新科目「歴史総合」を読む 1-2-4.産業革命のはじまり
1-2-4. 産業革命のはじまり
■イギリスの産業革命
人類の社会を「工業」中心のものに変える産業革命が最初に起きたのは、18世紀後半のイギリス(グレート=ブリテン王国)だ。
イギリスでは近世にはいって商工業がいっそう発達し、これまでにはなかったような産業ができたり、みんなで役割分担してものづくりに関わったりする中で、国内のマーケットがどんどん拡大していた。
また、スペイン継承戦争(1701〜1714年)で「大西洋の奴隷貿易」に参加する権利を得たことも、イギリスの商人や投資家に莫大な利益をもたらすこととなる。
その中から、「もうかった利益」をそのままにしておくのは「もったいない」と考え、「資本(ビジネスの元手(もとで)となる資金・土地・働き手・生産設備など)資本を投入し、不熟練労働者に賃金を払って工業製品を製造しようとする「産業資本家」が生まれていった(商業でもうけるなら「商業資本家」、農業でもうけるなら「農業」資本家、工業(ものづくり)でもうけるなら「産業資本家」という)。
製品を製造・販売するには、製品の供給地と市場が必要だ。
17世紀にヨーロッパ諸国が「重商主義」の政策をとると、イギリスも「商業や工業を盛んにして、いっぱい輸出してもうけよう」と、国が積極的に経済のことを考えるようになる。そして、17世紀後半にネーデルラント連邦共和国、18世紀にフランス王国をおさえて広大な海外市場を確保していった。
他方、この時期にはマーケット向け生産をめざす農業も発達していった。従来よりも効率よくたくさんの収穫の見込める新農法(四輪作法、ノーフォーク農法)が開発され、産業革命期に急増する都市人口を支えることとなるよ。
大地主もビジネスには積極的。議会でちゃんと立法した上で、中小農民の土地や村の共同地を強制的にとりあげて一つの大規模な農地に変えていった(第2次囲い込み)。そして、進んだ技術をもった農業資本家にこれを貸し出して経営させたのだ。
その中で羊を放牧して羊毛・毛織物を生産したり、麻や絹織物を生産したりするなど、小規模な工業(プロト工業)も盛んになっていく。
一方、囲い込みによって土地を失った農民は農業労働者や都市の工業労働者など資本家の下で賃金をもらって働く道を選択していった。「産業革命」前から始まっていたこうした激変のことを、「農業革命」というよ。
さらにイギリスは、石炭と鉄などの資源にめぐまれ、また17世紀以降、自然科学と技術の進歩もめざましかった。
同様の経済成長を達成していた世界の他の地域はほかにもあった(北インド、長江下流、関東平野)けれど、これらの地域が直面していた「環境の制約」を乗り越えることができたのは、たまたまイギリスだけだった。
イギリスは、たまたま豊富な石炭へのアクセスと、新大陸という広大な土地へのアクセスという “好条件” を持っていたことを前提条件にして、新しい生産技術(テクノロジー)を応用して工業生産を拡大させていくことになる。
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こうしたさまざまな要素がからみあって、イギリスで、18世紀後半に世界最初の産業革命がスタートすることになったのだ。とはいえ、1780年〜1801年になっても、イギリスの国民生産の年成長率は1.3%程度しかなかったとされている。社会の変動は19世紀半ばにかけての長いスパンで起こっていった。
資料 イングランドにおける1人あたりGDPの成長率(OurWorldInDataより)
そしてこの変革を可能としたエネルギーの新技術は、やがて世界中に拡大。
やがて、人類の社会そのものを根本的に変化させてしまうような激変をもたらすことにもなるよ。
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産業革命による社会の変化
蒸気機関が導入された結果、イギリスは「農業」(アグリカルチャー)中心の社会から「工業」(産業;インダストリー)中心の社会に転換した。
工業中心、つまり「ものづくり産業」中心の社会のことを、産業社会と呼ぶ。
たしかに、産業社会への転換(産業革命)以前にも「工業」はあったにはあったけれど、あくまで「手仕事」(手工業)が基本だし、作業場の規模も小さかった。
ビジネスの元手を持っている人が農家に内職(問屋制家内工業)をさせたりとか、職人さんたちが組合をつくって持ちつ持たれつ細く長くものづくりをする(ギルド制手工業)が一般的で、作業の動力源は人力で動かす道具だった。
道具を使うには慣れや|熟練《じゅくれん》(生産に関する知識)が必要だったから、長きにわたる修行を経た職人が生産の担い手だった。
しかし、蒸気機関を動力としてつかえば大量に商品を生産できるし、熟練した技術は必ずしも必要ない。
大規模な機械製の工場が出現すると、不熟練賃金労働者(熟練した技術をもっていない人々)に、賃金を払って雇い、労働にあたらせるシステムが一般化していく。
