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「和賀英良」獄中からの手紙(15)   親子の宿命

―真夜中のご神託―

広島県三原市の神社で宮司様から、私たちが放浪しさすらっているのは、人々の禍事・罪・穢れを受け取り、さすらって消滅させる、そんな役割があると聞かされた、一週間くらい後だったかと思います。

場所はよく覚えていませんが、すこし山間の小さな神社の軒下で寝ることにいたしました。その日は残暑も厳しく、二人とも精神も肉体共に極限状態になっておりました。へとへとになってたどり着いた場所でしたが、案外と夜になって涼しくなり、お互いに体を寄せ合って、ぐっすりと眠りこけておりました。

たぶん俗にいう丑三つ時だったかと思います。なにか気配を感じて目を覚ましました。この表現があっているのかわかりませんが、目を覚ましたというより意識が目覚めて、体は寝ている、あるいは金縛りにあったような感じなのです。

耳鳴りというよりなにかお寺の鐘楼がゴーンと鳴っているかのような低音が頭の中に響いて、その地響きのような音の上に、何者かの声が高らかに聞こえました。

「おぬしらは大祓使徒となれ…」
「すべての人の罪穢れを集めよ」
「それを山川海に流して消し去るのだ!」

その声ははっきりとした口調ですが、なにかゆっくりとメロディーのように聞こえるのです。

そしてこの「おおはらえしと」という言葉の意味がわからないのです。

「おおはらえ」はたぶん神社のなかで唱えられているお祓いの言葉だとわかりましたが、「しと」がよくわかりません。

おおはらえは「大祓詞(おおはらえのことば)」で、神社でよく唱えられている長い祝詞(のりと)だと思いますが、なんとなく覚えておりますが全部は知りません。短いほうの「祓詞=はらえことば」は知っております。

この声が聞こえている間、自分は必死に目を開けてなにか行者のような人がいるのか、はたまた天狗の神様がお姿を現したのか見ようとしましたが、よく見えません。

三原の宮司様に言われたことを自分が思い出して、夢に見ているのか?でもこの声ははっきりと自分の頭の中に響いている。動かない体となにか低音で縛られたような状態のなか、また深い眠りに落ちてしまいました。昼間の疲れに翻弄された真夜中の出来事でございます。

物心ついたときに本で調べたところ「しと」というのはキリスト教や仏教で言うところの「使徒」だとわかりました。

使徒は、一般的には「宗教的な使命を持った者」「特定の宗教的なメッセージを伝える者」といった意味で使用される日本語です。

※筆者注
「使徒」この言葉は、主にキリスト教や仏教の文脈で使われます。


キリスト教の文脈では、「使徒」とはイエス・キリストの十二人の弟子のことであり、彼らはキリストの教えを広めるために派遣された人々を指します。その使徒はキリストの死後、福音を伝えるために世界中を巡りました。
英語では「エバンジェリスト」と言います。

一方、仏教の文脈では、「使徒」とは仏教の教えを広めるために活動する人々を指すことがあります。これは特に、釈迦(仏陀)の教えを信じ、それを他の人々に伝える役割を果たした人々を指す場合です。

使徒という言葉は、宗教的な使命を帯びた特定の人物やグループを指すために使用されることが一般的ですが、場合によっては他の文脈でも使用されることがあります。

和賀が聞いた「大祓使徒=おおはらえしと」という言葉は、大いなる禍事・罪・穢れを引き受け、お祓いをおこなう使命を持った、「祓戸の大神たちの代行者」のことではないか思います。

これはまた機会があるときに説明いたしますが、この大祓使徒の神託を告げたのは「艮の金神(うしとらのこんじん)」という神様だったようです。

なぜ自分がその宗教的な役割を与えられたのでしょうか?
これは私たち親子の運命であり宿命でもあったのでしょうか?

ご神託があったその日から、私たちの放浪は「巡礼への旅」に変わっていったのです。

第16話:https://note.com/ryohei_imanishi/n/nf7fceacb4e67

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