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「礼儀正しく時間を奪う」システムを静かに変えよう

ロッシーです。

年末年始のご挨拶って必要なのでしょうか。

「年末のご挨拶に参りたいと思いまして、ご都合の良い日時を教えていただけますでしょうか。」

という電話が何本も来ます。

「いや、別に挨拶来なくてい~から。」

と、喉元まで出かかっているのですが、そこは私もザ・サラリーマン。きちんと日程調整しますよ、ハイ。

でも、これって挨拶に来るほうも来られるほうも、本当に必要だと思ってやっているのでしょうか?

「これまでやってきたから、とりあえずやり続けている」

それだけのことではないでしょうか。

挨拶周りに追われ、「いや~忙しい忙しい」と言っている人を見ると、本当に不思議でなりません。自分から忙しくしているわけですから。


この年末年始の挨拶というのは、澤円氏(日本マイクロソフト株式会社元業務執行役員)が言うところの「礼儀正しく時間を奪う」だと思います。

これを私はこう表現します。「礼儀正しく時間を奪う」。礼儀は正しいんです。良かれと思ってやっているんです。ですが、結果的に裁量能力があるはずの人の一番貴重な時間というリソースが奪われていってしまうんですね。

※上記のリンクから澤円氏の記事を読めますので、ぜひ一読をおすすめします。


さて、年末年始の挨拶について、私のようなことを言うと、決まって返ってくるのが、

「こういうことが大事なんだよ。無駄と思うかもしれないけれど、無駄じゃないんだよ。」

みたいなセリフ。

皆さんの会社にもいませんか?こういう「無駄じゃないんだよ」理論を振りかざす人。

「無駄じゃないんだよ」理論によれば、無駄というものは世の中に存在しないことになります。

確かに、万物斉同的な立ち位置であればそうでしょう。善も悪もない。美と醜もない。生も死もない。この世の中は全てが同じになります。

ただ、ビジネスの現場は哲学を追求する場ではありません。企業活動において、何が無駄なのかどうかの判断は必須です。そうでなければ意思決定というものはできません。

「うんうん。なんでも無駄はないんだから、その案件すすめちゃいなよ。その設備投資もやっちゃいなよ。ボーナスも去年の3倍支給しちゃいなよ。」

なんていう経営者がいたら、倒産間違いなしですよね(笑)。

「無駄じゃないんだよ」理論の問題点は、何が無駄で何が無駄でないのかの基準がテキトーということです。その理論を主張する人の感覚や嗜好でこれは無駄じゃないと決められてしまうからです。


まあ、色々と書きましたが、年末年始の挨拶だけでなく、年賀状や忘年会などもそうですが、こういうものはネットワーク効果によりなかなか無くなることはないのでしょうね。

いったんそれが始まり、ネットワーク効果が増幅していくと、やめたくてもやめることができなくなってしまう。そして、やめようとするとそれなりの社会的ペナルティを甘受しなければならなくなる。そういう構造に私達は囚われていると思います。

かつては、そのような構造は、集団で生き延びていくためにメリットになっていたのでしょう。

しかし、時代が変わりその構造がメリットではなくなり、私達を縛り付けるだけのシステムに変貌してしまっているのだとすれば、それを変える必要があるのではないでしょうか。

ニュースを見ていると、そういう変化が徐々に始まっているようにも見えます。


いきなりは無理かもしれませんが、各自がサイレントなかたちで、なるべく年末年始の挨拶を差し控えるのがよいのかもしれません。

静かに世の中を変えていきましょう。


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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