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全てを潰しても

 懐かしい場所から、夕焼けを見届けた。
 烏丸北大路交差点。
 この近くに、自分が中学受験へ…と受験勉強をする為に通った塾がある。
 しかし、この塾がまた長続きしなかった。
 最終的には親を呼んでの3者面談を行なって塾と話し合い、最悪な形で塾を離れる事になった。とにかく恥ずかしい思い出しかない。
 素行が良くなかった…
というのは少なからずなのだが、どれだけ勉強させても彼の成績は上昇していかない…というのもまた議題の1つになっていたのだ。
 勝手ながら、自分の
『受験をしてまで中学校など進学したくない』
という自然な抵抗だったのかもしれない。
 今でも、北大路付近に行くとこの思い出が胸を過ってくる。
 あまりにも自分の中で忘れられない傷跡。
「あんな形で恥ずかしい思い出を作ってしまった…」
という自責の念に似たようなものが、水に浮かぶ油のように浮遊してくる。
 1年かそこらでしか行けなかったのではないだろうか。自分でも長く通った思い出がとにかく残っていない。
 本当に暴れ回る少年時代で、ハッキリと
「嫌には嫌なりの態度を以って返す」
という事でしか出来ない少年だった。
 コレが後に、自分の発達3級への扉として開かれてしまうわけだが。

 ロクに思い出が残っていない。
 小学生の頃…少年時代は特定の交友関係を作って、あとの人たちとは歪み合う事しか出来なかったのだから。
 あまりにも寂し過ぎるとしか言いようがない。
 鉄道+好きな事をやりたいだけの…という自分でも散漫すぎる少年時代を以ってして、自分の成長の土台は形成されていったのである。
 とにかく、今でも自分の人生の中で
『小学校進学の為の受験勉強』

『中学受験の為の勉強』
は本当に何をする為にしていたのかよく分からなかった。
 家族によれば、自分を
『少しでも良い環境で育てたかった』
という思いがあり、学びの環境も整えてやりたかった思いがあったのだろう。
 しかし、自分はコレに真っ向から反対していた。自分の人生の中でも、とにかく身に入らなかったかもしれない。
『周囲の引力には逆らえませんでした』
で受験勉強に精を出してそのまま受験すれば、それも当然の結果が跳ね返るはずだ。
 神様がここで都合の良い奇跡を巻き起こそうはずなど一切ない。
 結果として、滑り止めの京都市下最悪クラスの学校に入学して中学時代が開幕した。
『良い環境で我が子を育てたい』
という期待に、自分は多少なりとも貢献できたのだろうか。それが自分ではよく分からない。

 そうして必要以上の手塩を投じられた家庭環境に育った身としては、何処か思うところがある…というのか、
「ここまで暑苦しくなって、必死に小さい頃から将来を追い求めるなんて何を考えているのだろう」
とそれしかなかったのだ。
 なので、自分の学習意欲などは皆無とは言わないまでにしても非常に降下した意識の中で育ってきたように思う。
 人間は確かに、いつ死んでしまうかわからない。
 ただ、そんな幼少の幼子の頃から。少年の時期から自分の人生に関して、生涯に関して思いを綴り考えるのには幾らなんでも早いのではないかと思っていた。
 自分の育った小学校のクラスメイトは、中学受験に成功し、秀才な学校へ幾つも巣立って行った。
 しかし、自分にはその価値がよく分からない。
 家族団欒の習慣を捨ててまで見たかった景色は絶対にコレではないと断言できる。
 なぜ、人は名誉を要求しようと動くのだろう。
 なぜ、人は少しでも秀でた道を探そうとするのだろう。
 自分には分からない事だらけだった。
 今でも、時々にして秀麗な道へ進学していった同期の事を考える。
 彼らは本当に理想とする、自分たちの描いていた素晴らしい未来へと進めたのだろうか?
 答えは知る事もないだろう。

 そうやってかつての受験戦争を戦った彼ら彼女らは、もう既に自分と同じ年齢に到達し社会人として暮らしている。
 と信じたいのだけれど。
 どうなっているのだろう。
 自分は結果的に、道を考える事なく育っていった自由奔放を要求するような人だったから、集団生活にも失敗し。何も得る事のない20代の折り返しに差し掛かろうとしている。
 いつまでもこの古傷に向き合うのは決して悪いことではないのだろうか?
 あの時期にもし、我が家が受験戦争に我が子を投じる考えをしていなければ、自分はもっと様々に自由な景色を見て。様々な経験を繰り返して体験できたのだろうか?
 自分の中ではそうした気持ちの重なりが疼いては消えていく。
「過去は過去なんだし、取り返していきなさい」
過去に古傷の話をして、医者を始め多くの人にその言葉を掛けられた。
 その内容を投げかけた人の世代は様々、そして職業も多彩であり色んな人であった。
 痛むものは痛むんだ…と口答えのように返してしまいそうになるけれど、経験した人にはそうであるとわかるのだろう。
 最愛の人を失ったり、実家が破産して行き場を失う…
 その勢いの後悔なのである。

 中学受験の戦争に敗北…自分の受験への興味、学習などの意欲を失ってからは成績、精神面は急激に降下していき、折角にと受験戦争に揉まれて入学した中高一貫の学校もたった4年で退学をしてしまった。
 そして、直感で大学を選択して今に至っている。
 新型コロナ渦…として世の中に荒波が押し寄せた結果、自分の学生生活からの軌道修正は失敗し、決壊したまま堤防は治らず終了してしまった。
 後には何が残ったろう。
 結果的に、自分の学習能力や根性を評価するような家庭に育ってしまったので、何を得たのか何を失ったのかがよくわかっていない。
 幼少期の傷跡を埋めるように、残された残照を探し求めるような旅路で、今は必死に。懸命に全てを取り返そうと動いている。
 全てを失って、選択をせずして得たものはなんだったのだろう。
 あまりにも不甲斐ない人生だった。不甲斐ない人生の下積みだったと言えるだろうが、これが自分の歩んだ足跡なのだからどうしろとも言えないのもまた事実だ。
 人の成功を耳に入れ、自分はこれからも歩き続ける。
 瑞々しい人生の一角を味わう事は出来なかったし、大人たちの言いなりになって様々な事に挑戦したが、今後自分が妻子を持った時には出来る限り、自由に人生を歩ませてやりたいような気もする。
 灯が消えるような、時に空気を得て燃え盛るような。
 そんな生涯を今は歩んでいる。

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