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日本文学史 #6 能と狂言の時代

第五回には鎌倉時代に訪れた日本文学、再びの転換期について説明した。第6回である今回は日本初の劇である能と狂言が誕生した時代について説明したいと思う。前回の詳細は下記のリンクより。

封建制の時代

十三世紀の二重政治は十四世紀に崩壊した。地方武士団の力はさらに強まり鎌倉幕府に内紛が生じてその支配力が弱まった。京都の政府は鎌倉の読みにつけ込み幕府に反対する関東の武士団の棟梁を抱き込んで宮廷権力を集中する旧体制を復活させようとした。しかし鎌倉武士政権に反抗した地方武士団が京都の貴族政権に服したのは三年に満たない。足利尊氏は地方武士団を組織し京都に入って武士中央政府を再建し、吉野に逃れて幕府に抵抗した「建武中興」の一派(南朝)とは別に天皇を擁護した(北朝)。足利政権と南朝のいずれかに加担した地方武士団相互の間に戦われた内乱は十四世紀前半を特徴付ける。後半は南朝が衰え武士権力は再び確立された。新しい武士権力は宮廷貴族権力の妥協の上に成り立っていた十三世紀の鎌倉幕府よりもはるかに大きな権力を独占した。十四世紀後半から十六世紀前半まで室町幕府のもとで「封建制」と称するにふさわしい社会体制が成立した。ビシ団相互の勢力争いは封建制の時代を通じて絶えずしばしば武装衝突となりさらに大規模な内乱にまで発展した。十四世紀前半には南北朝の闘争が、十五世紀後半には応仁の乱(一四六七〜七七)があって十六世紀後半からは戦国の内乱に突入した。内乱の文学的記録の代表なものは『太平記』である。この時代の文化には著しい特徴が二つある。第一に十三世紀に興った禅宗が武士支配層に支持されるとともに世俗化したこと。その世俗化の内容は主として芸術家であって代表的な例は十四・五世紀の五山の散文の隆盛と水墨画の発達、さらには十六世紀に現れた「侘び」の茶も同じ系統である。第二に、貴族知識人がそのまま芸術家であるのを原則とした時代が終わり、室町幕府そのものに典型的なように武士支配層の保護のもとで専門の芸術家が文化の担い手として輩出するようになったことである。

禅宗の世俗化

禅宗寺院で発達し十六世紀後半に千宗易(利休、一五二二〜九一)によって室町時代を代表する文化の一つである「茶道」が完成した。喫茶の習慣は中国から輸入され(禅宗とともに栄西がもたらしたという伝説があり十二世紀の末栄西によって書かれた『喫茶養生記』がある。)十五世紀から十六世紀にかけて独特の建築・書画・生花・陶芸・社交的会話の全体を含む一種の総合芸術に発展した。室町時代の「茶道」は固有の美学を創り出した。茶室は故意に小さく、もろく作り、掛け物は、水墨・淡彩を貴び、花は一輪を投げ入れ、陶器は殊更に形が歪なものを選び表面の色を抑えて、釉薬の偶然につくり出した不規則な文様のほとんど汚れに近いものを喜んだ。中国大陸含め他国のあらゆる文化を鑑みても意図してもろく作った建築を尊び殊更に歪な陶器を喜ぶこのような美的価値は存在しなかった。「茶道」には典型的な逆説的美的価値は十五・十六世紀の日本に於いてのみ成立した全く独特のものだった。

仲間外れの文学

鎌倉時代初頭には貴族の文学があり室町時代には禅僧の文学があった。作者も読者も狭い集団に属しその集団に支配的な価値観を共有していたという意味でいずれも典型的な仲間内の文学であった。しかしその集団内部の勢力争いのために外部へ投げ出された成員もいる。投げ出された人々の大部分は何も書かなかった。しかし彼らの一部は仲間内の文学とは全く違う独特の世界を発見して仲間外れの文学を作った。その代表的な例が十四世紀前半に日本語で『徒然草』を書いた吉田兼好(一二八三?〜一三五〇?)と十五世紀(主に後半)に支那語で『狂雲集』に集められた詩を書いた一休宗純である。一休宗純は世間で知られる一休さんである。

芸術家の独立

封建制の時代に支那語の文学は禅僧寺院に栄えた。日本語の文学は関東から九州に至る広範な地域に拡がると同時に、貴族・僧侶・武士・商人・農民を含む上下の社会層に普及し始めた。この時代の日本語散文には二つの系統がある。その一つは漢語を多く用い中国の故事を頻繁に引用して十四世紀の内乱を書いた記述した『太平記』である。十四世紀後半に成立し作者は不明だが学識があり多くの文献を利用できる立場にあった知識人である。もう一つの系統は比較的平易な文章で綴った長編及び短編小説である。代表的な長編は二つの歴史小説。義経を主人公としてその生い立ちと没落の過程を語る『義経記』、及び曾我兄弟の敵討ちを述べる『曽我物語』である。

能と狂言

封建制時代の最も独創的な産物は十四・五世紀の間に完成した「猿楽」と呼ばれる演劇である。それには2種類あり一つは歌舞を主とする「能」と対話を主とする笑劇「狂言」である。西洋の文学史は既に古典時代から戯曲及び叙事詩を中心として展開した。主要な表現形式として散文の小説が現れたのは18世紀以降である。早い時期に抒情詩と散文の小説を中心として発達し十四・五世紀にいたって戯曲を加えた日本文学史はその意味において大いに西洋の場合と異なる。

能と狂言との対象は言語・題材・演戯の様式にとどまらず世界観の対象でもあった。日本文学史のあらゆる時代に外来の世界観と土着の世界観とは併存しそれぞれの文学表現を持っていたが、十四・五世紀が特殊なのは、それが「猿楽」の二面性として同じ舞台に現れたと言うことである。2つの世界観が2つの階級に応じていたのではなく同じ人間の意思の2つの層として存在したと言うことを鮮やかに示している。

#6 了 #7は日本文学、三度目の転換期について説明する。

上記の文章はちくま学芸文庫より出版されている加藤周一による『日本文学史序説 上』の「能と狂言の時代」に相当する。さらなる詳細は本書で。



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