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【エッセイ】「この世の生きにくさ」が解消される未来

世の中にある障害

「この世は生きにくい」

あなたはそう感じたことはあるだろうか?
私が普段「障害者」の就労支援の仕事を行っているが、彼らの多くが「この世は生きにくい」と感じている。

現在日本では「障害」は3種類に分類されている。身体障害、知的障害、精神障害である。しかし、最近は発達障害も注目を浴びるようになり認知度も高まってきている。また障害には認定されていない「難病」まで合わせれば、世の中には様々な病気や特性を持った方が数百万人~数千万人いると言われている。

その障害の特性によって生きにくいと感じる要因は様々存在している。

私が以前一緒に仕事をしていた男性は下半身に障害があり車いすを利用していた。彼は私が働いている会社で人事の仕事をしていたのだが、仕事ぶりは真面目で頭もよく、丁寧な仕事に誰もが信頼を置いていた。

ところがある日、私が出勤すると彼が非常に疲れた顔で通勤してくる姿が見えた。
「大丈夫?」と声をかけると「大丈夫です」という返事をしたが、額には汗がにじみ、明らかに顔色が悪かった。私は少し休むように促し、休憩スペースで状況を聞くことにした。すると彼は通勤が非常に辛いということを話してくれ、その内容は私が想像している以上に大変であることが分かった。

彼は毎日電車で1時間かけて通勤をしていた。東京都内に暮らす人で自分の足で歩いて通勤している人にとっては1時間の通勤時間はそれほど苦にはならないだろう。電車網が発達しているので自宅から行きたい場所まで電車を乗り継ぎさえすれば行けないところはほぼ無いと言ってもいいだろう。

ところが車いすを利用している彼にとっては、そうはいかない。

動線が命綱になる

私たちは通常自分が通勤時に歩いている「動線」を意識することはまずないだろう。「動線」とは自分が移動する際にどこを通るかという意味だ。しかし車いすユーザーにとってはこの「動線」は自分が目的地まで行けるかどうかの「生命線」なのである。

もし自分が行きたい目的地までの間に、車いすで通ることができない箇所が一つでもあったら、そこで移動はストップしてしまい、それ以上先に進むことはできなくなってしまうのだ。特に道路工事が始まったり、駅構内で改装工事ともなれば、いつもとは違う経路を通らなければいけなくなるのだが、この時に車いすユーザーのことまで配慮して工事現場の動線が考えられていることは実は稀なのである。

歩くことができる人であればちょっと遠回りに感じるくらいで、自分が目的地まで到達する上でそれが障壁になるなんて考えることさえしないだろう。しかし、車いすユーザーにとっては、そのたった一つの変化で目的地に辿りつくことができなくなってしまうほどの重要な問題なのだ。

彼は普段新宿駅を経由して通勤をしていたのだが、新宿駅が改装工事を始めたため、今まで自分が通ってきた動線を使うことができなくなり、新宿駅構内でかなり回り道をして通勤しなければいけなくなったのだ。また自分一人では通ることが不可能な場所は駅員さんに手伝ってもらわなければならず、駅員さんが来るまで新宿駅のホームで待たなければならないのである。その間多くの乗客が行き来し、人から見降ろされながらホームで待たなければいけない心境は、想像するだけで辛いだろうと感じた。

そのためこれまでは1時間で通勤できていたのが1時間半かかるようになり、彼は朝通勤するだけで疲労困憊になっていたのである。

バリアフリーは未整備である

今であればテレワークで仕事をすることも提案できたが、これはいまから6~7年前の話しなので、まだ社内の仕事は「通勤」を前提として設計されていた。そのため車いすユーザーである彼にも通勤ができることが採用の条件になっていて、通勤可能ということで採用をしていたのである。
自分の足で歩くことができる人たちにとっては、何でもないことが、自分の足で歩くことができない人にとっては「この世は生きにくい」と感じる要因となるのである。

