今西 遼平

作家、ルポライターの今西 遼平(いまにしりょうへい)です。 元警視庁捜査一課の巡査部長…

今西 遼平

作家、ルポライターの今西 遼平(いまにしりょうへい)です。 元警視庁捜査一課の巡査部長「今西栄太郎」の次男として、 映画「砂の器」でよく知られた「国鉄蒲田操車場殺人事件」の犯人「和賀英良」のその後を追っています。

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映画 「砂の器」その後はどうなった? 後日譚として、続編を書く。

【連載】 「和賀英良」獄中からの手紙 がスタートしました。 2024年、それは映画「砂の器」公開から50年の節目。 ようやくその事件の全貌がここに明らかになる。 有罪判決を受け収監された犯人「和賀英良」は獄中で死亡。 当時捜査に当たった今西刑事も昨年ガンでこの世を去った。 若手だった吉村刑事は警察を退職。後に事件で知り合った「田所佐知子」と結婚、政界に進出して華々しく活躍、そして引退。 ところが、和賀英良が獄中より今西刑事に送った手紙が、昨年末に今西宅の屋根裏から発

    • 「和賀英良」獄中からの手紙(49)   和賀英良、最後の手紙 【最終回】

      ―和賀英良、最後の手紙― 今西 栄太郎様 桜の咲く季節となりました。 引き続きご健勝のことと拝察いたします。 昨年の夏以来、体調が思わしくなく大変ご無沙汰しておりました。今年に入りまして施設の医療所のほうにて検査を受けたところ、あまり好ましくない病があるようで少し塞いでおります。 今までお返事はいただけておりませんが、ご一瞥いただいていることを信じております。またそうなっていただけることを願っておりました。しかしながらこれが最後のお手紙となるような気がいたします。

      • 「和賀英良」獄中からの手紙(48)  今西の書いた手紙 

        ―今西の書いた手紙―(和賀には未発送、下書きかと思われる) 和賀英良殿 裁判も終わり刑が確定、判決がでた時点で簡単には再審はできないのです。もしあなたがいう「協力者」という第三者がいたとしても。 その協力者があなたの知っている人なのか、そうでないかなど、あなたの説明が必要なのですが、協力者がいるという説明だけでは、なんともしようがありません。 再審請求は、事実認定の誤りを理由に、確定した裁判をやり直す手続きです。つまり確定判決に重大な事実誤認があることが発見され、これ

        • 「和賀英良」獄中からの手紙(47)  刑務所での会話  

          ―刑務所での会話― 刑務所では午後五時の夕食以降は自由時間となる。 夜九時の就寝時間までは布団に寝転がって本を読んだり、手紙を書くなど好きに過ごせる。希望をすれば囲碁、将棋などもできるが、他人の盤面を覗いたり。対局に口を出すことはできない。ケンカになることがあるからだ。 基本的に作業時間や移動、入浴中は私語(交談という)は禁止である。「運動」と呼ばれる休憩時間や昼休みは作業工場でも自由に私語ができる。 和賀はその運動中によく話をする男がいた。50歳を過ぎたくらいの頬

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          「和賀英良」獄中からの手紙(46)  宿命への入り口 

          ―宿命への入り口― 約束した時間に田所邸に着いた吉村は、すぐに応接室に通された。 田所はソファーに座りながら愛想よく吉村に手招きをした。 「どうも、よく来てくれたね、まあこっちに座って」 吉村は田所の正面に立ち、すぐに先日の銀座のギャラリーでの非礼を詫びながら、改めて名刺を差し出した。 「キミ、なにか飲むかね」 「いや、結構です」 「では水でも持ってこさせよう」 「いや、結構です」 応接室には二人以外に家政婦がドア前に立っていたが、その会話を聞いて下がった。 田所

