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共感よりも「ありがとう」に救われる時がある

他人(自分ではない人)の痛みや苦しみを、本当の意味で理解することって、なかなか難しい。ていうか、できないと思う。

どんなに頑張って想像したって、実際に経験したことは異なるし、胸を痛める人を目の前にして「なんて言葉をかければ良いのだろうか」と悩むことは多い。なんというか、簡単に理解できるはずもないし、理解したつもりになってもいけないんだと思う。

先日、『Girl/ガール』という映画を観た。トランスジェンダーでバレリーナを目指す女の子のお話。

性自認と身体的性別が異なるというトランスジェンダー。この映画の場合は、性自認は女性なのだけど、身体は男性という役だった。

映画の描写は本当に生々しくて、レオタードを着るために必死に男性器を隠したり、二次性徴を抑える治療やホルモン治療などをしていた。性転換手術の内容やリスクの説明を医師から受けるシーンなんかもあった。デリケートな心情描写が丁寧で素晴らしくて、本当に多くの人に観てほしい映画だと思った。

正直、LGBTの人たちのことについてはそれなりに知ろうとしてきたと思っていたのだけれど、本当の「リアル」(映画なのだけど、リアルだと感じさせるものがあった)を見せつけられると、あぁ私何も知らないし、何一つ理解することができていない、と思った。

もし、この主人公が私の目の前にいたら、何て声をかけるんだろうか、と考えた。何も思いつかなかった。多分、言葉に詰まり、涙を流して抱きしめることくらいしかできない。私が泣いたってなんの救いにもならないのだけど、一度くらい一緒に泣きたい、と思った。でも、それすらも、自分が共感したつもりの痛みを晴らすための涙なのかもしれない。

人に悩みを打ち明けるとき、何て言ってもらったら一番心が休まるんだろうか。
そう考えたとき、私がパニック障害で会社に行けなくなり、「体調が悪くて・・・」だけじゃどうにも説明がつかなくて、どうしようかどうしようかと悩んで悩んで悩み疲れて、会社の中で「信用できそうだ」と思える人に初めて打ち明けた時のことを思い出した。

カフェで泣きながら説明する私の言葉を、一切遮ることなく、泣いたり笑ったりせずに、静かに聞いてくれた。私が話し終わった後の一番はじめの言葉は、

「話してくれて、ありがとう」

だった。

あぁこれだ、と思った。

「どうしてもっと早く話してくれなかったの?」でも、「辛かったね」でもない。同じ病気になったこともない。立場も年齢も性別も環境も生まれも何もかも違う、異なる人間。どうしたって、完璧に理解することも共感することもできないのだ。

辛い時、実は一番聞こえない言葉は「ありがとう」だと思う。
大丈夫?も、心配だよ、も、応援してる、ゆっくり休んでね、無理しないで、も、散々聞く。それらの言葉も、心があってかけてくれる言葉だからどれも嬉しいのだけど、そんな中で言われる「ありがとう」はひときわ輝くし、ひときわ心に染み入る。話して良かった、と思える。その言葉が、染み入って染み入って、心をほぐしてくれる。

理解しよう、共感しよう、何か言葉をかけなければ、と焦る気持ちを抱えながらも。そうやって、目の前の人の心に寄り添い、ある意味「理解できない」ということを受け入れることができたなら、私は「ありがとう」を言える人でありたいと思う。

Sae

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