問いと「歴史総合」 :5つの観点+1に注目して
この2ヶ月の間、私なりに、新科目「歴史総合」の素材集めをしてみました。この新科目について、ある程度知られるようにはなってきました。これを来春以降実施するとなると、なかなか大変なところもあるだろうなと思ったりもします(とくに教員研修や、学校・生徒や多様な実態を踏まえた文字資料の扱いについて)。近代化、大衆化、グローバル化を時期区分のように扱うことにも、正直抵抗があります。
巷では「歴史総合は日本史と世界史の融合だ(現代の課題との関わりを考察する)」とか「歴史総合は世界史だ(一般的法則について思考する)」とか、特に内容面について注目が集まっているようです(よくある誤解については図1・図2を参照)。
しかし、授業をおこなう側としては、歴史総合が「問い」の表現を求める科目であるという点のほうが重大な変更点です。「問い」をどう構造化させ、単元をどう組み立てていくか。複数の教員で協力して実施する必要がありますから、評価方法も含め、どの程度まで作り込むか、ある程度イメージしておく必要があります。
その際、学習にあたって取り上げるべき「観点」をどう盛り込んでいくのかということ(後述する「5つの観点+1」)は、外すことができないポイントだと考えています。
今回はこのことについて、私見を備忘録的に記しておきたいと思います。
◆「問い」と歴史総合
歴史総合の中には、「問い」を表現する活動が、内容の中に組み込まれています。
どうしてなのでしょうか。
教科書の記述の背後には、歴史家が資料を読み解く営為があり、資料に向きあう歴史家には、過去の世界に対する何らかの「問い」(問題意識)があります。
一般に、高校における歴史の授業は、教科書に書いてあることを、「覚えるべきもの」「理解すべきもの」とする一方、教員のナラティブ(語り)が、教科書や資料、それに生徒の素朴な意識に対して優位を占め、教科書記述の背後の奥行きや複数の視座が担保されにくい状況があったように思います(一般選抜型を利用する進学者が多数を占める普通科高校にとって、その構造的背景にあるのは受験における重箱の隅を突つくような出題です(特に文系私立大学入試。たとえば稲田義智氏の著書、ブログを参照))。
歴史総合のカリキュラム編成の議論を踏まえると、歴史学的な学究を、高校生に追体験させようという意図もあるようです(ただ、それは、中学校を卒業したばかりの高校生の学習段階や、個々の学習集団や個人の状況を踏まえる必要があることは、言うまでもありません)。
同時に、過去の世界に関する資料を多様な視座から読み解くことで、ポスト・トゥルースとも言われる現在の情報環境を生き抜き、よりよい社会を形成する資質を育みたいという期待も感じられます。
◆複数性と複雑性に立ち戻ろう
無論、現在の世界はとても複雑です。
しかし、だからといって過去の世界が単純であったわけではありません。なのに、過去の世界のほうが、単純にみえてしまう。なぜでしょうか。
時の経過とともに、過去の世界に対する解釈の積み重ねは、いくつかの「語り」を生み出しては、消え、接木されたり、換骨奪胎されたりし、変容していくものです。複数の「語り」が競合する中で、いつのまにか資料が参照されることはなくなり、単純化され、個人の記憶も、いつしか公的な場から周縁においやられていきます。そのようにして、文字として語られた歴史は、ある一定の集団によって記憶される記憶や神話というべきものに変化していくものです。そうやって単純化された過去の世界についての「語り」は、いつの間にか多くの人にとって、自明で自然なものに映るようになっていきます。これが過去の世界のほうが、単純にみえる理由です。
昨今のSNSにおいては、ある種の情報が感情的でファストな反応をもたらすケースが、かつてよりも短いサイクルで繰り返し引き起こされるようになっています。世界が複雑で複数的なことは当たり前なのですが、サイバー空間上では、情報に対する諾・否や快・不快の背後に、それぞれ単一の「語り」によって区分けされた世界観が、自明で自然なものとして、それぞれ存在しているようにも思われます。事実が文字その他の情報(エビデンス)として残りやすくなってしまっているがゆえに、曖昧な「語り」がゆるされなくなってしまっていることも、関係しているのかもしれません。
単一で単純な「語り」に屈するのではなく、複雑さに立ち戻る。単純に見えるものの内部に宿る複数性を、よみがえらせる。時代時代に応じて人々のつくりだした世の中の仕組みによって、おさえられてきたもの、隠されてきたものに、耳を傾け、すくい出す。歴史総合のカリキュラムには、そういった力を育む学びが現代的な諸課題の解決にも資するのではないかという展望があるように思われます。