このように社会環境の「物理的な障壁」を無くすために都市部を中心として「バリアフリー法」と呼ばれる法律が施行されはじめ、少しずつ社会環境は改善されつつある。しかし、実際には「バリアフリー法」は完全に義務化されているわけではなく努力義務のため、新しく建てられた建物であってもバリアフリーになっていない建物はたくさんあるのが現実なのだ。

「常識」という名の「障害」

そしてこの世の中を生きにくくしているものは物理的な障壁に留まらない。
むしろ人々の頭の中にある「常識」にこそ、その「障壁」が高く存在していると言っても過言ではない。

例えば人が移動するということ一つとっても「人間は足を使って移動する」という「常識」があるため、車いすユーザーのように歩くことに困難さがある人を想像してこの社会はデザインされていない。
他にも職場ではコミュニケーションを「口頭で行うことができる」という「常識」があるため、耳の聞こえない人や、音でコミュニケーションを取ることに苦手意識のある発達障害の人にとっては、職場でのコミュニケーションは非常に困難さを伴うのである。

このように今の世の中には「物理的」にも「概念的」にも「常識」とされているものがあり、この「常識」があるがゆえに「この世は生きにくい」と感じている人たちを産み出してしまっているのである。

私たちは生きにくい社会で生きている

以上は障害者の方々を例に挙げて説明したが、しかし「世の中の生きにくさ」は実は私たち全てに存在していないだろうか?

例えば恋愛をとっても「見た目の良さ」によって彼氏、彼女ができる確率は明らかに違いがある。もちろん最終的にはその人の見た目だけでない面白さや性格の良さといった内面が重要になるのだが、最初のとっかかりは見た目の問題がかなり大きな要因として存在している。

他にも配属された部署の仕事のやり方が自分に合わず苦手としていることをしなければいけない部署に配属されることもある。人とコミュニケーションを取ることを苦手としている人が営業部に配属されることもあれば、数字を扱うことを苦手としている人が経理部に配属されることもある。

また配属されて部署の中でも人によって得手不得手はある。
企画を考えることが苦手な人にとっては「次の会議までに考えをまとめてきて」と上司から言われてもそれができなかったり、段取りよく物事を進めることが苦手な人にとっては期日までに資料を仕上げることに苦痛を感じるかもしれない。

一方でその逆もの状況もある。企画を考えることは苦手だが物事を段取りよく進めることに長けている人もいるし、物事を段取りよく進めることは苦手だが企画を考えることが得意な人もいるだろう。

つまり人には得意不得意があり、得意なことを活かせる職場であれば活躍できる可能性が高まり、そうでなければ成果を出すことを難しいのである。そして成果を出すことが難しい人にとってはその職場は「働きにくい職場」になってしまうだろう。
また上司や職場の同僚との人間関係なども働きやすさに影響してくるとなると、ほとんどの人たちにとって理想の職場など無いような気さえしてくる。

テクノロジーが作る理想的な社会

ところがこれからの時代、もしかしたら自分にとっての理想の職場を手に入れることができるかもしれない。

それが今話題になっている「メタバース」である。

そんな理想の未来を感じさせてくれるのが國光宏尚さんが書いた「メタバースとWeb3」という本だ。

「メタバース」や「Web3」という言葉を聞いたことがある人は多いと思うが、実際に何ができるかまで理解している人は少ないのではないだろうか?

2021年に米フェイスブックが社名を「Meta(メタ)」に変え、今後の主力サービスを「Metaverse(メタバース)」に移行することを強烈にアピールしたことによって、日本でも「メタバース」という言葉が認知されるようになった。

簡単に言ってしまえばメタバースとは「3次元の仮想現実」ということになる。

それだけ聞けばこれまでの「VR(バーチャルリアリティ)」と何が違うのか分からないと思われるかもしれないが、ここに「Web3」という新世代のWeb機能が加わることで、これまでの「VR」をさらに超えた世界観を実現できると期待されているのである。

