act:8-大多喜城 城山のお爺さん
オレが住む大多喜町には、ビックリなことにお城がある!オレが小学3年生だった1975年(昭和50年)に、この鉄筋コンクリートの『大多喜城(※1)』が出来た。なんでもこの城は戦国時代が終わる頃に、この地を新たに治めた武将が建てたものを再現したそうで、お城の中は博物館になっている。そんな大多喜城の一帯は、実はオレたちの格好の遊び場だった。
遊び場とはいえ、当のお城にはさほど興味はない、このお城は中々立派なものなのだが、オレたちがそんな勉強のニオイがする高尚なモノに興味が沸くわけがない、同じ大多喜城でも、城がそびえる城山一帯の大自然こそが遊びのフィールドであり、ここには大多喜の町ナカでは体験できないものが幾つもあったのだ。いつの頃からか暇があると、大多喜無敵探検隊メンバーや小学校の同級生たちと集っては、この城山の山野をしょっちゅう駆けずり回っていた。
因みにこの城山一帯には、今でも様々な伝承ごとが伝わっている、その中でもオレが一番苦手だったのが落武者の幽霊話だった、この城山には、はるか昔に戦で命を落とした武者の集団が今でも時折出るということだ。その姿は頭から血を流してたり矢が何本も突き刺さってたりするようで、ゾロゾロと集団でこの城山の藪の奥に入っていくのだという…(※2)、逃げ足に自信があるオレは、例え落武者だろうと幽霊一人なら逃げきる自信があるが、それが集団になるとかなり手ごわい、回り道されて挟み撃ちにあうかもしれない、何より大人数だと取り囲まれてしまう可能性が高く、そうなると全く逃げきれる自信がない!
・・でもまぁ色々話を聞くと、その落武者の幽霊が現れるのは主に深夜だということと、更にウチの父に聞いたら『大多喜城に幽霊?科学万能の20世紀にそんなものいるわけないだろう、オマエは漫画の見過ぎだ、もっと勉強しろ!』とあっけなく切り捨てられた。さすが新聞記者の父!解答が至極真っ当、さらにお説教も軽く入っている、我が父ながらcoolである。
なによりこの城山には、そんな幽霊軍団の恐怖を差し引いても有り余るほどの魅力が詰まっていたので、オレとしては行きたくて行きたくて仕方がなく、そんな中での、父のこの冷静なひと言は、幽霊話が実は苦手なオレにとって、大きな安心感に繋がった。
この城山一帯は本当にすばらしい、まさに冒険を渇望するオレのパラダイスであった。ここには古代の魚や貝、ウミユリの化石が採れる崖や、カブトムシやクワガタがいるクヌギの木に、見たこともない珍しい山野草、お城の二の丸址付近の穏やかな川では水泳や釣りが出来る(※3)。
そんな中でもオレが一番気に入ってた場所が『謎沼(※4)』だ、特に名前がないからみんな単に『沼』もしくは『謎の沼』と呼んでいた。
この謎沼は、大多喜城の登り口にある5台ぐらい停められる小さな駐車場のすぐ下にある。その駐車場側の急な斜面を2mほど下ったところに、奥行きが150mほどの自然いっぱいの沼と湿地帯が広がっているのだ。どうも城の空堀に水が自然に溜まって出来たものじゃないだろうか、ここではタガメやゲンゴロウなど様々な水生昆虫をはじめ、多種多様なトンボも飛び回っている。メダカやザリガニもたくさん見ることが出来る。そして道側とは逆の、沼の奥側の岸ではフナやコイ、みんなが『沼の主』と呼ぶ、とっても大きなナマズにも何度か出会うことができた。
ただ、沼の向こうに渡るには少し覚悟がいる。沼の縁はかなり急峻で、縁に沿っておいそれと向こう岸に渡れない、無理に渡ろうとすると大体滑って沼に足を落っことすのだ。その沼がまたヤケに深い、足を落っことしても靴ぐらいの浸水でおさまるのなら無理してでも渡るけど、大体がズルっと滑って膝上ぐらい、ヘタしたら股下まで沼に浸かるのだ。その事態を極力避けるため、我々は『死のトンネル』と呼ばれる沼の城側の山の斜面にある恐怖の廻廊をくぐり、沼の反対側に抜けることになる。
『死のトンネル』、これは随分昔に作られた水道址の横穴で、そのトンネルの中はゲジゲジとハガチ、ケラトト(※5)だらけ、たまに大きなクモや蛇もいる。そんな不気味な生物に埋め尽くされた危険極まりない横穴であり、この手の生物が嫌いでない者でも絶叫間違いなしの地獄のトンネルだった。だから向こう岸に渡れるのは、ある意味オレのように知恵と勇気を持った、まさに選ばれた存在だけであったのだ。