歴史総合の「目標」には3項目があります。そのうちの一つをみてみましょう。
過去の世界の問い直しを通して、現在の世界の複雑性・複数性に気付き、それを現在の課題解決に活かす道をひらく科目。それが、歴史総合の目指すところであると思います。
つまり、学びをすすめていくにあたっては、まずもって、生徒たちが現在自分たちの暮らしているこの世界、永遠不変で当たり前だと思っている周囲の環境に対して、ちょっとだけ距離を置き、「問い」を発することのできる仕掛けをつくる必要があります。批判的な思考ですね。授業を組み立てていく上でまずもって重要なのは、この点について、手法と内容の両面から準備を進めることでしょう。
◆5つの観点+1が大事だと思う
私個人としては、まずこのシリーズ「新科目「歴史総合をよむ」を通して、「5つの観点+1」を踏まえながら、使うことのできそうな資料や問いのアイディア出しをしてみることにしました。
「5つの観点+1」というのは、私の造語です。
「5つの観点」は学習指導要領2-B-(4)、2-C-(4)後述するように、自由・制限、平等・格差、開発・保全、統合・分化、対立・協調のことで、たとえば2-C-(4)では次のように示されています。
これを図示してみたものが、以下の図3です。
「+1」は、「持続可能な社会の実現」のことで、2-D-(4)に以下のように示されています。
◆「5つの観点+1」は複数性を担保する「ワクチン」である
私は「5つの観点」(自由・制限、平等・格差、開発・保全、統合・分化、対立・協調)とは、歴史学習を単純化の罠から救い出すための「ワクチン」(藤原辰史氏)であるととらえています。
たとえば、通俗的な地政学的な語りにおいて、過去の世界の説明は、しばしば「国」が主人公となることが多い。
「「ロシア」が「日本」を圧迫した」とか「「日本」は、「中国」とは違って「アジア」から脱し「ヨーロッパ」の制度をとりいれて近代化した」といった語りですね。
こうした説明は、単純明快でわかりやすいことは間違いない。しかし、そこからこぼれ落ちるものが、たくさんあるわけです。
歴史総合のはじめのパート(学習指導要領では内容のB)は、18世紀以降、近代国家の形成国民としてのまとまり(統合)がどのような経緯で進み、現代の社会にのこる諸課題とのつながりについて、世界的な動向のに注目しながら学習します。しかし、「誰が国民か?」という選別には、必ず「誰が国民ではないか?」という排除や格付け(分化)がともないました(たとえば、男性と女性の関係は、近代化とともにどのように再編されていったのでしょうか)。
それは国民国家の内側に属した人々と、周縁に属する人々という二分法にとどまりません。国民国家への統合は、周縁に属するさまざまな地域の人々の相互関係にも影響を与えました。周縁に位置づけられるたからといって、中心と周縁の階層構造を生み出す国民国家形成に対立するわけではなく、協調する人々もいたのです。それはなぜでしょうか。日本以外のアジア諸国とは、どのような共通点と相違点があったのでしょうか。
歴史総合のはじめのパートでは、資本主義的な経済体制の成長にもスポットライトが当てられます。イギリスにはじまる産業革命と資本主義的な世界市場の拡大は「ウェスタン・インパクト(西洋の衝撃)」となって非欧米諸国に到来します。しかし、それ以前のアジア諸国間の貿易が破壊されたわけではありません。イギリスの主導する自由貿易と協調しつつ、アジアの伝統的なネットワークは残存し、むしろ日本にとって衝撃であったのは「西洋」よりも華僑を中心とする「アジア」のほうでした。
日清戦争期に産業化の進んだ日本でも、資本主義的な企業経営により生み出された多数の非熟練労働者は、よりよい待遇を求め、しばしば都市で騒擾を起こすようになります。農村でも寄生地主制の発達により、小作人の騒擾もしばしば起こりました。四民平等を契機に国民として統合されていった人々のなかに、経済的な格差が深まっていったわけです。人々はどのような自由を求めたのでしょうか。そして政府はどのような制限をかけたのでしょうか。そして、人々も政府も、一枚岩であったといえるのでしょうか。
