「和賀英良」獄中からの手紙(46) 宿命への入り口
―宿命への入り口―
約束した時間に田所邸に着いた吉村は、すぐに応接室に通された。
田所はソファーに座りながら愛想よく吉村に手招きをした。
「どうも、よく来てくれたね、まあこっちに座って」
吉村は田所の正面に立ち、すぐに先日の銀座のギャラリーでの非礼を詫びながら、改めて名刺を差し出した。
「キミ、なにか飲むかね」
「いや、結構です」
「では水でも持ってこさせよう」
「いや、結構です」
応接室には二人以外に家政婦がドア前に立っていたが、その会話を聞いて下がった。
田所は吉村に椅子を勧めながらこう言った。
「このあいだ銀座のギャラリーで会ってから、キミのことを少し調べさせてもらったよ、大学は明治の商学部で、蒲田署のほうでは優秀な刑事らしいね」
吉村はソファーに浅く腰を下ろした。今日は田所にはっきり直接的な言葉で問いかけることを決意して、真正面から田所に対峙するつもりだった。
今日はすぐには引き下がらない。そしてギャラリーで田所が突然言い放った思いがけない言葉を思い出していた。
「キミ、政治に興味はないかね」
その問いかけの真意も聞いてみたかった。
しばらく世間話のような会話や娘の佐知子の作品について話をしたあと、互いに無言があった刹那、吉村は思い切って問いかけた。
「田所先生、三木謙一の殺害を指示したのはあなたではないのでしょうか」
吉村は怒りを買うのは覚悟の上で、前置きもなく田所に面と向かって言った。少年のような純粋な目をした若い刑事に事件の核心を問われた田所は、そのように急に詰問されても、妙に上機嫌であった。
「キミ、威勢がいいね、そういうハッキリとモノを言う人は珍しいな」
「そういう人、ボクは好きなんだよ」
そして「ハハァ」と高らかに笑ってから、左手の指にはさんだ両切りの煙草に火をつけた。
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吉村の推理はこうだ。
田所は和賀の背後にいて、自分の娘である佐知子の婚約者の過去を知る「三木謙一」の殺害を画策した。それは捜査上自殺とされた国鉄総裁であった下山定則の鉄道轢死体事件、俗にいう「下山事件」のプロットに似ている。
しかし蒲田操車場事件は自殺を装ったものではなく「事故」と思わせるやり方だ。三木謙一はトリスバーで少量の睡眠薬を盛られ、前後不覚となり蒲田操車場に入り込み線路上で寝てしまう。
そして線路上にて始発の列車に轢き殺される。その現場検証では「酔っ払いによくある事故」とされる、そんなストーリーであろう。
しかし三木の体は早朝に機関区の乗務員により、撲殺された状態で発見されてしまった。これは全くの想定外だったが、それでも事件は迷宮入りしそうであった。
その間に田所は和賀の出自や父親の病気、愛人の存在を知り、このままでは佐知子の将来がない。そのため翻って和賀が単独犯として警察に逮捕されるよう、今西刑事を含めた捜査員をミスリードし、和賀英良を逮捕させ事件の収束を謀ったのではないか。
それらのミスリードを実際に仕掛けたのは、捜査一課にいる田所の手先である口ヒゲで長髪の「丹下某」。実行犯である和賀の現場での協力者は不明だが、たぶんその共犯者はすでに海外にでも逃亡したであろう。
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普段は他人をいぶかしげに威嚇して、睨みつけるような鋭い目つきの田所だったが、今日はまるでわが子を見るような柔和な目で吉村を見つめていた。
まるで中学生が大人に喧嘩を売ったようであった吉村だが、そんな田所のまなざし見て吉村は奇妙な感覚に襲われていた。それはデジャビューともいうべき既視感だった。
それは幼いころからやっていた剣道の試合で、壮絶に戦った後に防具の面を外したとき、相手の目が負けた悔しさや自分への不甲斐なさにあふれているかと思いきや、なにか充足感のある柔和な笑顔にあふれていたこと。
そして、その清涼感とともに相手が同性であるにもかかわらず、たとえ汗にまみれた手での握手や力強い抱擁を求められても、決して断らないであろう自分を感じた時。そんな既視感のなかに、吉村は田所の男気を強く感じ取った。
田所は諭すように言った。
「警察の仕事は好きかね、もうそろそろと考えているのではないかな」
吉村は心の中を見透かされて動揺した。
「実はね、さっきも言ったが、このあいだ銀座のギャラリーで会ったあと、佐知子から電話があってね、蒲田署の刑事さんのこと調べて欲しいと。
いや、これは『あの刑事が怪しい』ということではなく、なにか君に個人的に興味があるらしいんだよ」
吉村は、ギャラリーで会った佐和子のことを考えていた。自分の感覚からすると、初対面なのに事件の関係者と刑事という間柄ではない奇妙な親近感、アーティストが持っているなにか純粋というか、妙に間が抜けているような感性と魅力が彼女にあることは確かだった。
変な話だが、会ったその場で「結婚しないか」といったら「あら、嬉しい!いいですよ」と言ってくれるような突き抜け感があった。
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田所は自分の直感を信じていた。
将来を見切る能力というか、人間の持つ縁がどう絡まっていくのかが手に取るように見えてしまう。そんな卓越した眼力が昔からあった。
田所は少しゆっくり、温かい声で吉村に話しかけた。
「いま至急で自分の秘書を探している」
「君が来てくれると嬉しいが、良かったらどうかね」
「もちろん君以外に声をかけるつもりはないよ」
「私を信じるかどうか、それだけだね」
―この男は必ずモノになる。自分の秘書になり、その後政界に入る。佐知子と結婚し孫もできるだろう。しっかりとした自分の後継者になる。そして事件のことも封印される。
田所は自分のオファーを即断せずに「ありがとうございます。持ち帰って十分に検討させていただきましてから、改めてお返事いたします」という人間をまったく信用していなかった。そういった人は計算高く、加えて用心深い人間だということをよく知っているからだ。
吉村は蒲田の事件のことがまだ気になっていたが、それと同時に捜査の継続や署内の雑事にもほとほと疲れていた。そして友人の片山が不可思議な事故から会社を辞めてキリスト教に帰依し、ガーディナーになった話を思い出していた。
なぜ急に道が開けるのか?
今までの俺は理詰めで人生を考えていた。
岐路に立っている自分は荒波のなかの小舟。
自分で舵を切ってもどうなるものでもあるまい。
人間の意志とはなんなのか?
それは耳元でそっとささやく神様の声。
その声に身を委ねてみようか。
吉村は自分の体が急に熱くなり鼓動が速くなるのを感じた。
警察の仕事は自分にとって天職なのか。
いや違う、たった今それが分かった。
田所のオファーは自分に響いた。
そして響きながら心の深淵に届いた。
佐知子と手を取り合っているビジョンも白昼夢のように今そこに見えた。
直感というか「神の啓示」に近い決断だった。
吉村は自分の体が輝く光に包まれていることを感じていた。
そして急に力強い言葉が前に出た。
「ありがとうございます。ぜひやらせてください!」
自分が言ったというより、なにかが吉村に言わせていた。
「おお!そうか!即断してくれたか!ありがとう、僕はとっても嬉しいよ」
田所は急に子供のような満面の笑顔になった。そして急に立ち上がって電話のそばに立って言った。
「佐知子にもいますぐ報告するよ、期待していた通りになったってね!」
田所は誕生日プレゼントをもらった子供のようにはしゃいでいた。
第47話:https://note.com/ryohei_imanishi/n/ne3d6e8109d15
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