「和賀英良」獄中からの手紙(29) キスの言い訳
烏丸教授のマンションは藝大にほど近い根津にあり、坂に沿った低層の建物は周囲の森と調和してモダンなたたずまいを見せていた。
近くには菓子舗の「うさぎや」や、藝大生の好きな台湾デザートのお店「愛玉子(オーギョーチー)」大正期の昔からある「カヤバ珈琲」など、下町の情緒があふれる、江戸の風情を感じさせる場所であった。
和賀はその洒落たマンションにたびたび足を運び、教授の手作りの料理を食べながら、二人の時間をゆったりと過ごしていた。
ある夏の夜、烏丸がキッチンでブロッコリー切り分けながら、和賀に話しかけてきた。烏丸は以前に和賀が外国の料理をあまり知らないと言ったことから、今日も留学中に腕を磨いたイタリア料理を和賀に振舞っている。
「アルデンテ」など和賀が聞いたことのない言葉でスパゲティーの茹で方を説明するときの烏丸は、まるで長年連れ添った年上の妻のようでもあった。
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■ 車のアンテナに飛び込んできたもの
「ねえ英良、これはつい最近の話なんだけど、聞いてくれる」
「はい先生、喜んで聞きますよ」
「大学のまだ助教授だったころ、大学から少し遠いところに住んでいたんで、車で通っていたんだよ。それでね、夜帰るときに上野の寛永寺の前あたりの交差点で信号が赤なんで停まってたら、車の真上の天井から大きな音が聞こえたのよ」
「カチッ!」っていうなにかが車に当たったような音だっんだ。
自分の車はモーリスミニなので運転している自分の耳元と天井が近いから、その音はすごくハッキリ聞こえたんだよ。まあ石かなんかが当たったんだろう、ってその時は思ったんだ。
それで三十分くらいして家について車庫に入れたときに、そういえばさっきの石で傷でもついたかな、と思って外の天井の上のアンテナあたりを見たら、びっくりしたんだよ。
「凹んでたんですか?」
「いや、もう絶句したよ、天井の前のほうの真ん中にラジオのアンテナが後ろに向かって飛び出てるんだけど……そのアンテナに妙なものが挟まっているんだよ」
「え、なにがあったんですか?」
「数珠(じゅず)がアンテナにスポッってはまってるんだよ!」
「え?数珠って、念仏を唱えるときの?」
「そうなんだよ、おもわずアンテナからそれを抜いて、よく見てみたら、水晶の数珠で紫の紐が入ってる小さめの、手首にはめるやつかな?ちゃんとしたものだったよ」
「その寛永寺から先って、どこにも寄らなかったんですよね?」
「もちろんだよ、そのあとはほとんど停まらずに家に帰ってきた」
「初めから入ってたとか?」
「それは無いね、大学で乗るときにアンテナは見た、というか乗る前に自分で少し上に引っぱったから何もなかったことは間違いないね」
「自分の車のアンテナって真上に立ってるんじゃなくて、後ろに流れるように付いているから、それに向かって数珠が入るっていうのは考えられない」
「それでどうしたんですか?」
「しばらくして、寛永寺にその数珠を持って行って事情を話したんだ。
数珠を見た僧侶はこう言ったんだよ」
「これは紫水晶のたいへん高価なものでございます。そういったご事情でしたら。こちらでお引き取りしましょうか?」って。
自分としては気味が悪いので「ぜひお願いいたします」
といって些少のお金と一緒にお寺さんに渡してきた。
「空から降ってきた高価な数珠ってなんか不思議ですね」
「でもね、そのあとすごく良いことが二つあったんだよ」
烏丸は茹で上がったブロッコリーをザルに移しながらニヤリとして言った。
「ひとつ目は大学で教授に昇格したことだね」
「ふたつ目は…?」
「ふたつ目はね……」
「英良に出会ったことだよ!」
先生は嬉しそうな顔をしてキスをしてきました。
※急に烏丸先生のことを思いだしたのでメモとして書いておきます。
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第30話:https://note.com/ryohei_imanishi/n/n4e7b1c4ab579
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