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イチロー選手の引退会見にみた、言葉の面白さと「マイノリティ」

昨晩は夜更かしをして、テレビに釘付けだった方も多いと思います。私も、もれなくそうでした。正直野球にも、野球選手にもあまり興味もなく、世代でもなかったですが、記者の質問に対するイチロー選手の受け答えの内容、そして選び抜かれた、あの瞬間にしか出てこないであろう言葉の数々がとても魅力的で力があって、全てメモしたい!!と思うほどでした。

今の時代、便利なもので、いろんなウェブメディアで「会見全文」を載せてくれるんですよね。切り取って報道されたものはどこか疑心暗鬼で読んでしまうので、一語一句違わず記録してくれるのは、ありがたいなぁと思います。

実際に会見を見ていて、そしてその後、ウェブメディアの会見全文や、Twitterで流れてくる抜粋文を読んで。素晴らしい言葉はたっくさんありましたが、やはりこの言葉は、胸に刺さるものがありました。

 人より頑張ることなんてとてもできない。あくまで「はかり」は自分の中にある。それで自分なりにその「はかり」を使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。
 だから少しずつの積み重ねでしか、自分を超えていけないと思うんです。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。
 でも、それが正解とは限らない。間違ったことを続けてしまっていることもある。でも、そうやって遠回りをすることでしか本当の自分に出会えない気がしている。

この序盤の部分、あえて”「はかり」”と、ひらがなで、かつ「」をつけて書きましたが、ウェブ媒体やTwitter等、それぞれで使う漢字が異なっていたのです。私の目に触れた中でも、「測り」「計り」「秤」の3種類が使われていました。それで、すごく興味深く思ったのです。

少し調べてみると、それぞれにはこんな意味があるようでした。

はかり【計り/量り】
道具を用いて、物の長さ・量・重さなどをはかること。また、その結果。
はかり【秤】
《「計り」と同語源》物の重さをはかる道具。天秤 (てんびん) ・ぜんまい秤など。
出典:デジタル大辞泉(小学館)

また、「計る」「測る」「量る」にも、それぞれ細かい使い分けがあるようで。

「計る」
“時間や程度を調べる”の意。「タイムを計る」「損失は計り知れない」「まんまと計られた」 
「測る」
“長さ・深さなどを調べる”の意。「寸法を測る」「面積を測る」「池の深さを測る」「熱を測る」「子供の能力を測る」
「量る」
“重さや容積を調べる。推測する”の意。「枡でお米を量る」「目方を量る」「体重を量る」「頃合を量る」「真意を量りかねる」
出典:三省堂/大辞林 第三版

なんだか国語の授業みたいになってきた(笑)

たぶん、結論的には、答えはないんだろう(というか、イチロー選手にしか知り得ない)し、どれが正解なんだろうとかいう話でもないような気がしていて。思ったのは、言葉は、放って、それを誰かが受け取った瞬間に、その人の解釈に委ねられるんだ、ということ。とても当たり前なのですが、、、改めて、こうして、感情の機微がとても良く表れて、かつ、引退するという事実を伝えるというよりも、自身の考えや気持ちを伝える場であった会見だったからこそ、解釈に幅も生まれるし、いろんな受け止め方も出来るなぁ、と。受け取った人にとって、望ましいと思うような言葉にバイアスがかかってしまうこともあるだろうし。「これを言ってくれて嬉しかった」と、一つの言葉を、ほかの言葉よりも重く深く捉えすぎたりとか。それが、いろんな媒体や個人の発信の中から見てとれたので、面白いなぁと思ったのでした。

それから、もう、額に入れて飾りたいほどの気持ちになったこの言葉。

アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

自分自身が、その場所で「マイノリティ」になったからこそ感じることができたことや、新たな感情の芽生え。私がこのnoteを始めたときに、一番心に強く思っていたことだったから。誰しもが「マイノリティ」になり得て、自分が「マイノリティ」であれば、隣の人、目の前の人に対する想像力を持つことができる。生きやすい空間を作ることができる、ということ。それが、私が病気になって、一番強く思ったことだったので。私は海外で長期間住んだことはないので、自分が外国人である、ということによるマイノリティさを感じたことはないけど、自分が病気になって、そういう意味のマイノリティになって、初めて感じた孤独感は強くあったから。全く同じものではないと思ったけれど、強く共感したことも事実でした。
(もしよろしければ、以前私が書いた”「マイノリティ」について考える”シリーズ、お目通しくださいね!)

前進かもしれないし、後退かもしれない一歩だけど、自分で大切に歩んでいこうと思えた、たくさんの言葉たちでした。小学校の教科書とかに載せてみてはいかがでしょう(笑)

Sae


「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。