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日本文学史 #4 「源氏物語」と「今昔物語」の時代

第三回は日本文学が迎えた最初の転換期について説明した。今回は成熟を迎えた頃の日本文学について説明したいと思う。第三回は下記のリンクからどうぞ。

最初の鎖国時代

奈良時代の日本の支配層は大陸文化に圧倒されその消化に忙しかった。九世紀には輸入された大陸文化が「日本化」され、日本流の文化の型が政治・経済・言語の表記法・文法そして美的価値の領域に成立した。その日本流の型は次の時代である十世紀・十一世紀に完成され十二世紀末まで続く。その間大陸との交渉はほとんどなくごく当の島国はアジア全体の中で孤立していった。この孤立の三百年はこの国の歴史の中では第一の鎖国時代である。時代の権力機構は十世紀・十一世紀には「摂関政治」、十一世紀から十二世紀には「院政」という言葉で要約された。政略結婚を通じて天皇を一族の中に組み込んだ藤原氏の権力の独占は少なくとも二百年の安定期を作り出した。宮廷を中心にした閉鎖的な貴族社会はその成員の組み込まれ度合いにおいてまたその排他性において日本史上まさに画期的なものであった。宗教・芸術・文学・風俗も相互に関連した一箇所の文化の全体として社会に組み込まれ社会はその文化を制度化し形式化し恒久化するために驚くべき力を発揮した。

貴族社会外部の大衆はどのような生活を送っていたのかを『枕草子』が描きその世界とは全く違う宮廷の生活を『源氏物語』は描いた。貴族社会外部の大衆が苦しい生活から自力で困難を切り抜けようとする実際的な知性と盛んな生活力があって、その実際的な現世主義、此岸的な世界観の構造は『今昔物語』に集められた多くの挿話にも実に鮮やかに現れている。仏教の大衆化と大衆の仏教化が全くの別物である。十世紀から十二世紀末までの日本で起こったのは前者である。

文学の制度化

鎖国時代の宮廷文学の特徴は伝統の固定と文学活動の制度化である。その傾向は和歌において最も著しい。儀式的な目的の他にも、遊戯や男女応答など多くの機会に歌を作ることはすでに九世紀以来平安貴族の日常生活の一部となっていた。鴨長明が語る挿話には女房から歌で呼び掛けられ男がその返歌を思いつかない場合や宮仕えの女から知らない歌の部分だけを言われた場合に男がどう誤魔化すべきかという工夫を説いたものもある。(『無名妙』『女歌読懸事』)

勅撰集の編成は十世紀初頭の『古今集』(九〇五)にはじまり十二世紀末の『千載集』(一一八九)まで七度、十三世紀初頭の『新古今集』(一二〇六)から最後の『新続古今集』(一四三九)まで十四度その編纂は併せて二十一度、五百年にわたって繰り返された。『千載集』にはじまり『新古今集』に完成した平安朝最後の歌人たちの作品には政治的な危機の中でつくりだされた緊張と独特の調子がある。編纂のしかたには二通りがあり一つは編纂当時の歌人の作を取らず先行の時代の歌を集める。『古今集』の作者の歌を拾った『後撰集』、『捨遺集』、『詞花集』はその例である。もう一つは同時代の歌人の作を主とするものであ、『後捨遺集』、『金葉集』がこれに属する。

小説的世界の成立

支那語の散文を「日本化」し分と並べて扱い始めた十世紀の宮廷知識人の作り出した散文作品は『源氏物語』以前のカナ物語、殊にその中で最も長く最も豊富な内容を持つ『うつほ物語』に代表される。伝統的な勅撰集とは対作用的に実に決定的な独創性を発揮したのである。

十世紀後半に現れ今日まで残っている作品『落窪物語』と『うつほ物語』は全く画期的である。この二つは貴族の日常生活を現実的に描いた散文小説として日本にも中国にも先例がなく殊に『うつほ物語』は世界最初の長編小説と考えられるのだ。『落窪物語』は継母の継子いじめの話である。会話及び手紙を用いて第三者の立場から描く。この種の題材を扱った小説は『源氏物語』(十一世紀初頭)以前に多くあってその一つが『落窪物語』である。一家族をめぐる日常的な事件の詳細、登場人物それぞれ異なる性格、人物の相互の心理的な関係、そこに非日常的な出来事や超自然的な力を全く介入させない小説的世界が十世紀の日本の宮廷社会では成立していたのである。『うつほ物語』には対照的な二面性が認められる。第一に形式上の新旧の対象。長編小説は画期的に新しい文学形式であり求婚譚は『竹取物語』以来のよく知られた形式に従う。また『源氏物語』よりも短い『うつほ物語』には『源氏物語』以上に多くの和歌が含まれる。それは文学、殊更に和歌が生活の一部として制度かされた社会の現実を反映すると同時に『伊勢物語』以来の所謂「歌物語」の古い形式の継承を意味する。第二、その舞台すなわち宮廷貴族社会の外部に対して開いた面と閉じた面である。