これにともない、職人の担うそれ以前の家内工業や手仕事は急速に没落してしまった。一部は「伝統工芸」としてその後も残るけれど、なくなってしまった職業も多かった。イギリスでは機械を破壊する運動(ラッダイト運動)も起きている。
この時代には、従来のように商品を売ってもうける大商人とか、土地で人を働かせてもうける大地主に代わって、機械を使って商品を生産し「資本」をどんどん増やしていこうとする、あたらしいタイプの人々が現れた。産業によって無限に資本を増やしていこうとした彼らのことを、「産業資本家」という。
さまざまなものが工場でつくられるようになり、人々の「欲しい」と思う気持ちをかきたてるようになるにつれて、社会における資本家の地位も上昇していった。とくにイギリスでは資本家が、地方の「地主貴族」(ジェントリ)や爵位を持つ「貴族」と融合しながら、「ジェントルマン」という“幅のある”上層階級を形成していくこととなる。
変化の影響を受けたのは上層階級だけじゃない。さまざまな人々の生活スタイルも激変した。たとえば服はオーダーメイドでつくるものではなく、商品を購入するものとなっていく。
なお、蒸気機関の発明により、飛躍的な物流・旅客の拡大(「交通革命」)が起きた点も重要だ。次第に世界の様々な地域を短時間で結ぶ交通手段が整備されて、人の移動や情報の交換は飛躍的に拡大した。このことも、イギリスによる植民地支配や国際関係にも影響を与えることとなった。
一方で、新たに発生した社会問題もある。都市に人口が集中していく一方で、上下水道といった都市のインフラが追いつかず、感染症が流行したのだ。
資料 テムズ川の汚濁
大規模定住するようになった人間にはつきものの問題だったけれども、「資本」を無限に増やすことばかりにこだわるあまり、都市に住む労働者の生活環境は、しばしば資本家にとってはどうでもよいことだった。
また、不熟練賃金労働者と資本家の間の契約には、一見すると対等のようであるが、実際には大きな格差を生み出す仕組みが組み込まれていた(こうした資本主義生産システムのもつ仕組みの「すごさ」を指摘したのが、カール・マルクスとエンゲルスだった)。
当時は長時間労働や汚い職場は当たり前。劣悪な労働環境を是正する法律もなく、「文句をいうならクビだ」と資本家からいわれてしまう。
しかし、不熟練賃金労働者となった子供たちの過去な状況が明るみになるにつれて、その是非が論じられるようにもなっていった。
そこで「みんなで団結して交渉しよう」とまとまる労働者たちも現れるようになった。この組織を「労働組合」(レイバー=ユニオン)という。工場では機械の動作に合わせて働くことが求められるので、手仕事の時代のように自分のペースに合わせた働き方のようなことはゆるされない。金曜日や土日に飲んだくれて、月曜日には仕事にいかないといったルーズな働き方は「悪いもの」とされるようになり、時計の時間による管理の下、規律正しく働くことが強く求められるようになっていったのもこの時期の特徴だ。彼らはしだいに「自分たちは “労働者” という階級のメンバーだ」(労働者階級)という意識を持つようになっていき、労働者の “働き方改革” や社会の “しくみ改革” も叫ばれるようになっていく。
■産業革命と自然環境
動力源として石炭が大量に用いられるようになったことから、工業都市においては大気の汚染が進行した。
マンチェスターを中心とするイングランド中部の工業地帯は、工場の煙突から立ち込める黒煙からブラックカントリーと呼ばれるようになっていた。
当時、石炭は無限に産出されると信じられていたが、19世紀後半には、その有限性も指摘されるようになっていった。
資料 ジェヴォンズ『石炭問題』(パブリック・ドメイン、https://en.wikipedia.org/wiki/The_Coal_Question#/media/File:Jevons-exponential_growth.jpg)
■工業化の他国への波及
イギリスの産業革命は、他国の工業化に影響を与えていった。
イギリスから安価な製品が大量に輸出されるようになり、各国政府政府が、このままでは経済的にも政治的にもイギリスの支配を受けてしまうのではないかと、警戒感を強めたからだ。
各国政府は、政府が介入してでも、工業化を実現しようとしていった。これを「上からの工業化(産業革命)」と呼ぶ。
1830年代にまずベルギーとフランスが産業革命に成功。さらに1850年代以降はドイツ、アメリカ、19世紀末以降に日本、ロシアが追随した。
イギリスに遅れて資本主義の生産システムが普及した国々を「後発資本主義国」という。
いずれの国においても、国内の産業を保護する保護主義(輸入品への関税を高率にし、国内の産業を保護する政策)の政策がとられることが一般的だった。
19世紀後半以降には、工業の中心は、石炭を動力源とする蒸気機関を用いた綿工業から、石油を動力源や原料とする重化学工業へとシフトする。
これを第2次産業革命といい、ドイツやアメリカ合衆国が牽引していくこととなった。
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