その後、日本においては日清戦争・日露戦争期を経て、台湾や朝鮮といった植民地を領有し、第一次世界大戦後に国際連盟の常任理事国になると、「一等国」としてのプライドと国民的な一体感は、マスメディアの発達とともに、むしろ高まっていきます。しかし統合の背後には、内地と植民地などの間には、さまざまな面で格差や排除(分化)もありました。
また、都市人口が増加し「大衆」として存在感を強めた人々に対し、政府は一部の人びとを除いて参政権を付与し、政治参加を認めます。参政権を与えられ、主体性を認められた人々が、いかにして大戦期に、自発的に国による統制を受け入れ、求めていくことになるのか。そして戦後には経済成長という、戦争に代わって国家の新たな大きなプランとなった「よりよい未来の理想」実現に対し、いかに自発的に生き方、家族といった生活世界を変えていくことになるのか。そしてそれが1970年代以降の世界の構造転換を背景にして、現在にいたるまでいかに変質していったのかが、注目すべきポイントとなります。
「5つの観点」のうち、特に注目すべきポイントは「開発と保全」です。
「自由・制限、平等・格差、統合・分化」が人間の活動する圏域にまつわるものであるのに対し、「開発と保全」は、人間の活動圏と地球圏の相互作用に関するものですね。
ここには歴史総合のカリキュラム構想の経緯の中でも言及された「ビッグ・ヒストリー」(宇宙の誕生に遡り、宇宙史・地球史・生命史というより長期の枠組みについて、文理融合的に過去の世界をとらえる歴史的なアプローチ)の要素が感じられます。ただたんに、公害問題とか地球環境問題を扱えばよしというのではなく、先ほど述べた「+1(持続可能な開発)」との接続の観点からも、もっと広い視野で扱う必要があると思います。
そのうえで、「5つの観点」のうちの「対立と協調」は、自由・制限、平等・格差、開発・保全、統合・分化の4観点よりも、一つ上位のレイヤーにあるものと考えます。
これら4観点について、人々や政府、国際社会(この3層構造は成田龍一氏の所論による)がどのように関わり、歴史を動かしていったのか。
国民国家や帝国内部の内なる複雑性。さまざまな立場にある人々をクロスし、国民国家や帝国を越える言説・運動ネットワークの複数性(たとえば、反帝国主義運動、植民地の米騒動、明治期以降の(大)アジア主義、反核運動、68年の運動)。
「対立と協調」は、一見すると一枚岩にみえる人びとや政府、国々や組織の言説や運動内部の複雑性・複数性に注目していくうえで、有力な「ワクチン」となることでしょう。
◆「問い」をあらかじめできるところまで練り込んでおきたい
どのような「問い」が出うるのか、どのような資料を用意し、相互に組み合わせればいかなる「問い」が生じうるのか、あらかじめ検討しておくことで、生徒側から出た「問い」への対処の幅を確保できるのではと考えるからです。
その際、「5つの観点」については「近代化」「国際秩序の変化や大衆化」「グローバル化」のそれぞれについて全て組み込んだプランと、「5つの観点」を3つのパートに固定的に振り分けていくプランの両者を準備してみたいなあとは思っています。
最後に付言すれば、「問い」そのものの持つ単一性への誘惑にも、自覚的になっておきたいといころです。
人々の立場はさまざまですが、自分たちの生み出す意見や行動は、つねに再帰的に国際政治や国内の社会の動向の影響を受けるがゆえに、外部の立場からは、しばしば人々の思いの複雑性・複数性が骨抜きにされ、単純化されがちです。
たとえば、ある事象を見て、これは「反帝国主義的な運動だ」「冷戦構造の被害者だ」という類の単純化を前提として、問いを組み立てるような話は、これからしばしば起こりうるでしょう。イデオロギー的な「大きな物語」や加害/被害の単純構造から「こぼれ落ちた部分」に対する意識を持ち、準備をしていきたいところです。
そのためには、政治的な文章や知識人の文筆のみならず、マスカルチャー、サブカルチャーも含めた広い意味での「文化史」的な素材、とくに文学作品にも、手広い引き出しが求められそうです。また、メディア研究などカルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアル批評などとの親和性も高いでしょう。
ひとまず、お正月にはゆっくり、溜まっている『ゴールデンカムイ』と、このあたりの御本を読んでいきたいと思います。最後の『つながる沖縄近現代史』は、出版社(ボーダーインク)ウェブサイトから送料無料で直接購入できます。
追記:2021/12/28 図を挿入しました。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