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【書評】三島由紀夫『豊饒の海』を読んだら阿頼耶識について知りたくなった

ロッシーです。

以前、三島由紀夫の『豊饒の海』の書評を記事にしました。

第3巻『暁の寺』では、唯識思想に関する記載が出てきます。

「ん?阿頼耶識(あらやしき)?なんじゃそりゃ?」

というレベルの知識しかなかったので、ワケが分かりませんでした(それでも面白く読めたのは、さすが三島由紀夫の筆力!と思います)。

ただ、もっとこの唯識思想、阿頼耶識について理解できていれば、より深く『豊饒の海』を味わうことができたのだろうなぁという思いはありました。

ということで、まずは新書から入ろうと考え、横山紘一氏の『阿頼耶識の発見』を読みました。

なかなか面白かったです。

ポイントをまとめると、

阿頼耶識というのは、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の八識における第8番目のものであり、最も深〜いところにあるとのこと。

ふむふむ。

そして、唯識思想によれば、

  • 唯(た) だ「識る」というはたらきがあるのみ

  • 心の外界には物は存在しない

  • 一人一宇宙である

  • 自分など存在しない

ということらしい。

かなり端折ってしまうとこういうことのようです。


う~む。

頭では「なるほどそういうものなのか」と理解はできるのですが、まだまだ腹落ちはしていません。

ただ、この世が仮想世界という考えにもそれなりに慣れ親しんでいましたので、そこまでビックリ仰天というほどの驚きはありません。

結局のところ、この阿頼耶識という概念が本当に正しいのかどうかは分かりません。

頭で考えてもダメで、自分が体感しないことには意味がないのだと思います。そういう点では禅と同じですね。

三島由紀夫が阿頼耶識について腹落ちするほどの体験をしていたのかどうかは分かりませんが、おそらくしていたのではないかと推察します。それが自決に結び付いたのかどうかは分かりませんが。

阿頼耶識について腹落ちすること=「悟ること」

だとすると、悟ってみたいな~と思うと同時に、そもそも悟ることは本当に良いのだろうか?という気もしてきます。

悟っているようで悟っていない

そんな状態がいいのかもしれませんね。


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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