって、手に心と未来に相関する線が出るという、事実を信じない。一方でそういう人に限って、脳画像診断の結果は強すぎるほど信じたりする。

脳と手相は、心との相関係数の量的な違いに過ぎない。僕の個人的な意見だが、多分正解だと思う。ペンローズの微小管への直感とおなじ。

直感を大事にせねばならない。岡本太郎はそう言っている。

でもカーネマンは、システム1とシステム2の二つを共に使えてこそ、人間の心だ!と言っている。彼の名著 "Fast & Slow" には再現出来ないと言われている心理実験がものすごく沢山登場する。だが、それでも真実がそこに書いてある。そう僕は思っている。

意志への信頼を捨てることは、誰かの考えに支配されることじゃない。
大元の声を聞く態度を取り戻すという意味だ。
僕たちはただの導かれし者たちだった。
あの懐かしい、ピコピコサウンドを思い出せ。

そのピコピコ音は科学の力。
二つを同時に大切に。
アウフヘーベンであり、中庸。

ロザリーにもう涙をながさせないように

その音が聞こえないなら、
心理学を学べばいい。宗教でもいいし、親の小言でもいいと思う。
こころの苦しみを学べばいい。

「ホイミ!」

ホイミンの言葉『ドラクエⅣ』第一章より


M78星雲からやって来た者達の、魂の連なり。ブルーウォーターの内側。

太古、笠戸島の松に星が落ちた。土地の名は下松。
眼前にひかりの海。

瀬戸内海には、巨石を祀る山が沢山ある。
キリシタンの流刑地、岡山の鶴島。厳島の弥山。尾道の千光寺。
福山の仙酔島。長府の忌宮神社。

ドッキン四国!

我は行く、こころの命ずるままに。さらばM45星団。
熊と共にその足は今、関門海峡を渡ろうとしている。
青き清浄の地。

どんなことがあっても  生きねば

連環。湧き上がるイメージの海。それらに個別の境界を与えず、海として、空として結びつける。
それが出来る人間らしきものは、”個体”と呼ばれる多くのものから、
統合の能力を失った病人だと言われる。

そして、病気が出ているという言葉や、
病院へ行こうねという言葉は、
暴力として  認定されていない。

繋がりの海に潜る  海人

それが統合失調症がこの世界にある理由

アシタカ
「あの子を解き放て!あの子は人間だぞ!」

モロ
「黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか?森を侵した人間が、我が牙を逃れるために投げてよこした赤子がサンだ!人間にもなれず、山犬にもなりきれぬ、哀れで醜い、かわいい我が娘だ!お前にサンを救えるか!?」

アシタカ
「分からぬ・・・。 だが共に生きることはできる!」

モロ
「フハハハ!どうやって生きるのだ?サンと共に人間と戦うと言うのか?」

アシタカ
「違う!それでは憎しみを増やすだけだ!」

モロ
「小僧、もうお前にできる事は何もない。お前はじきに痣(あざ)に食い殺される身だ。夜明けと共にここを立ち去れ」


私とあなた

境界線は自分と他人の間にはない。
そもそも、私という概念も一つにまとめられない。
私ってなんだ?
泣いている女の子を見た時の
悲しみはどこにあるのか?
私は世界に広がっている。
世界は私の中に雪崩を打って入り込む。

肝臓、腎臓、脾臓。
個別の境界を持った臓器たち。
その集積が”私”?
細胞の中のミトコンドリアは、かつて別の命だった。

境界があるとすれば、
自分とブラックボックスの間にある。
そういう意味で、僕たちは全てマルコビッチの穴に過ぎない。
中身のマグマが飛び出すための、ただの穴。

「俺がマグマだ!」

プロレス団体WJ, World Magma the Greatest, 初代王者, 佐々木健介

「ヴァー!」

IWGPヘビー級王座, 三冠ヘビー級王座, GHCヘビー級王座,   佐々木健介


これらのことは全部、『入菩提行論』に書いてある。
700年頃、インドでシャーンティデーヴァが書いた本だ。

科学者ならば先行研究を調べ、その巨人の肩に乗れ。
僕たちはそう教わった。
であれば、仏典や聖書、占いやスピリチュアルと呼ばれる
人の営み、こころの連なりも、きちんと学べばいいことがある。
実際、あったと思ってる。

僕はあなたであり、あなたはミネ!
ミネ!ふとろうね!

「ミネバーーーーーーッグ!!!!!!」


物語をひかりにする


『刃牙道』という格闘漫画の中で、主人公とその対戦相手は、脳の準備電位を読みあって、相手の次の動作を予測しながら戦う。お互いに出来たら、もうそれは普通の戦いと同じだ。リベットの実験は自由意志を否定した訳じゃない。自由意志という信念はわずか200年程度のエアポケット、ローカルミニマム。

NARUTOの無限月読。マダラは「勝者だけの世界、平和だけの世界」を無限の幻で創ろうとした。
その何がダメなのか?なぜ多くの忍が反対したのか?
ナルトは「そんなのは嘘」であり、
自分が傷つかないように作った仲間は本物ではないと叫んだ。

心の底から
それがわからないというのなら 
何時間でも話そう
君のもとに行く

「死にたかった過去を笑って語れるおばさんになって良かったねっ!!幸せなのはわかったから出てってよ!!」『少年のアビス』

「大人になることは、誰かの”安全基地”になること。」
 脳科学者  茂木健一郎

trpg「 沼男は誰だ?」
この社会に増えすぎたスワンプマンの母体(自分?)を殺す。
そのために、ネットの海に完全に記憶をコピーした lain を作成する。

生命を維持し増やすためだけに、僕たちは生きていない。

「僕はここで三人でかけっこするために生まれてきたんじゃないかって」

アルミン・アルレルト『進撃の巨人』より

死ぬことだって厭わなくていい。
だがそれは、生きる以上に魂を燃やしうるならだ。

「愛ある限り戦いましょう。 命、燃え尽きるまで。」

『美少女仮面ポワトリン』より


僕たちは、僕たちなりに 一生懸命に生きて来たじゃないか
もうおじさんとおばさんだ。だからこそ胸を張ろう。
やるべきことがある。それをやろう。





「小さなことからコツコツと」




KAGAMI
Lobmaier, J. S., & Mast, F. W. (2007). The Thatcher illusion:
Rotating the viewer instead of the picture. Perception, 36(4), 537-546.
サッチャー錯視は網膜座標(像)で概ね決まるが、重力の影響も少し受ける。










いま いう こと ?





Don't think!  Feel!
雰囲気(ムーディー)が伝われば十分
上から来たモノを下に受け流す 



いま、ここ

また新しい物語が始まる
ヨセテハカエスナギサノナミ



過去も夢も人がつくる。それがロマンと呼ばれる余剰次元。
坂本龍馬は、司馬遼太郎以前には、ほとんど居なかった。

いましかいえないことをいいたい

エゴを手放そうとする勇気
そのために暴力があるのかもしれない
泣き叫べばいい
自らを、
それで足りなければ、愛する人を
謗ればいい
過ちは既に犯している
多くの人が死んだ
殺した
そのかなしみの是非もなく
立ち上がり
その屍を、
俺の屍を

越えてゆけ 

次回「マリアサマノゴゾーハドコ? 浦上四番崩れ」に本当に続く




参考文献

製作中です。しばしお待ちください。

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