          「和賀英良」獄中からの手紙(46)  宿命への入り口 

          「和賀英良」獄中からの手紙(45)  ロサンゼルスの奇跡

          ―ロサンゼルスの奇跡― 夏も終わろうとしていた日曜日の午後、吉村は高校の同窓会に出席するため目黒駅から坂を下った和風宴会場で有名なホテルに向かっていた。 吉村の通っていた高校は目黒と蒲田の間にある武蔵小山駅のすぐ目の前にあった。高校のうたい文句は「日本で駅から一番近い高校」であり、駅から十分でなく「駅から十歩」。駅改札口を挟んですぐに校門がある。そんな東京の伝統ある都立高校は、都内でも有数の進学校であった。 久しぶりに会う友人たちは様々な大学へ進学し、その後の職種も違っ

          「和賀英良」獄中からの手紙(45)  ロサンゼルスの奇跡

          「和賀英良」獄中からの手紙(44)  ユタの予言  

          ―泡盛古酒とユタの予言― 銀座のギャラリーで田所重喜と出会った数日後、吉村は田所の秘書にアポイントを取り、等々力にある私邸に向かった。 しかし、その日に田所邸で起こったことは、自分にとってまったく予期していないことであり、理性的な判断を信条としている吉村にとってはまったく理解できないことだった。 --------------------------------------------------------- 吉村は帰路の途中で蒲田の駅前にあるなじみの居酒屋に寄り、小

          「和賀英良」獄中からの手紙(44)  ユタの予言  

          「和賀英良」獄中からの手紙(43)  ギャラリーでの出会い 

          ―佐知子の個展― 銀座の「ギャラリー古藤」はすずらん通りの中ほどにあった。 外に面したガラス窓には車に貼るようなやや暗いフィルムが張ってあり、外からは中の様子があまり見えない。 ギャラリーらしくないブロンズ色のアルミドアをあけると、そこは十坪ほどの空間があり、中央にいくつかあるデコラ張りの小テーブルの上に、作品がさりげなく並べてあった。 田所佐知子は東京藝大彫刻科を卒業後は、等々力の実家で小品などを作って懇意の方々に見てもらっていたが、その人たちに勧められて銀座のギャ

          「和賀英良」獄中からの手紙(43)  ギャラリーでの出会い 

          「和賀英良」獄中からの手紙(42)  丹下の憂い

          ー丹下恭二の憂いー 「ねえあなた、裕太の学費って振り込んでくれたんですか?」 丹下は夕食後に突然妻に問われて思い出した。そうだ、先週も言われたことをすっかり忘れていた。息子の大学の学費の納入は今月の末までだった。 「前期分の振り込み、あなたのほうから必ずお願いしますね」 妻の百合子は、汚れた食器を洗いながら突き放すように言った。手元の茶碗と他の食器とぶつかる音が「ガチャガチャ」と大きな音をたてていた。 --------------------------------

          「和賀英良」獄中からの手紙(42)  丹下の憂い

          「和賀英良」獄中からの手紙(41)  吉村の推理

          ―吉村の推理― 蒲田操車場の事件では和賀英良が殺人罪で逮捕され裁判の結果、懲役15年の刑が確定し、控訴せず服役することとなった。 和賀は罪状を認め、三木謙一の殺害は一人で実行したこと、そしてその動機は自分の出自が世の中に公表されることを恐れてのことだと自供した。 西蒲田警察署刑事課巡査の吉村弘は、なにか釈然としない面持ちで毎日を過ごしていた。吉村は今日も一人で酒を飲んで十二時過ぎに布団に入ったが、まったくもって寝付けなかった。 --------------------

          「和賀英良」獄中からの手紙(41)  吉村の推理

          「和賀英良」獄中からの手紙(40)  紙吹雪の女  

          ―理恵子の役割― 小田急線の百合ヶ丘駅に近い高木理恵子の家は、踏切の音がはっきりと聞こえるほど線路の近くにあって、築四十年あまりの西日が当たる古いモルタル壁のアパートだった。 蒲田の操車場近くで盗んだ自転車で、百合ヶ丘まで二時間ほど走った和賀は、近くに自転車を打ち捨てて、錆びた鉄製の階段を上り二階にある理恵子の部屋に転がり込んだ。 途中で警官に出くわさなかったのは幸運だった。三木を始末したという興奮はとっくに冷め、自転車を必死に漕いでいるうちにその高揚感は疲労へと代わっ

