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「和賀英良」獄中からの手紙(47)  刑務所での会話  

―刑務所での会話―
 
刑務所では午後五時の夕食以降は自由時間となる。

夜九時の就寝時間までは布団に寝転がって本を読んだり、手紙を書くなど好きに過ごせる。希望をすれば囲碁、将棋などもできるが、他人の盤面を覗いたり。対局に口を出すことはできない。ケンカになることがあるからだ。

基本的に作業時間や移動、入浴中は私語(交談という)は禁止である。「運動」と呼ばれる休憩時間や昼休みは作業工場でも自由に私語ができる。

和賀はその運動中によく話をする男がいた。50歳を過ぎたくらいの頬のこけた眉毛がだらしなく伸びた男だった。お互いの罪状は刑務所内の「ランク付け」にかかわるのであまり話したがらないが、その男は傷害事件で服役しているようだった。

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「和賀さん、あの事件で有名な和賀さんだよね、オレあんた知ってるよ」
男は低い声で話しかけてきた。

和賀の顔を週刊誌などで知っているらしい。

「オレ、ここに来る前にシャバで映画見たんだよ、あれ、なんていったっけな、題名が出てこない?でもいい映画だった。最後はみんな泣いてたよ」

和賀は自分の起こした事件が映画になっていることは知っていたが、その中で自分がどう描かれているのか興味があった。

「親子で放浪してたのは、本当なのか?ありゃ辛かっただろうな」

和賀は興味がなさそうなふりをして答えた。

「ああ、本当だよ。山陰から瀬戸内あたりをずっと父親と歩いてた」

「おおそうかぁ、あの雪が深い冬の放浪場面で映画館中がすすり泣くんだよ、あと父親があんたと別れて療養所に送られるところ、亀嵩の派出所であんたと三木の奥さんが涙で見送る場面、そして父親を追いかけて線路を走って駅に行くんだ。後ろにオーケストラの音楽と、あんたが弾くピアノが鳴って、もうみんな耐え切れなくて泣くんだよ」

和賀は自分がまったくピアノが弾けないことを言えなかった。ここまで来て見栄を張るつもりもないが、それを言うと映画を見て感動してくれた人に悪いような気がする。

「そういえばあんたの婚約者、その後は蒲田署の刑事と結婚したらしいよ、これって週刊誌に書いてあったけど、あんたそれ知ってるのか?」

和賀はそれを聞いて少し驚いたが、佐知子がどんな形でも幸せになってくれれば良いと思った。自分はほとんどすべてのものを失ったが、彼女はなにも失う理由はない。

「それがよ、その刑事はあんたの事件の担当だったらしいよ、そのあと大臣だった田所の秘書になったそうで、ちょうど俺が捕まる前に参議院に立候補して当選してたよ」

和賀は記憶がないその刑事のことを想像した。たぶん田所の目に留まるくらいなので優秀なのだろう。佐知子もその宿命の流れに乗って幸せを手に入れたのに違いない。

和賀は男に質問をした。

「ちょっと聞くけど、蒲田操車場の事件現場って映画だとどうなってる?」

男はすぐに答えた。

「いや、あんたの前ではちょっと言いにくいけど…殺しの場面はないんだよ。朝方の暗いうちに操車場で死体が見つかって大騒ぎになるところだけ」

和賀は気にすることはない、と男に告げてから質問を続けた。

「じゃ、だれか共犯者がいるとか、背後で誰かが自分を動かしているとか、そういったストーリーは出てこないのかな?」

「それは無かったね、あの三木ってやつが急に伊勢からやってきて、おまえの父親は生きている、だから絶対に会うべきだ、とかそんな話だけだったような気がする」

「それから親子で放浪の場面になるわけ?」

「そうだよ、だからあんまり事件のことが出てこないし、あの映画を見ただけだと、あんたが三木って男を殺ったってことは…はっきりわからないと思うよ。最後の演奏会の場面で刑事が二人、ああ、そのうちの一人があんたの婚約者だった女と結婚する蒲田署の若い刑事だよ。それで逮捕状持って舞台袖にいるんだけど、あんたが逮捕される場面もないんだよ」

和賀はどんな映画なのか、ますますわからなくなってきた。

「その主任の刑事が本署の捜査会議で事件のあらすじを話すんだけど、そのとき父と子で放浪していたことや、あんたが父親との再会を果たせなかったことを署員に説明しながら、思わず感極まって涙する場面があるんだよ、そのときに映画館中にすすり泣きが聞こえるんだ。あの役者さんの名演技だよなぁ、あれは本当に泣いたんだと思うよ」

和賀はその話を聞きながら、事件の裏にある複雑な真実とは別に、その映画が自分の持って生まれた運命を叙情的に表現してくれているような気がしてなんとなく嬉しかった。

「なあ、あんた、ここにピアノがあれば弾いてもらえるのになぁ、あんたのピアノすごく上手で、曲もすごくモダンで、ロマンチックでいい曲だったよ」

和賀は、映画に出ている「和賀英良」を演じている役者と、目の前にいる拘留中の自分は違う、と説明しようとしたが、その映画を見た人が感じた親子の悲しいストーリーや、心に響く情景を否定するのは申し訳ない気がした。

和賀は思わず質問した。

「その壮大なピアノ協奏曲って、なんていう題名だった?」

男は首を縦に振りながらすぐに答えた。

「ピアノと管弦楽のための組曲『宿命』…だったかな」

和賀はその曲名を聞いて、自分の過去の辛酸をなめた父との放浪と、華やかだった音楽界での活躍を思い出していた。

そして、ゆっくりと立ち上がってつぶやいた。

「あぁ宿命…宿命か……宿命」


和賀は「宿命、宿命」と繰り返しつぶやいてから急に真顔になった。

そしておもむろに虚空に向かって強く言い放った。
 

「犯人は俺じゃない!」


眉毛の伸びた男は口をぽかんと開けたまま、和賀の顔を見つめていた。

 
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和賀英良はいまに至って気がついた
なぜ烏丸は蒲田操車場に来たのか?
田所と教授そして佐知子は謀略をめぐらせたのか

烏丸教授は自分の女性関係に嫉妬していたのか?
刑務所に面会にも来ないのはなぜなのか

佐知子との結婚はつまり教授との絶縁
烏丸は「これで本当の兄弟になれる」と言った
教授と自分は殺人の共犯者になったという意味なのか?

そう言いながら自分を単独の殺人犯に仕立てたのではないのか
確かに現場では烏丸だけがしっかりと手袋をしていた。

なぜ一人だけ用意周到なのか?
烏丸教授と田所重喜の本当の関係は隠された「衆道」なのか?
俺がしたことはただの死体遺棄ではないのか

自分だけが人の罪穢れを背負って刑務所にいる
それを選んだのは「大祓使徒」である自分の宿命なのか
結局は父の病のことを皆で忌み嫌ったのか

神さま……神さま、おしえてください 

和賀の中で鳴り始めた疑惑という名の重低音。
それはパイプオルガンの足鍵盤のように地の底に響き始めていた。

三木謙一と本浦千代吉 © 1974 松竹株式会社/橋本プロダクション

第48話:https://note.com/ryohei_imanishi/n/n404ad3ff699d

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