Web3で実現する世界

簡単に「Web3」を説明すると、Googleやyahoo、amazonといったインターネット上で情報を検索したり、ニュースを見たり、買い物をすることができるようになったのが「Web1.0」である。これはこれまでリアル店舗や本や新聞などの媒体で得ていた情報をインターネット上でも取得できるように「置き換え」が行われた時代だ。基本的にこの時代はWebサービスをユーザーが一方的に利用する「一方向性」のサービスが主体であった。

ところが次の「Web2.0」の時代になるとFacebookやTwitterに代表されるようなSNSサービスが拡大し、私たちは他人の情報を見るだけでなく、自分たちも情報を発信できる立場になった。つまり「双方向性」のサービスを利用することができるようになったのだ。

ところが「Web3」になると、私たちは生活空間の大部分がバーチャル空間に移行し始める。
私たちは「リアルな世界」と「バーチャルな世界」の両方で暮らすようになり、人間関係もどんどんバーチャル空間で行うようになるのだ。そうなると私たちの生活は一変する。

例えばこれまで自分が暮らす空間というのは「家」という物質的な建物で自分の手持ち資金で収まる範囲に限定されていた。しかし、バーチャル空間でも暮らすようになれば、自分の住む場所や内装は自由にデザインすることが可能になる。

さらに自分が所属するコミュニティも物理的な距離の制約はなくなり、自分が好きなコミュニティを自分で選んでその中に入ってコミュニケーションを取ることができるようになる。

人類史上初めての世界

また「メタバース」の世界が広がってくると私たちは自分の「外見」を気にする必要が無くなる。

著者の國光さんは本書の中でこのように言っている。

「近い将来に人類史上で初めて、『見た目が関係なくなる世界』がやってきます。長い歴史の中で払拭できなかった偏見や差別も、バーチャル空間では全く関係なくなってきます。性別も人種も関係なく『中身で信頼し合える人間関係』が生まれることになるでしょう」

本書150P

私はこれを読んだときに、私たちが理想とする世界は、実はリアルな世界ではなくバーチャルな世界で築いてしまったほうが早いのではないかと感じた。

例えば足に障害がある人にとって物理的な移動は生きていくうえで生命線となるほど重要な要素だった。ところがメタバース上で仕事ができるようになれば物理的な移動からは解放される上に、自分の足に障害があるということすら相手に伝える必要が無くなるのである。

バーチャルな世界では人は見た目ではなく、中身の方が重要視されるようになるのだ。
その人が何を考え、何を好み、何をしたいと思っているのか、その人の人間性をベースに人は繋がるのである。

もちろんだからといって物理的な世界がいらなくなるということはないはずだ。お腹が空けばご飯を食べなければいけないし、トイレに行ったり、お風呂に入ることも必要である。また当然結婚をして家族を作るということもリアルな世界で行う必要があるだろう。

恐れずに未来を想像する

しかし、私たちはこれまでのようにたった一つの「リアルな世界」に縛られるのではなく、「バーチャルな世界」にも自分の居場所を複数持つことが出来るようになるため、リアルとバーチャルを行き来しながら生きていくようになるのである。

その場合、私たちの仕事観も変わるだろう。
「職業は一人一つ」という考えは古くなり、人は複数の仕事を同時並列で持つようになる。

また組織の在り方も「会社」という箱に所属して仕事をする以外に、プロジェクトベースで仕事を行うことが当たり前になるだろう。そうなったときには本業と副業という区別すらなくなるだろう。

こういった社会が来ることを「恐い」と思う人もいるかもしれない。
しかし、私たちは「リアルな世界」で「リアルな人間関係」だけに縛られることで「生きにくい」と感じてきたこともまた確かなのである。

私は全てがバーチャルの世界に移行するとは思っていない。おそらくリアルとバーチャルが今よりも遥かに高い次元で融合する社会が来ると思っている。その時にリアルの世界で強みを発揮できる人もいれば、バーチャルの世界で強みを発揮できる人も出てくるのではないだろうか。

これもおそらく人類初の「人が自分の強みを活かして生きる時代」が来るのだと私は感じている。

今と違う世界を恐れるだけでなく、今までの常識にとらわれず新しい発想で物事を見ることが、これからを良きる私たちには必要になるのだろう。

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