そんな最高の遊び場である城山、そしてお気に入りの謎沼では、よくみんなで出かけては釣りをした。飽きてくると、水の中でも火が消えないNAクラッカー(※6)を投げ込んではダイナマイト漁をしたもんだが、これは全く成功した試しがなかったなぁ。
そんな調子でこの沼でしょっちゅう遊んでいるうち、ある時唐突に、ここで見知らぬお爺さんをよく見かけることに気づいた、気になって一緒に遊んでる友達に『あのジーサン誰?』って聞いても『見たことがない』『知らない』と、中には『そんなのいない』と・・、確かに一緒にお爺さんのほうを振り向くと、もうどっかに行ってしまったようで、既に跡形もないなんてことが多々あった。どうやらあのお爺さん、意外と足は速いようだ。その地味な和服のお爺さんは、いつも駐車場から向かって左の山の斜面に、チョコンと軽く腰を掛けて座っていた。声をかけてくるでもなくオレたちを遠目で見ている、そしてオレと目が合うといつもニコニコする。『ははぁ~オレを知ってるようだし、どうやら近所の爺さんだな、この近所ならマサキフジコのジーサンだろう』
いつしかこの謎沼でお爺さんに会うとオレは手を振るようになっていた、お爺さんも手を振り返してくれた。
『散歩でここによく来るんだな、まー年寄りは足腰弱ると良くないってんで、ウチの並びの婆さんも年中そこらをホッツキ歩いてるもんな』。
その後も謎沼に行くたび、大体お爺さんに会った、特に一人で遊びに行くときは必ずお爺さんがいた。
オレはそんなお爺さんを怪しむこともなく、しかし特に会話もないまま、手を振ったり会釈するだけだったが、お爺さんがいてくれるので、こんな山の中でも一人で安心して遊べたような気がする。
そんなある日だ、はじめてお爺さんに話しかけられた。ふと気付くとオレのすぐそばにいて『坊はのぉ、どこん子じゃ?』と‥
すぐそばなんて感じじゃないな、気配も何も感じなかった、声がして振り返ったら、すぐ横にお爺さんの顔があって驚いたんだ、まるで忍者だな!
ちょうど釣り針にナマズ用のエサをしかけようとしてたところで、いきなり声をかけられたんで、びっくりして釣り竿の針を指に刺してしまった。
オレは『役場のそばのサナダの長男だよ』というと
『おぉ~やはりなぁ、小僧どもがヌシをサナダと呼ぶもんでのぉ、うむ!やはり坊はヌシの先代にそっくりじゃ、そうかそうか。』
お爺さんは皺くちゃ顔でとびきりの笑顔でそう言いながら、なんだか一人で納得していた。
『ワシはその昔一緒になぁ…、心のお優しい大層立派な方じゃったよ、ヌシもそうなれるといいのぉ、ワシはヌシに会えて良かったわい』
オレは『‥お、おぅ、そーだね』としか言えなかった。まさか同じクラスのマサキフジコのお爺さんがうちの先代と?ようは死んだウチの爺さんの知り合いだったということか!?こりゃヤバイわマジに悪いことできない!今後お爺さんのいる前では良い子にせねば・・、もう沼の主にNAクラッカーを投げるのはやめにしよう、そう!なによりマサキフジコを今後はからかうのをやめなければ!むしろ『姫』と煽てて持ち上げることにしよう、世間が狭すぎてオレは息苦しいぞ何なんだ全くこの町は!
オレは動揺しつつも、中々針にかかってくれないナマズ釣りの続きをしようと沼の方に目をやって、そして、ふとお爺さんの側を振り向いたらもういなかった。まぁきっと言いたいことを言いきったんで、もう用は済んだとばかりに、とっととどっかに行ってしまったようだ。単にお年寄りだからせっかちなのかもしれないが、まさに忍者のようなお爺さんだ。
しかしその日を境に、謎沼ではもちろん、城山一帯で遊んでても、あのお爺さんの姿を全く見なくなった。しばらくして流石に心配になり、学校で同じクラスのマサキフジコに『お爺さんどうしてる?調子悪いの?謎沼で最近見ないんだ』と聞いたら『ウチのお爺ちゃん?5年前に死んでるよ』とあっけなく言われた。
あれれ?じゃーあの爺さんは一体どこのジーサンなんだ!?
