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武埜 山水
2023年7月2日 17:55
二〇二三年四月二十九日から六月二十五日まで墨田区は押上の「たばこと塩の博物館」にて『没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界』が催されている。私はそこに赴いた。五月九日火曜日のことである。天気は終日快晴にしてやや汗ばむ程度の気温であった。この展覧会は彼の没後節目となる本年に合わせて個人蔵、大学蔵、或いはその他蔵、問わず様々な場所からコレクションを集めた展示内容となっている。セクション
2023年7月1日 13:17
天明六(一七八六)年、幕府の財政を管理する組織の組頭・土山宗次郎が公金を横領していたことが発覚し死罪となった。彼は大田南畝のパトロンである。土山は「行状よろしから」ざりし故に死罪となった。さらに、その二年後(南畝四十の歳)、貧しいながらも育ててくれた父親と学を授け彼の未来を信じてくれた師・内山賀邸を相次いで無くした。もはや、世を笑う事はできなかった。そんな気力もないのだ。自分がいかに不真面目だった
2020年12月22日 09:41
文学の役割各時代の日本人は自らの思想を文学作品で表現することを得意とした。奈良時代末期に成立された日本最古の和歌集『万葉集』を例に挙げるとその同時代に記された仏教の理論的著述よりも、その時代に生きた人々の思想を明瞭に表している。日本人の感覚的世界は抽象的な音楽においてよりも、造形美術、なかんずく工芸的作品に表現された。摂関政治時代の芸術は仏教彫刻や絵巻物に独創性を発揮した。日本の音楽の面から見
2020年12月23日 18:38
第一回は日本文学の特徴について説明した。今回、第二回では「万葉集」が成立した時代前後とその背景について説明したいと思う。前回の記事は下記のリンクから飛べる。『十七条憲法』と『懐風藻』まで文献により遡る限り日本文学の歴史は七・八世紀に始まった。その時の日本は天皇家が他の有力氏族に対して、内乱と抗争を繰り返しながら次第に権力を独占していった時期であった。その後、律令制の範を大陸に求めた支配層は、そ
2020年12月24日 10:17
第二回は日本の初期文学について説明した。今回は日本文学が迎えた最初の転換期について説明する。詳細は下記のリンクよりどうぞ。大陸文化の「日本化」について八世紀末の平安遷都(七九四)から一〇世紀初頭へかけての凡そ一〇〇年間は、その時までに輸入された大陸文化の「日本化」の時期である。「日本化」の結果は、様々な面でその後の日本の文化に多大な影響を与えた。日本の政治・経済・社会・言語・美学は九世紀に決定
2020年12月25日 17:51
第三回は日本文学が迎えた最初の転換期について説明した。今回は成熟を迎えた頃の日本文学について説明したいと思う。第三回は下記のリンクからどうぞ。最初の鎖国時代奈良時代の日本の支配層は大陸文化に圧倒されその消化に忙しかった。九世紀には輸入された大陸文化が「日本化」され、日本流の文化の型が政治・経済・言語の表記法・文法そして美的価値の領域に成立した。その日本流の型は次の時代である十世紀・十一世紀に完
2020年12月27日 10:56
第五回には鎌倉時代に訪れた日本文学、再びの転換期について説明した。第6回である今回は日本初の劇である能と狂言が誕生した時代について説明したいと思う。前回の詳細は下記のリンクより。封建制の時代十三世紀の二重政治は十四世紀に崩壊した。地方武士団の力はさらに強まり鎌倉幕府に内紛が生じてその支配力が弱まった。京都の政府は鎌倉の読みにつけ込み幕府に反対する関東の武士団の棟梁を抱き込んで宮廷権力を集中する
2020年12月28日 09:31
前回は室町時代に入る新たな芸術様式が発展した背景を説明した。今回は戦国の世を明けた日本文学に訪れた三度目の転換期について説明したいと思う。前回の記事は下記のリンクよりどうぞ。西洋への接触十六世紀の半ばから十七世紀の半ばに至るおよそ百年間は二重の意味で日本史の転換期であった。第一に国際的に西洋の影響が初めて日本に及んだ。漂着したポルトガル人から鉄砲が伝来しその後、イエズス会が日本に於いてのキリス
2020年12月28日 15:00
前回は日本文学史に訪れた三度目の転換期について説明した。第八回目の今回は徳川時代に入り芸術の成熟を迎えた「元禄文化」について説明したいとお思う。前回の記事は下記のリンクからどうぞ。「元禄文化」について十七世紀末、元禄時代(一六八八〜一七〇四)を中心として、大都会(大阪、京都、江戸)に栄えた文化を俗に「元禄文化」という。その特徴は何よりも学問文芸の多くの領域に独創的な工夫が相次いで現れたというこ
2020年12月30日 06:49
前回は江戸芸術がさらに発展した「元禄文化」について説明した。第九回目である今回は徳川政権下で育まれた町人の芸術について説明していく。前回の記事は下記のリンクからどうぞ。教育・一揆・はるかな西洋日本に十八世紀において絶えず進んだ過程は学校教育の普及であった。幕府は教育を推励し地方政府もその経営する学校を新設した。この傾向は殊に十八世紀後半に著しい。地方政府も有能な官僚の必要性を自覚し始めたのであ
2020年12月30日 18:14
前回は江戸時代の町人の間で進化を遂げた文学を説明した。第十回目の今回は新たな文化西洋が忍び込み大きく転換しようとしている時の日本の文学について説明する。前回の記事は下記のリンクから。近代への道第四の転換期は十九世紀である。経済的にはすでに十八世紀後半に著しかった市場の全国化・農産物の商品化・貨幣経済発展の傾向がこの世紀の前半にいよいよ進んだ。その結果オランダの商人、シーボルトも注意したように都
2021年1月1日 21:31
前回は幕末から明治初期までの日本文学の遍歴について説明した。第11回目である今回は小説が誰にでも書けるようになった時代について説明する。前回の記事は下記のリンクで読めます。吉田松陰と一八三〇年の世代阿片戦争(一八四〇〜四二)から日米和親条約(一八五四)に至る時代に小青年期を過ごし明治維新(一八六八)を青壮年をして迎えたのは一八三〇年前後に生まれた日本人の一世代である。この世代の「エリート」は政
2021年1月2日 07:06
前回は明治時代の西洋に対する思いを説明した。今回は明治時代の思想、文芸について説明する。前回の記事は下記のリンクから。鈴木大節と柳田國男日本仏教を殊に禅宗と浄土真宗の伝統を明瞭な言葉で語り、日本文化にとってその意味を再評価したのは鈴木大拙(一八七〇〜一九六六)である。彼が生きていたほとんど一世紀にも及ぶ長い生涯は日本文化と西洋文化との対決の時期と重なっていたから前者にとっての仏教の意味の確認は
2021年1月2日 10:11
前回は明治時代に活躍して後世に多大なる影響を与えた思想家と文豪について説明した。今回は日本幅広く浸透した文学形式の一つである「自然主義」とその周辺について説明する。前回の記事は下記のリンクより。「自然主義」の小説家たち<一>一八七〇年代に地方で生まれ、東京に出て私立大学に学んだ文学者志望の青年の中からいわゆる「自然主義」の小説家たちが輩出した。島崎藤村(一八七二〜一九四三)と正宗白鳥(一八七九