女の日記について

貴族の女が書いたのは和歌と物語と日記である。しかし独創的な和歌の作者が多かったにしても有名な歌人の圧倒的な数は男であった。物語の最高傑作『源氏物語』は女の作ったものだが平安朝の宮廷小説の大部分は男の書いたものである。ただ和歌の日記だけは七月ん日知られている限り女のものであった。女の日記には大別して二つの型があった。第一に型は作者の関心の強い一つの主題にのみ絞る。一人の恋愛関係だけを語った『かげろふ日記』。出家した息子との別れの辛さを綴った『成尋阿闍梨母集』。第二の型は宮廷生活を語り主題に統一性のないものである。『枕草子』『紫式部日記』『讃岐典待日記』がその例である。そのいずれにも属さないのは四十年にわたるよす街を振り返った回想録である『更級日記』である。心理描写は、『かげろふ日記』以前に例がなく、以後にも『源氏物語』を除いて匹敵するものはない。『うつほ物語』が長編小説の展望を開き『かげろふ日記』は叙述を作者自身の純粋に私的な感情生活に絞って、微妙な心理的動揺の記した最初の心理小説である。

源氏物語

『源氏物語』の作者は紫式部。成立の年代は正確にはわかっていないが十一世紀の初頭と考えられている。『うつほ物語』に次ぐ大長編小説である。話の大部分は理想化された主人公、光源氏の感情的障害に係り、継母、藤壺との姦通事件で始まりその妻、女三宮の姦通事件ともう一人の妻、紫の死で終わる。相互に関連の少ない挿話を並列する点では『うつほ物語』に似ているがその傾向は話の前半に著しく源氏の話の後半、及び死後の部分は遥かに緊密に構成されている。『うつほ物語』の主人公に比べれば主人公の源氏は遥かに大きな役割を演じ小説の一貫性を強めているので、平安朝第二の長編小説は第一の長編小説よりも単に長いだけではなく構成の上でも一歩を進めている。さらに『源氏物語』には超自然的な要素がない。仏教の加持祈祷は描かれて居るがそれは平安時代の貴族社会に実際にそれが行われていたからであって超自然的な奇跡を重要な要素とする『うつほ物語』とは大いに違う。『源氏物語』は貴族社会の日常生活の描写を主としているという意味でむしろ『落窪物語』に近い。形式的に見ても内容的に見ても『源氏物語』は先行の『うつほ物語』や『落窪物語』を継承しながらそれを発展させた小説でありその発展の方向は第一に日常中心主義へ、第二に感覚的な洗練へ向かうものであった。しかもそこに『がげろふ日記』の内省的な心理主義が付け加えられたのである。

『源氏物語』以後

『源氏物語』には二面があった。第一に摂関時代貴族の日常生活に即した背景の現実性。そこには奇跡や到底あり得そうにない空想的な状況の設定もない。第二に美化され理想化された人物の登場する恋愛小説としての架空性。そこでは洗練された感情生活の叙述が中心になっていて、人間の激しい行動や、強い意志、明瞭な性格は、ほとんど全く現れていない。『源氏物語』以後、二〇〇年平安朝貴族社会の文学は以上の二面、すなわち、現実的及び想像的な面の分極化によって特徴付けられる。現実的な面は所謂「歴史物語」において徹底された。その代表的な作品は『栄華物語』と『大鏡』である。想像的な面は日常的現実を離れ空想的で異常な状況の中で語られる一群の恋愛小説によって誇張された。現存する主な作品は『狭衣物語』から『夜の寝覚』や『浜松中納言物語』を経て『とりかへばや物語』に至る長編小説、『堤中納言物語』に収められた短編小説、そのた若干の短い歌物語である。

『今昔物語』の世界

宮廷を中心にした貴族社会を描きその感情生活を美化したのは『源氏物語』であり同じ貴族社会を語りながらその日常生活を現実にしばしば鋭い観察を加えたのは『大鏡』であった。宮廷と都の外にはどのような生活や心情が生きていたのか、それは平安朝貴族文学が決して語らなかった題材であり『今昔物語』が描いた世界である。『今昔物語』三十一巻の成立は十二世紀前半とされる。現存の本は三巻を欠する。その作者はわからない。全体は三部に分かれていて第一部にインド、第二にシナ、第三に日本の小話を集め、併せて一〇〇〇編を超える。『今昔物語』の仏教は平安時代の二大宗派、天台と真言を踏まえ、そこには十世紀末から盛んになった阿弥陀信仰(浄土教)の著しい影響を加えていた。人間の悪業と善業の結果は仏教的因果論(因果応報)によって説明されるが悪業の罰を語る話は少なく善業の報いを語る話の方が遥かに多い。その意味では来るべき鎌倉仏教とは異なり人生に対して肯定的であり楽天的だったことが窺える。

#4 了 #5は日本文学が迎えた二度目の転換期について説明したいと思う。

上記の文章はちくま学芸文庫より出版されている加藤周一による『日本文学史序説 上』の「『源氏物語』と『今昔物語』の時代」に相当する。さらなる詳細は本書で。



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