その後もお爺さんを全く見ない日が続いたが、そんなある日、謎沼の畔に真新しい赤い屋根の小さな祠が作られていることに気づいた。それはちょうどいつもお爺さんが座っていた辺りにあった。
何気にオレは手をあわせた。
その晩、オレは夢をみた。
黒くてとっても重たい、まるでカブトムシみたいな鎧を着たオレ、その手の中であのお爺さんが息も絶え絶えにしていた。
『死ぬな七兵衛!小諸七兵衛よ!!何ゆえここでヌシが死なねばならぬのだ!その腕利きは大膳様と互角と云われた槍の七兵衛よ、なんだその無様な負け姿は!ワシは許さん、許さんぞぉぉぉ!!』
怒り調子で威勢のいいことをガンガンいうオレだったが、その兜から覗く厳つい面頬の下は、すでに涙でグシャグシャだった。お爺さんの胸には一本の槍が深く突き刺さっていたのだ。
オレの声に気付いたのか、薄く目を開いたお爺さんは、苦しそうに浅く呼吸をしつつも、ゆっくりと、そして一言一言しっかりと答えてくれた。
『…隼人佑様、爺は、、もうお供出来そうにございませぬ、七兵衛この通りモウロクしました、…もう一度だけ和田浦の海を見とうございましたが、、』
一瞬呻きながらも、己の胸に刺さった槍を確かめるように見つめ、さらに七兵衛は言葉を続けた。
『じきに小田喜城から真里谷の勢がまた来ましょうぞ、どうか大膳様を、正木時茂様をお守りください、それが大膳様と共に三原郷からこの地に来た我らの、そして隼人佑様の大事な大事なお勤めでございます‥』
七兵衛は続けて
『‥ぜひ小田喜城を落としてください、爺の最後のお願いでございます。』
やがてお爺さんは静かに息を引き取った。オレは亡骸をそっとその場に置き、胸に深々と刺さっていた槍を引き抜いてあげてから、手を合わせた。
目を閉じると子供の頃のオレと、若い頃の七兵衛の姿が次々と頭に浮かんだ、武術や馬の稽古に、和田浦の海で沖まで一緒に泳いだことや魚獲り、そういや山奥の磑森で、しょっちゅう畑を荒らす大イノシシの猪助を二人で狩ったよなぁ、その場で炙って、父上や母上、弟の國桜丸や村の衆たちも呼んで、みんなで喰ったっけなぁ、あれは旨かったよなぁ、楽しかったよなぁ、、なんだろう、色んな事がどんどん思い出されてきて仕方がない、なにもかもが急に懐かしく、遠く感じてきた‥。
そしてオレは大きく目を見開き、あらためて辺りを見渡した、そこかしこに槍や刀が乱雑に捨て置かれ、幾つもの矢じりが突き刺った男どもの遺体が、ゴロゴロと無造作に転がっている、丸太で高く組まれたオレたちの砦からは、真っ赤な炎と黒い煙が絡まりながら天に向かい濛々と立ち昇っていた、なんということだろう、ここはまるで地獄じゃないか!
‥無念ではあるが、ここは体制を立て直さねばなるまい、
ひとまず館まで戻るしかないようだ
『小田喜の真里谷め、次はないと思うがよい!』
オレは大きく声を張り上げると、まだ歩ける味方を急いで呼び集め、勝浦の館城に退却することにした。ふつふつとこみあげる怒りが七兵衛の死を、皆の死を、そして悲しみに圧し潰されそうなこのオレの気持ちをひと時だが忘れさせてくれる、故にオレはますます怒った、ゆっくりダラダラと歩くやつを馬上から蹴り飛ばし、隠れて戦わなかった弱虫を怒鳴りちらし槍の柄で突き倒し、砦の見張りを怠った責任者を散々罵倒し諄いほどに叱責した。自分でも頭がおかしくなったんじゃないかと思うほど、怒って怒って怒りまくった。
しかしこうなったのは他でもない、この砦を任された長であるオレが迂闊だったからだ、全てオレのせいだ、オレのせいで七兵衛を、兵たちを、そして砦を焼かれてしまった。チキショー!チキショー!チキショー!
小田喜の城、この次は間違いなく奪い取ってやる!!そして真里谷朝信の首は、このワシが打ち取ってみせようぞ!!
怒りながら、そして顔中涙まみれ鼻水垂れ流しのまま、オレは目が覚めた。
夢だった、夢でよかった、‥でも本当に夢だったのだろうか?(※7)
やけに生々しかった、腹立たしかった、そしてとっても悲しかった、おかげで嫌な汗をたくさんかいた。
あのお爺さんが確かに夢に出てきたぞ?槍で刺されて死んじゃってた!
…ひょっとしたらあの忍者みたいなお爺さん、実は噂の城山の幽霊だったのかなぁ、まぁー大多喜城の城山には、昔っから武者の幽霊が出るって云われているし、あのお爺さんが幽霊でもおかしくないか、それに不思議だけど全く怖くはなかった。
あの夢に見た地獄のような場所は一体どこだろう、そういえば大多喜町の外れに、地獄橋(※8)という小さな橋がかかっている、その一帯は何度も戦が繰り広げられた古戦場で、年中武者の遺体がたくさん転がってて、その様子がまるで地獄のようだったから、そこにかかる橋の名が地獄橋になったということだ。もしかしてそこらへんなのかなぁ?なんかヤダわぁ不気味だなぁ…。
オレは夢から覚めたあと、しばらくの間はそんな結論も出ようがない思いに捉われ、ずっとモヤモヤしていた。
結局あのお爺さんには、はじめて声をかけられた日以降、二度と会うことはなかった。お爺さんがもし本当に大多喜城の城山を彷徨う幽霊の一人だったなら、謎沼に供養の祠が作られたことで、ようやく成仏できたのかもしれない。今頃はあっち側でウチの先祖と再会して、酒盛りでもしてるんじゃないだろうか。
1977年(昭和52年)、小学5年生の頃の想い出である。
【注意】登場人物名及び組織・団体名称などは全てフィクションであり画像は全てイメージです…というご理解でお願いします。
大多喜町MAP 昭和50年代(1970年代)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?