ゴリラ女子サル山に生きる
人には性分がある。
怒りっぽい人、涙もろい人、繊細な人、リーダーシップのある人……
そして私の性分は「人の下に立っていたい」それにつきる。
誤解されると困るので最初にはっきり言っておくが、Mとか、いじめられたいとかでは全然ない。
それに、だれかれ構わずへりくだるわけでもない。私の上に立つ人はこの人についていきたい、そう思える人のみ。そういう背中を持つ人を見つけては、その配下でぬくぬくと暮らす。それが理想の生き方なのだ。
なんだ、スネ夫の話か、と思わないで欲しい。スネ夫ともまた違う。スネ夫は自分より強いものには巻かれ、自分より弱い者の上には立ちたいやつだ。
私の場合は上か横オンリー。リーダー以外は横並びの存在でいてほしい。
「先輩」と呼ばれるのが嫌いだ。課長とか部長とか先生とか、そういう風に呼ばれるのも絶対御免。私の下は何人たりとも進入禁止。敬ったり、慕ったり、憧れたりしてはいけない。あくまでリーダー以外は対等。
まさにゴリラの生き方。
だけど残念なことに、年を追うごとにその生き方が難しくなった。年齢が上、ってだけで敬おうとする。社会に出れば毎年後輩がうまれる。上とか下とか真ん中とか、その序列は複雑だ。
人間はサルの社会に似ている。
ゴリラにサル山は生きにくい。
生物として人間に近いのはどちらか?
――答えはゴリラだ。サルは類人猿ではない。
しかし、もっとも人間に近い種、チンパンジーには上下関係があり、権力争いがおきる。さらにいうと、類人猿の中でも、オランウータンは群れない。
サルとゴリラとチンパンジーと、どっちが上とか、どっちが正解とか、どっちが生きやすいとか、そういう話ではない。性質の話なのである。
人間の社会はサルと、チンパンジーと、ゴリラと、オランウータンが共存しているような状態なのだと思っている。
結局、みんな、生きづらい。
そして私は絶滅危惧種のゴリラ女子なのだ。
上昇志向がない、能動的に動けない、後輩への指導もうまくない、何を考えているか分からない。そんなゴリラ女子たる私はどうやって出来上がったのか。そして理想のリーダー像とは。
ゴリラ女子のつくられ方
三人きょうだいの末娘として生まれた。服もおもちゃもお下がりが当たり前。喧嘩になっても敵わない。ジャンケンもかけっこも勝てないし、クイズにも答えられない。
兄と姉には逆らわない。逆らわなければ可愛がられる。それが末っ子として生きてきた私の処世術だった。
普段遊ぶのは兄と姉の友だちばかり。「○○の妹」と呼ばれるのが日常。いつも小さい子扱いされて世話を焼かれる。
――なんて楽なんだろう。居心地が良すぎる。私はそのぬるま湯生活を享受してぬくぬくと育っていった。
年上と過ごすのが好きだ。可愛がられ、庇護される。色々な人の下にするりと入って過ごしてきた。ずっとその立場でいたかった。
*
ゴリラにはシルバーバックたるリーダーが必要不可欠だ。
しかし、残念ながら、尊敬に値する立派な背中を持つリーダーはそう何人も現れるわけではない。シルバーバックだと思ってついていったら、とんでもない偽物だったこともある。
これまでの人生で、私が憧れ、敬う対象となったシルバーバックは4人いた。この人の下にいればぬくぬくできる。そんな理想のリーダーはたったの4人だ。
シルバーバック CASE1 姉
姉はすごい人だ。
私が人生において1番ついていきたいうちの1人に入る。
小学生の頃、私はよく忘れ物をしていた。今日は音楽なのにリコーダーがない……!と気づくか気づかないかの間に姉が教室に来る。
「アンタ今日音楽なのにリコーダー忘れてたから持ってきたよ!」
レストランでメニューを選べない時、姉は私以上に私の食べたいものを知っていた。
「アンタはこれがいいよ。それで私がこっちを食べるから少しあげる。それでいいね?」
文句なしのセレクト。私にはできない選び方。
そう!それが食べたかったの!自分では気づいていなかったけど。
クリスマスプレゼントは毎年姉と同じものをねだった。姉と同じものなら間違いない。
「アンタはこっちにしな。そしたらどっちでも遊べるでしょ?」
さすがだ!その通りにしよう。やっぱり姉はすごい。
親と喧嘩した時も、ただ泣くしかない私の元へ姉が来た。
「あんたは今こう思ってるんだよね。それが悔しいんだよね?」
そう!それが言いたかったの!うまく言葉にできなかったけど。たぶん。
もはや支配されていると言っても過言ではない。
姉自身も私のことを「従順」だと表現していた。