          「和賀英良」獄中からの手紙(40)  紙吹雪の女  

          「和賀英良」獄中からの手紙(39)  パナマ帽の協力者 

          ―パナマ帽の協力者― 蒸し暑い夏の夜。時間は深夜十二時になろうとしていた。蒲田のトリスバーから出た和賀英良と三木謙一は操車場のほうに二人で歩き始めた。 この時間になると操車場周辺はまったく人の気配がなく、そこは遠くで犬が吠えている鳴き声がかすかに聞こえる、不気味な闇に支配されたような無機的な場所であった。 和賀英良は彼の暗い過去を知っている狡猾な老人、三木謙一を残酷な結末へと導くつもりだった。 -------------------------------------

          「和賀英良」獄中からの手紙(39)  パナマ帽の協力者 

          「和賀英良」獄中からの手紙(38)  京都・亀岡での生活  

          少年時代のお話になりますが、少し書いてみます。 長くなりますがお付き合いください。 ―京都・亀岡での生活― 大阪での空襲のあと「和賀英良」という名前を戸籍上使うようになった自分は、ある篤志家の援助で京都府亀岡市の邸宅に身を寄せていました。 その篤志家の家には子供がおらず、聞くところによると戦時中に一人息子が病死されていたようで、孤児として各地を彷徨っていた私を家に置いてくれたのです。 この時代はそういった境遇の子供も多く、私が通った学校でも同じような事情で、住んでいる

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          「和賀英良」獄中からの手紙(37)  秘密の広場  

          ―上野公園は「好色の森」― しばらくご無沙汰しております。 今日は少し上野公園のことを書いてみます。 まったくの雑文でございますので何卒ご容赦ください。 烏丸先生と漢の契りを交わしてから、上野周辺の話をよくするようになりました。昼にご飯を食べに行くのは上野の公園の中にある西洋料理の精養軒、ゆっくり話したいときは、東京文化会館の二階にあるその支店で「チャップスイ」という中華丼のようなものをよく食べました。 いまだになぜその名前が「チャップスイ」なのかよくわかりませんが、自

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          「和賀英良」獄中からの手紙(36)  田島藍子との対話 

          ■ 田島藍子さんとの対談【世田谷区太子堂田島家にて】 ◇初めまして、私は『和賀英良からの手紙』という本を執筆中の今西遼平と申します。本日はよろしくお願いいたします。 「こちらこそよろしくお願いいたします」 ◇事前にご説明しておりますが、和賀英良宛の田島さんのお手紙が先日発見されました。まずは和賀氏とのご関係を教えていただけないでしょうか。 「はい、私は和賀先生の大ファンでした。そのきっかけは国鉄※現在のJR(筆者注)の食堂車で働いていた時に偶然に車内で先生たちのヌーボー

          「和賀英良」獄中からの手紙(36)  田島藍子との対話 

          「和賀英良」獄中からの手紙(35)  しずのおだまき 

          ―しずのおだまき― 私が烏丸教授と知り合ったのは東京のある場所、正確に言うと上野の会員制のバーでした。「あーとのーと」というちょっと変わった名前の店で、芸術家が集まるという触れ込みの、上野というより元浅草に近い東上野のゲイバーでした。 こういう上野界隈や会員制というキーワード、そういったところに踏み込む輩たちということで、すぐに想像できる方も多いと思いますが、私は実際のところ「男色」があるのです。 初めての店で、緊張と期待が入り混じった気持ちであたりを見回しながら戸惑っ

          「和賀英良」獄中からの手紙(35)  しずのおだまき