見出し画像

悲劇は一瞬にして起こる、明日は我が身。

2024年元旦、石川県の能登半島にて大きな地震が発生しました。被害の大きさはまだ分からない状態です。映像が報告されてくるたびに、惨事の大きさが現れてきています。被災されました方には、お見舞い申し上げます。

地震と言えば、私はいつも1995年の阪神淡路大震災を思い出します。当時私は神戸市長田区に住んでいました。家を失い、仕事を失い、避難所で過ごし、一年半ほどボランティアをしながら生き延びました。周りのみんなが被災者です。ケガもなく元気な体だったので、塞ぎ込んでいる人たちの役に立ちたいと思ったのは、自然な事でした。

当時の口癖があります。

「元気はいくら与えても、自分の元気はなくならない」


元気な姿で接することが、生きる勇気を与えることだと学びました。どんなに元気を与えても、自分の元気がなくなることはないんです。人が頑張っている姿を見るだけで、元気がもらえる不思議な力です。箱根駅伝だってそうですよね。テレビ見てるだけで元気がもらえます。

音楽から元気がもらえることを実感したのもこの時でした。不謹慎だと言われながらも、避難所横の公園で演奏しました。「元気がもらえた」と感動する人もいました。

中でもとても印象的に残ってる男性がいます。「地震で妻を失った。もう生きていけないと思い、避難所へも行かず自殺しようと公園へやってきた。凍え死んでもいいと思い、公園の隅で寝ていた。そこへあなたたちがやってきて演奏を始めた。毎日毎日あなたたちが頑張っている姿を見て、やっぱり生きてみようと思える勇気が湧いてきた。ありがとう。」そう言ってその人は笑顔で避難所へ行かれました。

人が頑張っている姿を見たら、自分も元気になれる


避難所にはホームレスもやってきました。悪臭を嫌がって、出て行けと言う人もいました。しかし、集まった自分たちだって、今日からホームレスになった身です。ホームレスの先輩に向かって後輩が声を荒げる異様な事態です。

避難所では、日に日に弱ってく人もいます。その差は歴然としていました。家族や家を失った精神的ダメージと、肉体的な衰えによるダメージのダブルです。いかに日頃から肉体と精神を鍛えておかないといけないかがよく分かります。

私は震災を経験し、生きてきたから心の底から言える言葉があります。

悲劇は一瞬にして起こる

明日は我が身


さっきまで何ともなかったことが、一瞬にして崩れ去ります。悲劇は忘れた頃にやってくるし、ほんの少しの時間差で助かることもあります。老後の問題やお金のことなんて、実は全然たいしたことないんです。生きているからこそ生まれる悩みです。

日本は地震大国です。まだまだ大きな地震が起こると予想されています。その備えはしっかりしておく必要があるでしょう。体も同じです。元気な体でないと、避難所へ行った時に弱るのが早いです。

それでも、もしもの時に役に立つ言葉があります。

生きてさえいれば、そのうちなんとかなる


今回の能登地方で被災されました方にはお見舞い申しあげます。一日も早い復興をお祈りします。明日は我が身と思いながら、今日何をすべきか考えて、行動することを心がけたいものです。


サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。