姉の下にいれば安心だ。食べたいものも洋服も、この先どっちに行けばいいのかも、全部姉が決めてくれる。姉の言うことさえ聞いていれば間違いない……。
しかしそんな姉は大学入学とともに上京、さらに海外へと留学してしまった。
指針を失った船は進む道が分からない。リーダーのいなくなったゴリラには新しいリーダーが必要だ。早く、誰か私を安心させて。
シルバーバック CASE2 K先生
二人目に見つけた理想のリーダーは小学5年生の時の担任、K先生。
穏やかで物知りで、いつもニコニコと笑っている、笑い皺の素敵な男の先生だった。
K先生は生徒から大人気で、一学期が終わる頃にはK先生が主役のマンガやテーマソングが次々と出来上がり、休み時間にクラス全員で肩を組んで合唱するほどだった。
ある日の授業前、K先生がこう言った。
「ごめんな、今日先生熱があって…ちょっと自習にさせてください。」
その言葉で子ども達が張り切ってしまった。
誰かが言い出した。
「先生を看病しよう!!!」
もはやテンションは最高潮。まるでお祭り騒ぎのように先生の看病が始まった。
全ての机を端に寄せ、真ん中に空間を作り、みんなの座布団を集めて布団を作った。
「先生!!寝て!!」
一人の子は雑巾を濡らして先生のおでこに乗せた。
一人の子は保健室に走って体温計を借りてきた。
一人の子は子守唄を歌った。
いつの間にか全員で合唱していた。
その異様な空気感の中、先生はニコニコと笑いながら座布団布団の上で横になっていた。先生は赤い顔で子ども達にずっと「ありがとう嬉しいよ」と言い続けた。
数日後に行われた懇談会で、K先生はその話を振り返って親達に話して聞かせた。
母伝いに聞いたこの言葉は、私にとっても忘れられない言葉だ。
まさか雑巾がちゃんと絞れてなかったなんてー…!!!
現在の小学校で同じことが起きるだろうかと考える。このご時世、きっとない。先生も働き方が変わって熱があったらきっと休むだろうし、教室で先生が寝る光景は見られまい。だけどこの一件は大人になってからも私の中に深く残っているエピソードでもある。先生が教えてくれるのは勉強だけじゃない。
この一件で私はK先生のことがもっと大好きになった。
ずっとずっとK先生に教わっていたかった。6年生になって担任が変わっても、分からないことや困ったことは全部K先生に聞いた。
K先生の言うことならなんでも聞いた。
他の先生に叱られて納得できないことがあっても、K先生に言われたらすぐに謝ることができた。K先生の下にいる間は怖いことは何もないし安心して生活することができた。何があってもK先生がいるから大丈夫。
うん。ちょっと変わった女の子だった。
だけどK先生は私の卒業と同時に異動していった。今思えば卒業までいてくれたことが奇跡だった。
そして私が高校生になる頃にはK先生はどこかの校長先生になっていた。K先生を校長に迎えたい学校がたくさんあって争奪戦だったらしい。私がついていきたいと思うのと同じように、素晴らしい人というのは他にも慕う人がたくさんいる。
私が卒業してからも、K先生は毎年手書きの年賀状を送ってくれた。その文章は常に謙虚で、定型文ではなく私のために書いてくれたことが分かる内容だった。
シルバーバックになれないゴリラ
中学校では運動系の部活に入部した。小学校までは学年関係なく〇〇ちゃんと呼んでいたのに、中学に入った途端、敬語で〇〇先輩と呼ばなくてはいけなくなった。どうしてかは分からない。
その上下関係はあまりにも厳しく、返事が小さいだけで怒鳴られた。部室を使う順番も学年ごとに決められていた。
人間界、とくに思春期のサル山の秩序は実に複雑だ。リーダーが何度も入れ替わるのだ。昨日リーダーだと思ってた先輩が、今日はリーダーじゃなくなっている。そして、リーダー以外の序列も日々目まぐるしく変化する。真ん中とか、下とか、上よりの下とか。
サルの世界は力こそすべて。強いもの、力を持ち続けるものがリーダーとなり、その座を争って日々いさかいが起きるものなのだ。
ゴリラ女子たる私は、というと、この人がリーダーかな?と思う人についていき、次の日別の人がリーダーになったと思えばそちらについた。ゴリラにとって尊敬するリーダーの配下にいることが一番大切な要素であって、それ以外の人はみな同じ立場だと思っていた。
だからリーダーと私との間で、私の上に立とうとする者の存在について、どう理解していいのか分からなかった。この人はリーダーじゃないと思う人には従わなかったから、めちゃくちゃいじめられた。階段から突き落とされて、この世界のルールに馴染めない自分を呪った。
