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人生の終着点を考えれば、限られた持ち時間を大切に生きる意欲が湧く

「人生の終着点」と聞いて、どんな印象を受けますか? なんだか考えさせられる言葉ですよね。命は始まった時から、終わりに向かって進んでいます。その「終わり」のことを「終着点」と言われると、あまりピンときません。なぜなんでしょう?

死という「人生の終着点」から日常の生活を見つめ直せば、逆に生きる意欲が湧いてくるケースが多いのです。『75歳からの生き方ノート』に掲載されている「リ・スターティングノート」を作成する場面においても、余命を意識することと、自分の持ち時間には制約があることを自覚しておくことが重要だと、私は考えています。

若い時は、朝が来て、毎日があることを当たり前のように思っています。「明日が来ないかもしれない」なんてことを考えたこともありません。しかし年を取るにつれて、あるいは何かのきっかけによって、考えるようになるものです。

私の場合は、阪神淡路大震災がとても大きなターニングポイントになりました。死に直面し、目の前が別世界になった現実を受け入れることができませんでした。そのような体験をすれば、誰でも自分の命が限りあることを知ることになるでしょう。

継続して自分の死と、限られた持ち時間に正面から向き合うことによって、「今」を大切に生きようという意欲が湧くのです。

「時間は有限である」という言葉を昔聞いたことがありますけど、そんなキッチリ綺麗な言葉で言われる方が、意外と実感が湧かないものです。不思議ですけど、もっと泥臭い言い方で、「いつかは死ぬんだよ」と言われた方が、ズキンと心に刺さったことがあります。


次の世代に何らかのものをバトンタッチしていくことは、自分の存在を確認できる機会にもなります。大げさなことや派手なことでなくても、何かを次世代につなげるという気持ちそのものが、生涯の「生きる力」になると私は信じています。

生きるということは、自分勝手ではいけないということですよね。インプットしたらアウトプットしなければなりません。「次世代へ繋ぐ」というのは、どんな世界でも、いつの時代でも繰り返し行われてきたことです。

「子孫を残す」というだけでも、すでに次世代へ命を繋いでいますよね。素晴らしいことです。ところが最近では結婚しない人が増え、それすらできない世の中になっています。ではどうしましょう?

著者は言います。「幼い頃に近所のオジサンたちがキャッチボールをして遊んでくれた思い出が忘れられず、地域活動のリーダーを務めて子どもたちの育成に携わる70代の男性Fさんがいます。毎晩、父親に本を読んでもらっていた思い出を持つ70代の女性Nさんは、地域の子どもたちに絵本の読み聞かせを続けています。」そう、こんな些細な事でいいんですよね。

ついつい有名人がすることを例に考えがちですが、一般人のどこにでもいるような人であれば、たった一人の人に何かを伝えるだけで役に立つこともあります。「一日一善」という言葉を思い出しました。些細な事から始めましょう。焦る必要はないと思いますから。

75歳からの生き方ノート

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