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「和賀英良」獄中からの手紙(1)   吉村刑事の回想

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【あらすじ】

2024年は映画「砂の器」公開からちょうど50年の節目。
ようやく殺人事件の全貌がここに明らかになる。

事件後に有罪判決を受け収監された犯人「和賀英良」は獄中で死亡。
当時捜査に当たった今西刑事も昨年ガンでこの世を去った。

若手だった吉村刑事は警察を退職し、この事件で知り合った「田所佐知子」と結婚。その後は政界に進出して華々しく活躍、そして引退。

ところが2023年末、和賀英良が獄中より今西刑事に送った手紙が、今西宅の屋根裏から発見された。

その手紙を読んだ今西の次男で作家の「今西遼平」が蒲田操車場殺人事件の再調査を開始する。

そして次々と驚くべき新事実を知ることとなる。

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【手紙公開に寄せて】

 吉村 弘 (元衆議院議員、県知事)

―略歴―
明治大学商学部卒業。西蒲田警察署刑事課を経て、田所重慶大臣秘書となり参議院議員に当選。後に衆議院議員を経て県知事に転身。三期を務め、現在は公職を引退し千葉県勝浦市に在住。

*  * * * * *

「宿命からの逃避」

昭和の怪事件として話題となった蒲田操車場殺人事件をご記憶かと思います。後にそのストーリーが映画化されるなど、広く世間に知れ渡った事件でございました。

私は当時、西蒲田警察署刑事課の巡査で当該事件の捜査担当であり、ルポライター今西遼平氏のご尊父である警視庁捜査一課の今西栄太郎氏と共に捜査を行いました。

事件解決後は栄太郎氏とは特に交流はなく、実行犯である和賀英良も懲役十五年の刑期を全うせずに獄死したと聞いております。

その後は縁ありまして政治の世界に足を踏み入れ、田所重喜第一秘書、参議院議員から衆議院議員を経た後、平成から令和に至るまで県知事職を務め、一昨年末にすべての政治活動から引退した次第です。

また私の妻であります佐知子もこの事件と関係があったことは先刻ご承知の通りで、そのことも十分に理解している所存ですが、義父である田所重喜も数年前に病を得て亡くなりまして、事件の詳細はますます霧の彼方となっております。

私も公職を引退してしばらく経ちますが、本年に入りまして、今西氏の訃報を風のたよりに聞きました。誠に残念に思っていたところ、思いがけなく今西氏のご子息である遼平氏から、父の遺品の中に和賀からの手紙があるとのご連絡をいただきました。

これらの手紙や資料等を読み返してみますと、和賀英良氏も我々もある大きな宿命の下にいたような気がしてなりません。

幼少時の父との放浪、そして亀嵩での三木謙一巡査との出会い、父親との別れから東京に出て音楽家としての華々しい活躍、三木との邂逅、そして蒲田操車場での事件があり、偶然にも捜査担当だった私も関係者でありました。

そういった出来事のすべてが宿命であり、そこから逃れようとしても、そうできなかったのは運命のいたずらが全てでありましょう。宿命からの逃避は叶わなかったわけでございます。

また私の人生もこの事件にかかわってから大きく変化し、田所氏令嬢である佐知子との結婚、その後の政界への進出は、当時の私には思いもよらない出来事でありました。

こういった宿命を受け入れ、その流れに逆らうことなく人生を歩んできた私ですが、これらの偶然とも思える出来事を必然に変えてしまう「未知の力」があったようにも思います。それは人知の及ばない神からの指示であったのかもしれません。

事件ののちに、このような展開があることも、その一つであるような気がいたします。そして関係者には釈然としない気持ち、ジグソーパズルのピースが数個足りないような心情がございます。

それは捜査員だけでなく、世間一般でこの出来事に関心をもった人たちや、このストーリーを基にした映画を見て涙を流した方々にもあることでしょう。

和賀英良が長いあいだの拘留の末、獄死したとのことを聞き及んだ時、私の心の中に浮かんだこと、それは彼が人間の罪や穢れを一手に引き受けて昇天されたイエス・キリストのようではないか、という思いでした。

はたして彼はイエス様のようによみがえるのか。それは肉体的な復活ではなく、この手紙によって人々の心の中に再びよみがえるのではないでしょうか。つまり手紙が発見されたのは必然である、そんな気がしてなりません。

私の妻であります佐知子も、事件後は釈然としないまま日々を過ごしていたようでしたが、十年ほど前に縁ありまして夫婦にて洗礼を受け、現在はクリスチャンとして慎ましく生活をしております。

今に至るまでこの事件を忘れることはありませんが、引退をした身といたしまして。これ以上はご容赦頂ければ幸いと存じます。改めまして、ここに謹んで鬼籍に入られた方々のご冥福をお祈りいたします。 

合掌

―追記― 
事件後の推移をわかりやすくするため、今西遼平氏から頂いた手紙文を添付いたします。ぜひ御一読いただき、公開に至る経緯をご理解いただければと存じます。

『砂の器』(C)1974・2005 松竹株式会社/橋本プロダクション

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