ゴリラの世界に中間層はない。
ところが、2年生になると私がその中間層の立場になった。
つい1か月前までリーダーの言うことを聞いていればよかったのに、今度は後輩の指導をしなくてはならないという。
「1年!声が小さいよ!!」
「早く球拾ってきて!」
「3年生が来る前に片付けて!!」
その声に驚いて横を見ると、同級生がさっそく中間層の立場を生き生きとこなしていた。はっきり言って凄すぎる。彼女たちは求められている役割をすぐにこなせている。
後輩を指導するという行為はとても大変で、私には全く向いていなかった。どうしても言わなきゃいけなくて、仕方がなく指導する時、私の中には強烈な違和感があった。身体中がその行為を拒否していた。私が乗ってるハンモックの下に誰かいる、そんな気分。
後輩たちもまた、私には先輩としての魅力を感じないようで全然なついたりしなかった。
後輩には慕われないし、リーダーじゃない先輩にはいじめられるし、同級生のように役割をこなせない。私は一体何なんだ。
たまーに、私の横に並んでくれる後輩の子がいた。たぶん、ゴリラ女子だったんだと思う。
シルバーバック? CASE3 憧れのキラキラ女子
19歳の頃、憧れの先輩がいた。東京から来たという先輩はとてもきれいだった。頭の先から足の先まで美しい、手入れの行き届いた体。キラキラしていて眩しいくらいだった。使っているシャンプー、行きつけのネイルサロン、よく服を買うお店、色々教えてくれた。この先輩についていけば私もキレイになれると思った。
先輩の下には私を含めたくさんの子がいて、みな同じように先輩を慕っていた。
ある時、私だけが呼びだされた日があった。内緒の話があるという。呼ばれた場所に行くと、先輩と他にも何人かキラキラした女性がいた。そして先輩は「私のキレイの秘密を教えてあげるね」と言ってなにやらすごいマシーンを見せてくれた。
脱毛ができて、肌もキレイになって、瘦せることもできる、魔法のようなマシーン。私の両脇に座った先輩の友達たちも、口々にその良さを教えてくれた。憧れの先輩の言うことだ、間違いない。
言われたとおりに契約書に判を押した。
お値段45万円。
本当はもっと高いけど特別!友達には内緒にしてね!と言われた。「月々5千円で買えるよー!」と教えられて契約した。
ところが、だ。当時の私はギリギリ19歳。ローンを組むには親の同意が必要だった。仕方がなく、親にサインを求めた。――が、猛反対された。何度お願いしても許してもらえず、泣く泣く先輩に断りの電話を入れた。
数日後、先輩は街からこつぜんと姿を消した。そして、私の友達はみなそのマシーンを購入していた。悲しいことに、私以外は20歳をこえていたのだ。
シルバーバックは誰でもいいわけではない。リーダー選びを間違えてはいけないと教訓になった。誰かの下に立ちたい性分は、詐欺師にとってうってつけのカモになりえるのだ。
シルバーバック CASE4 W課長とO課長
次に私がついていったのは、就職してから見つけた上司。
派遣先のW課長とO課長だ。
派遣社員というのは私の性分にとてもよく合っていた。常に指針がある。あれやって、次はこれ、と言われるのはとても居心地がよかった。自分で能動的に動く必要がない。
同じ派遣同士、入社した時期によって経験の差はあれど、先輩後輩という立場にはならない。天職を得た気分だった。
派遣社員として働いた10年間の中で私を「派遣さん」としてではなく「本田さん」として扱ってくれたのはW課長とO課長の2人だけだ。
W課長とO課長の共通点。
それは「おーい誰かー」という仕事の振り方を絶対にしないということ。誰に接する時も最初に名前を呼んでから「この仕事をあなたにお願いしたい」と言った。
そして、今どんな仕事をしているのか確認してから「できそうかな?」と付け加えてくれた。
「あなたに頼みたい仕事がある。」
「今忙しいかな?できそうかな?」
こんな風に言われたら、たとえ忙しくても頑張りますと言いたくなる。
「大丈夫です。やります。」と答えると2人はいつも「ありがとう」と言ってくれた。
長く派遣社員をしている中で、派遣がやって当たり前の仕事にお礼を言ってくれる人は案外少ない。しかも課長自ら。だから私は両課長の仕事は喜んで引き受けたし、率先して先にこなした。
O課長とは印象的なエピソードがある。
ある時、使っている途中でコピー機が突然壊れた。理由は分からない。
ただコピーしていただけ。
それで私はO課長に報告に行った。
「申し訳ありません。コピー機を壊してしまいました。」
するとO課長はすぐに
「壊したんじゃなくて壊れたんでしょ。」
と笑顔で言った。
私が「この人についていこう」と思うのはこんな些細な瞬間。
言葉尻を捉えてスッと気持ちを軽くしてくれる。「えっ」とか「あらまぁ」とか、一瞬の戸惑いも枕詞もなく「君が壊したんじゃないのは分かってるよ」と一言で救ってくれるその器量。
ずっと私の上司でいて欲しかったのに、両課長はどちらも若くして部長へと出世し、本社のある東京へと旅立った。今は大企業の幹部クラスとなっている。
シルバーバックが見つからない
母親になっても私の性分は変わらない。ママ友界においても私はシルバーバックを探していた。誰か指標となる人を見つけてその人についていきたい。
しかしママ友付き合いでそういう人を見つけるのは至難のわざだった。
あくまでも子ども同士が友達であって、我々母親はその付属品にすぎず、自分自身で合いそうな人を見つけられるわけではない。
さらに、母親というのは常に我が子が一番で、その教育方法やしつけに対する考え方があまりにも違う。ボスママとかお受験ママとか高学歴ママとか裕福なママとか、本当にいろんな人がいる。私だって、ついていく人が誰でもいいわけじゃない。
しかも厄介なことに、子どもが2人目、3人目になるごとに、ママ友の年齢が下がっていった。これは由々しき事態だ。年上ってだけで私の下に入ってこようとする。ママ友に力関係などいらない。横並びでいて欲しい。
常に誰かの下にいたいのに、見渡せばいつの間にか私が一番古株の年上。どうしよう。
「教えてください。」と言われる機会が増えてきた。
私がされて嬉しかったように、悩める母たちに心が楽になるような育児アドバイスをしてあげなきゃ。幼稚園8年目の古株として、先輩風を吹かせなくてはならない。
先輩風を……吹かせなくてはならない?
果たしてそうだろうか。ママ友に力関係などいらないと思っているんだから、それでいいじゃないか。
上とか下とか、気にしてるのは私だけで、ママ友たちはそんなこと微塵も思っていないのかもしれない。
「教えてください」と言われたら「私も分かんない」と答えてもいいんだ。私がされて嬉しかった育児アドバイスが、誰かにとっても嬉しいかどうかは分からない。
*
同じような考えの人がいるだろうか?と考えた。姉御肌、上に立ちたい、上昇志向の強い方ならたくさん見てきた。
マウンティングする人とも出会った。私の上に立って見下そうとする人もいた。だけど私はマウンティングされたいわけではなく、尊敬できるリーダーの下でぬくぬくしたいだけなので、マウンティングされた途端に心を閉ざした。
サルの群れにあるマウンティングはゴリラの世界には存在しない。
マウンテンゴリラはマウンティングしないのだ。
サルでもなく、ゴリラでもなく、オランウータンだよ、って人もいるのかもしれない。リーダーすらも必要ない。孤高の類人猿。
だけど多くの人間は、私ほどではないにしろ、師と仰ぐ人の下で暮らしているのではないだろうか。
職場には上司がいる。宗教では教祖がいる。いくつになっても誰かに教わりたい――
そういう優れた人の下に立ちたい本能みたいのは、誰しもが持っているのではないか、とも思う。
実は下に立ちたいというのはすごくわがままでもある。尊敬できない人の下には立たない。しかも私はその相手に「ずっと尊敬させてくれる」ことを期待してしまう。なんとも嫌な奴だと自分でも思う。ずっと成長していて欲しい。幻滅させるような言動はしないで欲しい。まるで神かアイドルに抱く幻想だ。
どんなに年をとっても私は誰かの下にいたい。自分で意思決定することなく、上昇志向もない。リーダーに守られて、流されて、ぬくぬくと安心して生きる。時には騙されることもある。求められる役割をこなせない。群れに馴染めず孤立することもある。
それでも、私はゴリラの生き方しかできない。
別の種族になろうとするから苦しくなるんだ。何に生まれついても、生きづらいことに変わりはないのに。
これは、この世界に順応できなかった私の、負け犬の遠吠えだ。サルにも、オランウータンにも、シルバーバックにもなれなかった。
私は、これからもゴリラとして生きる。
来世はサルに生まれますようにと祈りながら。
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